猫も杓子も


「猫も杓子も」は,

「誰も彼も」

という意味だが,どこか皮肉る含意がある。ちょうど,忙しいときに,

猫の手も借りたい,

という言い方をするが,そのときの,

誰でもいい,

と似たニュアンスである。『岩波古語辞典』には載らないが,『江戸語大辞典』に,

「猫のちょっかいが杓子に似るのでいうとも,寝る子も釈子すなわち法師の意とも,あるいは女子も釈氏の転ともいい諸説紛々」

とあり,

「猫も飯鍬(しゃくし)もおしなべて此道(死)をもるヽことなし」(明和六年・根無草後編)

を引く。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ne/nekomosyakushimo.html

は,

「寛文八年(1668)の『一休咄』に,『生まれて死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も』とあり,それ以前に使われていたことがわかるが,語源は以下のとおり諸説ある。
1.『猫』は『神主』を表す『禰子(ねこ)』,『杓子』は僧侶を表す『釈氏・釈子(しゃくし)』で,『禰子も釈氏も(神主も僧侶も)』が変化したとする説。
2.『猫』は『女子(めこ)』,『杓子』は『弱子(じゃくし)』で,『女子も弱子も(女も子供も)』が変化したとする説。
3.『猫』は『寝子(ねこ)』,『杓子』は『赤子(せきし)』で,『寝子も赤子も(寝る子も赤ん坊も)』が変化したとする説。
4.『杓子』は『しゃもじ』のことで,主婦が使うものであることから,『主婦』を表し,『猫も主婦も家族総出で』という意味から出たとする説。
5.猫はどこにでもいる動物,杓子も毎日使う道具であることから,『ありふれたもの』の意味から出たとする説。
 『一休咄』に出てくるため,『1』の説が有力とされることもあるが,それだけでは根拠とならない。『1』の説も含め,こじつけと思える説が多いが,口伝えで広まったとすれば,音変化や漢字の表記が変化することは考えられ,正確な語源は未詳である。」

と諸説を載せるし,

http://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/untiku/111025.html

も,

「一休さんが歌の中で始めて言い出したとする説。」
「猫のちょっかい杓子に似たればかく言ふなるべし」と江戸時代の学者の説。
「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も」(=「女も子供も」)の意
「女子(めこ)も赤子(せきし)も」
「寝子(ねこ)も赤子(せきし)も」(=「寝ている子供も赤子も」)
「禰宜(ねぎ)も釈氏(しゃくし)も」(=「神も仏も」)
「杓子は家庭の主婦をさし、猫まで動員した家族総出の意味だとする説」

と似た説を並べているが,『日本語源広辞典』は,「猫の手が杓子ににている」「禰子も釈氏も」以外に,

「マヅイ顔の『猫づら』『杓子づら』」

説をあげている。「どんな人も」という含意である。こういう語呂合わせよりは,音韻変化を見る,というのがこの場合も王道に見える。『日本語の語源』は,

「ネギ(禰宜)は神官の位階の名称であり,シャクシ(釈子)は,『釈迦の弟子』という意味で僧侶のことをいう。<釈子に定めましましけれど,いまだ御出家はなかりけり>(盛衰記)。『誰も彼もみな』というとき,『禰宜(神官)も釈子(僧侶)も』といったのが,ギ(宜)が母音交替(io)をとげてネコモシャクシモ(ネコモシャクシモ)になった。」

と,禰宜説をとるが,さらに続けて,

「ちなみに,神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。
 さらにいえば,心から祈るという意味で,ムネコフ(胸乞ふ)といったのが,ムの脱落,コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。
 ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき,ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また,カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した。」

とする。音韻変化の流れから,

禰子も釈氏も,

が,「猫も杓子も」と変化した,と見るのが妥当かもしれない。神仏混淆に我々らしい。

ちなみに,「杓子」については,「杓子定規」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/447300138.html

で触れたが,「しゃくし」の語源は,『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「杓+子(接続詞)」が語源。勺・杓は水を汲む器具で,しゃくる(噦る・掬う)物の意です。
説2は,「尺四(一尺四寸)」。吉野の栗木細工のシャクシの長さを語源とするものです。近畿では昭和初期まで,この杓子が主流でした。

