2017年07月30日

夢判断


フロイト『フロイト著作集 2 夢判断』を読む。

フロイト著作集 2.jpg


いまさら,フロイトの『夢判断』でもないのかもしれないが,読みそびれていたので,改めて通読し直した。フロイトの夢判断についての仮説が今日の脳科学からみてどうなのかは,知らない。しかし,仮説を構築していくその構想力は,驚嘆するほかない。性に偏りすぎている等々といったことは,瑣末なことだ。こういう構想力だけは,どうやら,とうていわれわれは敵わない。仮説の是非を後知恵でとやかく言うのは,愚かである。

フロイトは,ちゃんとこう言っている。

「ある仮説を,未知の現実によりよく接近しているところの,ある別のものに変えるべき時がきたと考えられる場合は,われわれはいつでもそれまでの補助的見解を棄て去るだけの心構えをしていなければならないからである。」

と。大事なことは,フロイトにとって,夢判断は,あくまで,精神分析の一環として,必要に迫られてきた,ということだ。

「夢というものは,ある病的な観念から逆に記憶を遡って追尋することのできる心的連鎖の中に組み入れられるものだということがわかった。すると,夢そのものを一病的症状のごとくに取り扱い,精神病のために編み出された解釈の方法を夢に適用してみたらどうかと考え始めた次第である。」

そして,

「私の意図するところはむしろ,夢の分析を通じて神経症心理学のもっとも困難な諸問題のための予備的な仕事をするという点にある。」

そのために「千以上の夢を判断しときあかした」と。フロイトにとっては,基本,夢は,

「間然することなき一個の心的現象,しかも願望充足である」

ということを一貫して証明する。その出所は,第一に,

「日中時にかきたてられることがある。そして外的諸事情のために充足させられないでいる。すると,夜のために,承認されたけれども,しかし充足されなかった願望が残ることになる。」

第二に,

「ある願望が,日中すでに浮かんでいたのだが,われわれの意識から非難を浴びせかけられる。すると夜のために,充足されていず,かつ抑圧された願望が残される。」

第三に,

「願望は覚醒時生活と無関係のものでありえる。そして夜になって初めて抑制されていたものの中から動き出すような,かの諸願望のひとつでありうる。」

第四に,

「夜中頭を擡げるところの,積極的な願望衝動(たとえば喉の渇きの刺激,性欲欲求など)を加えなければならない。」

と。しかし,見る夢の多くは,とうてい願望充足とは思えないものが多い。しかし,それにも,フロイトは,

不快夢もまた願望充足である,
刑罰夢もまた不快夢の一種である(つまり願望充足夢),

と言い切る。「不快夢」も,

(a)「すべての苦痛な観念を反対の観念で代理させ,それに属する不快感情を抑えつづけることが夢作業に成功するという場合。この場合には純粋の充足夢,それ以上何の論ずべき点もないように見えるところの,はっきりとした『願望充足』が結果として出てくる。」

(b)「苦痛な観念は多かれ少なかれ変更を加えられ,しかしよくそれと見わけられる状態で,顕在的夢内容中に顔を出す。…苦痛な内容を有するこういう夢は,何でもないように感じ取られるか,あるいは不快感情をそっくりそのまま携えて現れるか(この不快感情はその表象内容のために正当なものであるかのごとく思われる),あるいはまた,不快感をさえ醸成させて,ついには人を覚醒に導くかの,いずれかである。」

と分類し,フロイトは,

「分析は次のような事実,すなわちこの不快夢もまた願望充足であることを証明する。その充足が夢を見ている本人の自我からは苦痛としか感ぜえられないような,無意識の,抑圧された願望は,苦痛な日中残滓物の居坐りによって提供される機会を利用し,それらの残滓物を支持し,この支持によってそれらの残滓物が夢の中へ採用されうるようにする。しかし上記aの場合には無意識的願望が意識的願望と合致するのに,上記bの場合市場には無意識的なものと意識的なものとのあいだの分裂―抑圧されたものと自我との乖離が露呈され,そして,妖精が夫婦者に自由に選びとらせた三つの願い(詰まらぬ願いとその取り消しで,結局三つの願いを使ってしまう)という童話の状況が実現されるのである。抑圧された願望の充足に対する満足感はきわめて大きなものでありうるから,それは優に日中残滓物に付着している苦痛感情と釣合いをとることができる。その場合,夢はその根本的な色調において無関心なものになる。もっともその夢は一面においてはある願望の充足であり,他面においては懼れの充足なのであるが。あるいはまた,ねむっている自我が夢形成にかなり自由に参画して,夢が結果する抑圧願望の満足に対して烈しい反抗を以て反応し,不安恐怖感によってこの夢を終らせてしまうことさえする。だから,不快夢および不安恐怖夢が理論的には,円滑な満足夢と同様の願望充足であることはこれを容易に認めうるのである。」

