「鴟尾」は,
しび,
と訓む。
鵄尾,
蚩尾,
とも当てる。『広辞苑』には,
「古代日本語文法の成立の研究の瓦葺宮殿・仏殿の大棟の両端に取り付けた装飾。瓦・銅・石で造る。後世は,しゃちほこ・鬼瓦となる。とびのお。沓形。」
とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%9F%E5%B0%BE
には,「鴟尾」は,
「訓読みではとびのおと読む。沓(くつ)に似ていることから沓形(くつがた)とも呼ばれる。」
とある。さらに,
(唐招提寺金堂の鴟尾)
「後漢以降、中国では大棟の両端を強く反り上げる建築様式が見られ、これが中国などの大陸で変化して3世紀から5世紀頃に鴟尾となったと考えられている。唐時代末には鴟尾は魚の形、鯱(海に住み、よく雨を降らすインドの空想の魚)の形等へと変化していった。瓦の伝来に伴い、飛鳥時代に大陸から日本へ伝えられたと考えられている。火除けのまじないにしたといわれている。」
とある。『大言海』には,
「倦遊録『漢以宮殿多災,術者言,天上有魚尾星,宣為其象,冠於屋,以禨之,唐以来寺觀殿宇,尚有為飛魚形,尾指上者不知何時易名曰鴟尾』」
「北史,髙恭之傳『興屋宇,皆置鴟尾』」
等々,中国の出典を紹介している。これを見ると,もともと災い除け,の意図から始まっていることがわかる。『ブリタニカ国際大百科事典』には,
「鴟については明らかでないが,怪魚の一種で,海水を吹き,雨を降らす魔力をもつものともいわれ,火災を防ぐ呪術的意味が付加されたものであろう。後世の鯱 (しゃち) はこれが変化したもの。」
とある。また,「家」の守りという観点から,
「〈家〉の火災,〈家〉に住まう人々の病魔,短命,貧困はぜひとも避けねばならなかった。〈天井〉も水をつかさどる井宿(ちちりぼし)にちなんだ命名ともいわれるが,さらに天井には水草紋様をかき,漢代から屋根に鴟尾(しび)を飾って火災よけのまじないとすることがはじまった。また,〈家〉の定まった場所ごとに神々がまつられた。」(『世界大百科事典』)
とあるのを見ると,屋根の「鴟尾」だけが独立していたのではない,ということが知れる。その「鴟尾」は,
「古代の宮殿・官衙・寺院の主要建物の大棟両端につけられた1対の棟飾瓦。中国とその文化圏に属する周辺諸国で用いられた。その起源は漢代にさかのぼり,大棟の両端をしだいに高めて棟反りを強調した形を反羽(はんう)と呼んだ。東晋代に鴟尾という名称があらわれ,北魏に至って鴟尾と呼ぶにふさわしい強く反り上がった形が完成した。隋・初唐代には,湾曲した形をさらに強調するため,脊稜を前方に突出させた初唐様式が登場し,中唐から晩唐にかけては大棟に取りつく部分を獣頭形につくる鴟吻(蚩吻)(しふん)に変化した。」(『世界大百科事典』)
とある。あるいは,
「鴟尾は後漢時代の建築明器や画像石にみられるように当初は屋根の大棟両端を反り上げた装に始まり、これが南北朝時代には鴟尾となって宮殿や寺院の屋根を飾り、初期の形状は鳥の羽状をした鴟尾が多い。ところが唐時代に入ると主に無文の胴部、縦帯、鰭部からなる形状に変化して、鴟吻、沓形などとも呼ばれた。さらに宋時代には獣頭形や魚類形へと変化し、やがて鯱になったと考えられている。」(金子典正)
さらに,そのまま日本では,
http://www.ishino.jp/SIRYOUKAN/jidai/sibi.html,
に,
「奈良時代の鴟尾は史料に『沓形』と見えますように、奈良時代の貴族たちがはいた沓に似た形になります。唐招提寺金堂大棟西端の鴟尾が典型的なものです。伝世された奈良時代の鴟尾としては唯一のものです。奈良時代には瓦製の鴟尾があまり作られなかったものか、出土例は多くありません。史料に金胴製鴟尾のことがいくつか見えますので、焼き物よりそのようなものが作られたのでしょう。」
とあるので,よりデザイン化して,沓形へと変じたものも伝わっているらしい。
「鴟」の字は,
とび,
の意と,
ふくろう,
の意があるが,
「じっと止まっている鳥」
という原意からすると,「とび」より「ふくろう」なのかもしれない。「鵄尾」の「鵄」も,ふくろうと鳶の意味があり,この語義は,まっすぐに目標を目指す意で,とび,ふくろうに合致する。「蚩尾」の「蚩」は,まっすぐで融通のきかない意で,後述の鴟尾の後継の怪獣「蚩吻」から来ている。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1125694701
には,
「鴟尾(しび)は、鴟が大空を舞う鳶(とび・とんび)をさすことから、『とびのお』とも、または沓(くつ)と形が似ていることから「沓形(くつがた)」とも言われます。