この場合,栗木細工の尺(長さ)を指す。しかし,一般には,「しゃくし」は,

「しゃくしはひさご(瓠)のなまった言葉で,その原型はひさごを縦割りにしたものとされている」(『世界大百科事典』)
「(杓子の杓は)古語,ひさご(瓢)の転の,ひしゃくの略」(『大言海』),

とあるが,『日本語の語源』の,上記の文章から,「猫も杓子も」の「しゃくし」を,

「ネギ(禰宜)は神官の位階の名称であり,シャクシ(釈子)は,『釈迦の弟子』という意味で僧侶のことをいう。」

ので,「杓子」は「笏」とつながるのではないか。「笏」は,『日本語源大辞典』には,

「『笏』の漢音『こつ』が『骨』に通うのを忌み,
(イ)笏もものを測るものであるところから,『尺』の音シャクを借りたもの(日本釈名・大言海),
(ロ)笏の長さは一尺であるところからシャクといったもの(嘉良喜随筆・箋注和名抄),
(ハ)材料の木の名をもって呼んだもの(東雅)。」

と諸説あるが,『大言海』が面白いことを書いている。

「笏の音は,忽(こつ)なり,骨(こつ)に通ずるを忌みて,笏も物を量れば,尺の音を借りて云ふとぞ,或いは云ふ,笏尺の略にて,一笏は一尺なりと,多くは,一位の材を用ふ,これ,一位は,極位なれば,その縁に取る,飛騨の国の一位の木,亦,くらゐに取る。釋名『笏,忽也,君有敬命,及所啓白,則書其上,備忽忘也』」

とある。

笏も物を量れば,尺の音を借りて云ふ,

というのが目を引く。「笏」については,こうある。

「又,さく。束帯のとき,右手に持つもの。牙(げ),又は,一位木(いちいのき),或いは,桜・柊,等の薄き板にて,長さ一尺二寸,上の幅二寸七分,下の幅二寸四分,厚さ二分,頭を半月の形とす,即ち,上圓,下方なり。尚,位に因りて差あり,元は君命,又は申さむとする所を記して,勿忘に備ふるものなりしと云ふ。」

と。ところで,「杓子」の「子」は,

帽子,
扇子,
調子,

等々,物の名に添える助辞(『広辞苑』)で,『大言海』は,

「(宋音なり)漢語の下に添えて,意なき語」

として,

台子,
金子,
様子,
払子,
鑵子,

等々を挙げている。「笏」を

「笏子」

といったかどうかは定かではないが,添えてもおかしくはない。

『有職故実図典』には,

「元来,笏は板の内面に必要事項を記載して忽忘に供えるのを本義とし,手板と称して具足した唐制をそのまま伝えたものである。『こつ』の音を忌んで「しゃく」と呼んだ。令制では,唐制と同様,五位以上は牙笏(げしゃく)と規定しているが,牙が容易に得難いところから,延喜の弾正式には,白木を以て牙に代えることを許容しており,こうして礼腹(らいふく)の他は,すべて木製となって近世に至った。」

とあり,笏の起源は,

http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20130122

によると,

「笏の発祥は中国で、前漢の時代に著された『淮南子』(えなんじ)に、『周の武王の時代、殺伐とした気風を改めるため武王が臣下の帯剣を廃し、その代わりに笏を持たしめた』とあるのが笏の起源と云われています。笏が中国から日本にいつ伝わったのか、その正確な時期は特定できませんが、絵画に於いては、聖徳太子や小野妹子が描かれている画像等に見られる笏が今のところ最も古いとされている事から、推古天皇の御代に六色十二階の冠制が創定された時期に日本でも笏が使われるようになったのではないか、と推定されています。」

とあり,中国発祥らしい。

なぜ笏にこだわるかというと,

猫も杓子も,

は,その形から,

猫も笏子も,

と言っているのではないか,と億説だが,思うからだ。猫の手と笏とをいっしょくたにした,という含意で。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%8F
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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