なぜなら,その夢判断そのものが,分析治療そのものだからだ。それにしても,夢の検閲,加工,二次加工,移動,抑圧,象徴的表現等々,とフロイトが苦心した夢解釈の仮説は,有効なのだろうか。僕には,夢は,

経験の記憶化作用,

そのものでしかないと思えてならない。刺激的な経験をしたときは,ものすごい夢を見る。その経験を記憶のリンクにつなぎとめていくための作業が,過去の記憶や経験を引っ張り出したりするのかもしれない。現代の神経生理学では,夢は,

「睡眠中は感覚遮断に近い状態でありながら、大脳皮質や(記憶に関係のある)辺縁系の活動水準が覚醒時にほぼ近い水準にあるために、外的あるいは内的な刺激と関連する興奮によって脳の記憶貯蔵庫から過去の記憶映像が再生されつつ、記憶映像に合致する夢のストーリーをつくってゆく」

と考えられている、と言う。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/399405380.html

で触れたが,夢は,

レム睡眠というごく浅い眠りに随伴する内的体験,

で,夢を見ている最中は, 脳の奥のほうにある記憶に関連した大脳辺縁系と呼ばれる部分が活発に活動し,同時に大脳辺縁系で情動的反応に関連した部位も活発に活動している,とされる。そして,他方で,記憶の照合をしている,より理性的な判断機能と関連する前頭葉の機能は抑制されている,という。

人は,睡眠中,

記憶の整理と定着がされている,

とも言う。

「浅い眠りの時には,『海馬』がシータ波という脳波を出し,上方の脳内再生を行っています。逆に,深い眠りの時には大脳皮質がデルタ波を出し,記憶として保存する作業を行っています。」

フランスの脳生理学者ミッシェル・ジュヴェは,

レム睡眠中には,動物も人間も危機に対処する行動をリハーサルし,いつでも行動できるよう練習している,

ともいう。つまりは,イメージ・トレーニングである。レム睡眠は朝に向かって増える。夢は,

脳の機能から考えると,ノンレム睡眠の時に休んだ脳機能を朝の覚醒にむけて,外界の変化から離れた夢を見ながら徐々に働かせている。つまりはオフライン状態のときに,ウォーミングアップしているのだという。

フロイトの考察は,理論的な裏付けの得られるものもあるし,仮説として捨てられるものもあるのだろう。しかし患者の夢の分析を通して積んだ実践的な慧眼は,なかなか侮れるものではない。本書の掉尾では,こう言いきっているのである。

「夢には未来を予知するというような能力はあるのであろうか。夢による未来予知というようなことはむろん考えられない。その代わり,夢は過去について考える。なぜなら夢というものは,あらゆる意味において過去に由来するものだからである。夢はひとに未来を示すという古い信仰にもまたなるほど一面の心理は含まれていよう。とにかく夢は願望を満たされたものとしてわれわれに示すことによって,ある意味ではわれわれを未来の中へと導いていく。しかし夢を見ている人間が現在だと思っている未来は,不壊の願望によって,彼の過去の模像として作り上げられているものなのである。」

なお,現代の「夢の理論」は,

http://jssr.jp/kiso/hito/hito10.html

に整理されているし,夢の機構については,

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%A4%A2

に詳しい。

参考文献;
フロイト『フロイト著作集 2 夢判断』(人文書院)
内山真『睡眠の話』(中公新書)
池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』(扶桑社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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posted by Toshi at 04:37| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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