2017年07月19日

あゆ


「あゆ」は,

鮎,
香魚,
年魚,

等々と当てられる。「鮎」の字は,中国語では,

なまず,

を指す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A6

には,

「漢字表記としては、香魚(独特の香気をもつことに由来)、年魚(一年で一生を終えることに由来)、銀口魚(泳いでいると口が銀色に光ることに由来)、渓鰮(渓流のイワシの意味)、細鱗魚(鱗が小さい)、国栖魚(奈良県の土着の人々・国栖が吉野川のアユを朝廷に献上したことに由来)、鰷魚(江戸時代の書物の「ハエ」の誤記)など様々な漢字表記がある。た、アイ、アア、シロイオ、チョウセンバヤ(久留米市)、アイナゴ(幼魚・南紀)、ハイカラ(幼魚)、氷魚(幼魚)など地方名、成長段階による呼び分け等によって様々な別名や地方名がある。」

とし,さらに,

「中国で漢字の『鮎』は古代日本と同様ナマズを指しており、中国語でアユは、『香魚(シャンユー、xiāngyú)』が標準名とされている。地方名では、山東省で『秋生魚』、『海胎魚』、福建省南部では『溪鰛』、台湾では『[魚桀]魚』(漢字2文字)、「國姓魚」とも呼ばれる。」

で,「鮎」=鮎になった由来は,

「現在の『鮎』の字が当てられている由来は諸説あり、神功皇后がアユを釣って戦いの勝敗を占ったとする説、アユが一定の縄張りを独占する(占める)ところからつけられた字であるというものなど諸説ある。アユという意味での漢字の鮎は奈良時代ごろから使われていたが、当時の鮎はナマズを指しており、記紀を含め殆どがアユを年魚と表記している。」

のだとある。「鮎」の字が当てられた由来については,

http://www.maruha-shinko.co.jp/uodas/syun/39-ayu.html

に,
「1.神武天皇が九州より兵を進め大和国に入り、治国の大業が成るか否かを占って瓶を川に沈めた時、浮き上がってきたのが鮎だった為。現在でも天皇の即位式において、階前に立てられる万歳旗の中の上方には『亀と鮎』が画かれている。
 2.神功皇后が朝鮮半島に兵を出された折、今の唐津市松浦川のほとりで勝ち戦か否かを祈って釣ったのがアユだった為。
3.約1000年前の延喜年間に、秋の実りをその年の諸国におけるアユの漁獲漁の多寡で占ったことから。」

とするが,「鮎」の字は,

「魚+音符占(=粘 ねばりつく)」

で,どう考えても,ナマズのイメージである。それを「あゆ」に当てたのは,これまで漢字を当てた例からすると,単なる誤用ではなく,何か意味があるのかもしれないが,

「古く中国の『食経』(620年頃)にはアユは春生まれ、夏長じ、秋衰え、冬死ぬ生涯から1年魚の意味で『年魚』と書かれていた。年魚の読みから鮎の字を転用したとされていて、『東雅』(1719年)では鮎の字を呉(ご)音で『ネン』と読み、『年魚(アユ)』の『年(ネン)』と同じ読み方から鮎(ネン)の字を転用し『鮎魚(アユ)』としたとあり、『鮎魚』から鮎(アユ)になったとある。『日本書記通証』(1748年)や『倭訓栞』(1777年)では鮎(アユ)と読むのは『倭名類聚抄』(931年)が元となったとあり『鮎は鯰であるが神功皇后の年魚で占ったとの故事に基づいた』とある。年魚に転用された鮎の字は中国で鯰(ナマズ)を意味するとはわからず転用した様であり、鮎の字を転用したことで中国で鯰を表す他の字とも鮎として漢字が使われていて、また同じ川にいる鮠(ハヤ)を意味する漢字とも混用・誤用されて鮎として表記されている。年魚は鮎の他に鮏(サケ・鮭・左計)をも意味している」

とある。もともとは,

香魚,年魚,王魚,

と呼ばれるか,

黄頬魚,銀口魚,氷魚,細鱗魚,国栖魚,渓鰮魚,

とその状態から呼ばれていて,「あゆ」は,

安由,阿由,阿喩,

と当て字をしていたはずである。「鮎」の字を当てたのは後世ではないか,という気がする。たとえば『古事記』の神功皇后が筑紫・玉島の里の小河で食事をした後、釣りをしたおりは,「あゆ」に,