後漢以降、大棟の両端を強く反り上げることによって建物を力強く見せる建築様式が見られ、鴟尾は、瑞祥(ずいしょう・めでたいしるし)と辟邪(へきじゃ・邪悪を退ける)の象徴である「鳳凰の羽」が結びついて出来たと考えられています。
何故、「鴟」の文字を使うのかは、分かりません。
鴟尾から鯱(しゃち・海に住み、よく雨を降らすインドの空想の魚)へ変化した経緯については、中国の文化だけでなくインドの文化が影響してきます。インドでは『マカラ』という魚とも獣ともつかない伝説の怪獣が、敵を防ぐ力を持つとされてマカラの模型を門や入り口に飾る習慣がありました。これが中国に伝わると、これまでの鴟尾にこのマカラの「ご利益(?)」を求めようとしました。この際、マカラは海中に棲み雨を降らす怪魚を想像したため、鴟尾の魚形化が進み、やがて鯱へ変形し、火除けのまじないにしたといわれています。
日本では瓦の伝来に伴い、飛鳥時代に大陸から日本へ伝えられたと見られ、本格的な寺院は瓦製の鴟尾を飾るのがごく当たり前のことであったようで、奈良・平安時代には、宮殿・寺院の主要な建物には金銅製を最上級とする種々の素材でできた鴟尾がのせられていたようです。しかし、平安時代中頃(唐時代末)に、鴟尾を飾ることが途絶えてしまい、鴟尾から変形した鯱は、禅宗の教えと共に日本に伝えられたといい、日本でも火除けのまじないとして、鯱や鬼瓦が棟を飾ることになっていきました。」
と載るが,『日本大百科全書(ニッポニカ)』をみると,
「日本でも飛鳥(あすか)時代に朝鮮から寺院建築が導入されて、鴟尾が用いられたが、奈良時代以降は鴟尾にかわって、鬼瓦が大棟の飾りの主流を占める。現存する古い鴟尾の例は、玉虫厨子(たまむしずし)や唐招提寺(とうしょうだいじ)金堂にある。中国では唐末ごろから鴟尾が変化して海獣の形に似た蚩吻(しふん)となる。日本では鴟尾は中世になると廃れ、近世になって蚩吻の影響を受けた鯱鉾(しゃちほこ)が、城郭建築に用いられるようになった。」
と,
鴟尾→鬼瓦
鴟尾→蚩吻→鯱鉾,
と別系統の発展をしたことが見える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%B1
によると,「鯱(しゃち)」とは,
「姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。また、それを模した主に屋根に使われる装飾・役瓦の一種。一字で鯱(しゃちほこ)・鯱鉾とも書かれる。江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では魚虎(しゃちほこ)と表記されている。
大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされた。建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという。本来は、寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたものを織田信長が安土城天主の装飾に取り入り使用したことで普及したといわれている。現在でも陶器製やセメント製のものなどが一般の住宅や寺院などで使用されることがある。(金鯱が京都の本圀寺などにある。)」
とあり,本来「寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたもの」を,織田信長が安土城天主の装飾に取り入り使用したのが嚆矢という。
(名古屋城の金鯱)
なお,鴟尾の原義については,
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/g-hum/art/gakkai/PDF/03.pdf
に詳しく論じているが,
鴟尾は鳳凰の羽の象徴であり瑞祥や辟邪であるという説,
と,
魚類の尾であり火災除けと記すことから火に対する厭勝とみる説,
があるらしいが,
正史にみえる鴟尾は雷や大風の災害記事に多く登場することから,
風神である鳳凰の装飾を大棟上に置いて人々は災害を防ごうとした,
という説を展開している。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%B1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%9F%E5%B0%BE
http://www.ishino.jp/SIRYOUKAN/jidai/sibi.html
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/g-hum/art/gakkai/PDF/03.pdf
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm