2017年08月02日

裏切り


金子拓『織田信長-不器用すぎた天下人』を読む。

織田信長 不器用すぎた天下人.jpg


「はじめに」で,下克上の時代,この時代を代表する信長も,

「彼の一生が,家臣・惟任(明智)光秀の謀叛(本能寺の変)によって,劇的なかたちで幕を閉じるということを考えたとき,やはり信長は,この時代の風潮を体現していると考えてもゅ禰されるのではあるまいか。」

と書く。だから,信長だけが特異だったという訳ではない。斉藤道三は,息子義龍に背かれ,武田信玄は嫡男義信に背かれている。

「あとがき」で,キーワードを,

裏切られ信長,

だと書いていた。取り上げているのは,

浅井長政,
武田信玄,
上杉謙信,
毛利輝元,
松永久秀,
荒木村重,
明智光秀,

である。

松永久秀,荒木村重,明智光秀,百歩譲って,義理の弟になる,浅井長政,までは,「裏切り」という言葉が妥当かもしれないが,武田信玄,上杉謙信,毛利輝元は,あくまで外交上,誼を通じたにすぎず,外交上の友好関係がくずれたのをもって,「裏切り」とするのはどうであろうか。

また取り上げた人物の中に,弟・信勝が入っていないのはなぜだろう。信勝は,信長が家督相続後,最初の謀叛,弟信勝(信行)が林秀貞(通勝)・林通具・柴田勝家に擁立されて,挙兵。敗れた後許されても,なお信勝は,再度謀反を企て,謀殺されるに至っている。この信勝を取り上げていないのはなぜだろうか。

家臣の裏切りで,信長の特徴的な対応は,松永久秀,荒木村重ともに,言い分を聞こうとしていることだ。例えば,久秀の再度の裏切りに対しても,

「何篇(いずれへん)の子細候や,存分に申ウォーキング・近所そし上げ候わば,望みを仰せ付けよう」

伝者の松井友閑に伝えたし,荒木村重には,

「早々出頭もっともに候。待ち覚え候。そこもと様躰(ようてい)言語道断是非なくそうろう。誠天下の面目を失う事どもにそうろう。存分の通り両人に申し含め候・かしく。」

と,使者に申し開きさせようとするる姿勢は同じである。後世,大坂の陣で,片桐勝元が徳川に通じているといううわさがあったとき,下問された浅井一政の回顧録に,

「側近少々を召し連れて勝元のところへいらっしゃり,説得されるのがよろしいのでは」

と助言したとある。一政は,その際,

「昔信長様おとなむほんを仕る時,か様に成されたる由承り及び候」

と,信長を引き合いに出した,とある。著者は,その真偽は別として,

「ほぼ同時代に,家臣の謀叛に遭遇した信長の行動が,このように伝えられていることは注目してよいかもしれない。」

と書く。上記浅井一政は,近江・浅井氏の一族なのである。家臣に対するこういう行動は,外交関係については,難しい。状況が,生き残りをかけた戦国大名自身の意思決定に基づくからだ。やはり,家臣と,同列に論ずるのは無理があるのではないか。

いまひとつは,例の,本能寺の変での,信長の一言,

是非に及ばす,

である。この意味は,

是非を論じている場合ではない,

という意味に取られるが,村重への手紙でも,

是非なし,

という文言がある。著者は,

良い悪いの判断をしても仕方がない,

つまり,

「しかたがない,やむをえない」

の意味を取っている。まあ,ぶっちゃけ,

しゃあない,

という言葉だろう。外交関係の破綻では,そういう言い方はしないだろう。武田信玄の遠江侵攻に,是非なし,などとは言わないだろう。上杉,毛利との敵対化にも,そんなことは言うまい。お互い,利害での結びつきなのだから。

信長.jpg

紙本著色織田信長像(狩野元秀画、長興寺蔵)


僕は,この,

是非なし,

という言葉に,下克上を,尾張一国から初めて生き抜いてきた信長の,

性根,
心ばえ,

をみる。そういう時代に生きている,ということに覚悟があったのではないか。

参考文献;
金子拓『織田信長 不器用すぎた天下人』(河出書房新社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7


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posted by Toshi at 04:58| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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