年魚,

が当てられ,『日本書紀』の,神功皇后が松浦・玉島の里の小河で食事をしその後,釣り占いをしたくだりでは,「あゆ」に,

細鱗魚,

が当てられている。漢字について厳密に承知していた古代ではなく,後世の日本人が誤用したとしか思えない。

ま,漢字表記の経緯はともかく,「あゆ」の語源は,諸説ある(『日本語源大辞典』『鮎起源探訪』『大言海』等)。

古来、神殿に供え(饗・アへ)をしたことから饗(アへ)るから「アエ」・「ア イ」になり「アユ」になったとされる。鮎は古くから朝廷への献上品であった(垂仁天皇(656年)の伊勢国度会に倭姫命はアユを献上させ供したとある)(日本古代大辞典)
「アユる」は「落ちる」の古語で産卵鮎が川を落ちる(下る)ことから「アユる」が「アユ」になったとされる(日本釈名)
「アユる」は脆(もろ)く死ぬる意味で産卵後、鮎が死ぬことから「アユる」が「アユ」になったとされる(鰯は,弱しなりと云ふ)(大言海)
「ア」は小、「ユ」は白、から小さく白い魚の意味で「アユ」になった(東雅)
アイ(愛)すべき魚(可愛之魚)から「アイ」「アユ」になった(和訓栞・鋸屑譚)
アユは古い大和言葉(やまとことば)で「ア」は賛歎の語で「ユ」はウヲ・イヲ(魚)の短促音とあり、佳(よ)い魚あるいは美しい魚の意味とある(鮎考)
鮎が矢の様な素早い動きからアイヌ語で矢を意味するアイ「ay」から「アユ」になった(衣食住語源辞典)
酢酒塩とアへ(エ)て食べてヨキウヲのことからアエて美味しい魚「アユ」になった(和句解)
アアヨ(呼々吉)から「アユ」になった(言元梯)
アオユルミ(青緩)から「アユ」になった(名言通)
イハヨルの反語から「アユ」になった(名語記)

その他に,『日本語源広辞典』は,「落ちる」説のほかに,

「『ア(肖)+ゆ』が語源です。似る,好ましい魚,あやかりたい魚の意で,香魚,かおりの好ましい魚の意」

を載せる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/ayu_sakana.html

は,

「アユは,産卵で川を下る姿から『こぼれ落ちる』『滴り落ちる』という意味の『あゆる(零る)』が語源とされることが多いが,アユが川を下る姿はさほど印象的ではなく,『アユ』という音から近い言葉を探し,うまく意味が当てはめられただけと思われる。
 アユの語源は上記のほか諸説あるが,非常に素早く動き矢のようであることから,アイヌ語で『矢』を意味する『アイ(ay)』が転じたものであろう。」

とアイヌ語説をとる。しかし,「あゆ」の生態は,

「北海道・朝鮮半島からベトナム北部まで東アジア一帯に分布し、日本がその中心である[5]。石についた藻類を食べるという習性から、そのような環境のある河川に生息し、長大な下流域をもつ大陸の大河川よりも、日本の川に適応した魚である。天塩川が日本の分布北限。遺伝的に日本産海産アユは南北2つの群に分けられる。」

と,ほぼ日本全域をカバーする。アイヌ語由来とのみは言えない気がする。国栖魚(クズノウオ)という名が,吉野川のアユを朝廷に献上したことに由来するように,関東以北とは限らないのだから。

あゆ.jpg



『日本語の語源』は,

「〈河瀬にはアユユ(鮎子)さ走り〉(万葉)と歌われた鮎は,ニシン目の溯河魚である。幼魚は海に住み,初春,川をさかのぼって急流にすむ。秋,産卵のために川を下るのが落ち鮎で,その寿命はふつう一年だから『年魚』とも書く。
 生育がきわめて早く,また河瀬を疾走するところから,もと,ハヤウヲ(早魚)と呼ばれていた。ヤウ[j(a)u]の部分の縮約で,ハユヲ・ハユになった。さらに,ハの子音交替[fw]でワユに,[w]が脱落して,アユ(鮎)に転化したと推定される。」

とする。つまり,

ハヤウヲ→アユヲ・ハユ→ワユ→アユ,

と転訛したという訳である。この説に与したい気がする。

参考文献;
http://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%A2%E3%83%A6
http://www004.upp.so-net.ne.jp/onkyouse/tumjayu/page025.html
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 04:51| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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