2017年08月11日

ナラティヴ


ハーレーン・アンダーソン,ハロルド・グーリシャン『協働するナラティヴ』を読む。

協働するナラティヴ.jpg


本書は,グーリシャンとアンダーソンによる論文「言語システムとしてのヒューマンシステム」の訳書である。ハーレーン・アンダーソンは,「日本の読者のみなさま」で,

「私が日本に来た最初の頃,あるパネルに招待された時のことです。隣に座った精神科医が私に質問しました。『すぐれたセラピストとしての条件とは何ですか?』と。そのとき私は,『それはマナーのよさ』と答えました。それは彼には生意気に響いたかもしれません。でも,これは彼のまじめな質問に対する私のまじめな答えだったのです。それは今日でも変わりません。創造的な会話と発展性のある関係へと他者をいざなうために最も必要なことは『よいマナー』であることを私はいつも強調しています。」

と書いている。意外ではない。人との関わりの節度というか,自制というか,抑制というものが,当たり前のことだか,不可欠だということだ。それは,人と関わるときの基本と言ってもいい。この言葉がさりげなく出るところに,この著者の人柄が出ている気がする。

冒頭,自分たちの立ち位置を,

「人が関わってできる組織や制度(ヒューマンシステム)を,社会組織(役割や構造)によってできているとする立場から,言語的,コミュニケーション的な標識によってできあがっているとする立場への移行である。治療(セラピー)という場において,私たちが相手にするのは,問題について語る人々によって定義される言語システムという単位(ユニット)であって,社会組織として一般に認識されたもの(例えば家族とか裁判所)という社会的単位ではない。私たちはそのようなわけからセラピーにおけるシステムを,『問題によって編成され(集められ),問題を解決するより解消していくシステム』(a problem-organizing,problem-solving system)と呼ぶことにした。」

と宣言する。そして,

「この新たな方向に沿っていくと(あるいは会話のしかたをすると),人がかかわってできる(いわゆる機械ではない)システム,つまりヒューマンシステムは,意味という領域においてのみ,また相互に変化しあう言語リアリティとしてのみ,存在する。」

「私たちが言語と言った場合,それは言語によって仲介された文脈と関連した意味のことであって,言葉の交換とコミュニケーション的行為によって生み出された意味のことである。このような一定の社会的文脈の中で生成された意味は(それは理解と言ってもいいのだが)対話と会話というダイナミックな社交のプロセスをとおして進化していく。(中略)言葉の中で私たちは他者との触れ合いに意味をもち,言葉をとおして現実を分かち合う。『ことばの中にいる』,それはたんなる言語行為ではなく,ダイナミックな社会活動なのだ。」

と。この中心にあるのは,

「現実とは協働で制作されるものだ」
「言語でもって,言語をとおして,この世界を産出している」
「言葉は世界を映し出しているのではなく,言葉はそれぞれが知るべき世界を創り出している」

という考え方(社会構成主義)である。それは,

Here and now

いま・ここで取る「待ったなしの姿勢」(訳者=野村直樹氏)である。そこでは,セラピーとは,

「対話コミュニケーションの場づくりである。会話の空間を広げてゆくプロセスである。問題によって召集され,問題を解消するシステムのメンバーたちは,そのコミュニケーション空間において,意味と理解を新たにする作業に取り組むが,それは言い換えれば,『未だ語られていないこと』を探し当てていくことに他ならない。その意味では,セラピーは,これまでと違う会話をし,新しい言葉遣いを覚え,現実を違う角度から眺めてみるという,普段の私たちの行為とさほど変わらない。新たな経験に即して異なる意味をお互いが獲得していくことは,私たち人間としての資質にかなったことだからである。システムは私たちが取り組む対象ではあるが,それは言葉の中に存在するということをしっかり覚えておこう。」

と言うものである。「未だ語られていないこと」とは,通常,

リソース,

という言い方をする。これについて,マイケル・ホワイトは,

「ぼくらは個人が自己というものをもっているとか,リソースをうちにひめているとは考えない。自分もリソースもむしろ今ここで創り出していくもので,この場で発見し育て上げていくものだから」

という。それはこういうことだ。

「意味は一つだけ,なんてことはないということだ。すべての表現が,まだ表現されていない部分をもち,新たな解釈の可能性をもち,明確にされ言葉にされることを待っている。…すべてのコミュニケーション行為が無限の解釈と意味の余地を残しているということなのだ。だから対話においては,テーマもその内容も,意味をたえず変えながら進化していく。(中略)私たちがお互いを深く理解するというのは,相手を個人(という抽象物)として理解するのではない―表現されたものの総体として理解するのである。この過程に対話が変化を促していくからくりがある。
 そこで私たちは,この『語られずにある』部分を言葉に直し,その言葉を拡げていくことがセラピーだと考える。そこでは,対話を通して新しいテーマが現れ,新しい物語が展開されるが,そうした新しい語りはその人の“歴史”をいくぶんでも書き換えることになる。セラピーはクライエントの物語の中の『未だ語られていない』無限大の資源に期待をかけるのだ。そこで語られた新しい物語を組み入れることで,参与者たちはこれまでと異なる現実感を手にし,新しく人間関係を築いていく。これらは『表現されずにあった領域』に埋蔵された資源,リソースからでてきたものではあるが,その進展を促すためには,どうしてもコミュニケーションすること,対話すること,言葉にすることが必要となる。」

つまり,

「セラピーにおける変化とは,対話や会話から生じた意味の変化」

なのであり,だからこそ,

「問題は言葉と会話を通過することにより,新たな意味,解釈,理解を獲得していく。治療的会話とは解決を見つけるための会話ではないのだ。解決は見つかるのではない―問題が消失するのである。」

そして大事なことは,

「この過程を経てセラピストが変わるのである。私たちの治療倫理のエッセンスは,セラピスト自身が変化するリスクを承知でそれを覚悟するその姿勢にある。」

という点だ。セラピストもまた,対話の当事者であり,こうした,

インターサブジェクティヴな(双方向に思いが交差してできる)

を通して,セラピーの基本は,

「行き交う理解,互いへの敬意,耳を澄まし相手の言葉を聴こうとする意思である。病理から離れて,語られたことの『真正さ』へと重心を移すことができる偏見のなさと自由さである。これが治療的会話のエッセンスであろう。自分が誰でまた将来どのような人になっていくかは,対話がその基点にあるのだ。(中略)セラピストの専門性は何に根ざしているかと言えば,対話や会話への参加にあえて賭けていくという“能力”にである。また自分も変化するリスクを負うということに根ざしているのである。」

ということになる「マナー」という言葉が生きてくる。

ちなみに,こうした治療的会話の特徴を,次のように列挙している。

①セラピストは,検討する問題の範囲をクライエントが言った問題の範囲内にとどめる。
②セラピストは,多様な考え方や相矛盾する考え方を同時に受け入れる。
③非協力的ではなく協力的な言葉を選択する。
④セラピストはクライエントの言葉を学習する。
⑤セラピストは敬意をもって聴き,あまり急いで理解してしまわない(すぐさま理解してしまうことがたとえ可能であったとしても)。
⑥セラピストは質問を発し,クライエントはそれに応えるが,重要なのはクライエントの応えは,セラピストからさらに新たな質問を投げかけられるのを待っているということだ。
⑦セラピストには,会話のための環境をととのえるという責任がある。
⑧セラピストは,自分自身と対話しそれを維持していく。

そこで,「当面の課題や検討事項に対して新しい見方を可能にする方向に…いつも目をむける」

開いていく会話,

をしていくことになる。訳者は,

無知の姿勢(not-knowing)

会話への信頼(trust)

を,本書のキーワードとされた。僕は,

「未だ語られていないこと」を探し当てていくこと,

の方に着目したい。

参考文献;
ハーレーン・アンダーソン,ハロルド・グーリシャン『協働するナラティヴ』(遠見書房)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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