2017年08月18日

維新


森田健司『明治維新という幻想』を読む。

明治維新という幻想.jpg


「維新」という語は,『詩経』「大雅・文王篇」の一節である,

「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」

が出典とされる。「維新」は,

これあらた,

と訓む。しかし,英訳すると,

Restoration,

つまり,

復古,

である。後醍醐天皇の建武新政,とほぼ重なる。少なくとも,テロリストであった薩長の下級武士にとって,錦旗こそがおのれをオーソライズする必需品であった。だから,偽造説のうわさが絶えない。

本書は,

「この『明治政府』の真の姿を,幕末や戊辰戦争(1868~69年),それに対する庶民の反応,そして統辞を代表する人物たちの発言や行動を用いて,浮き彫りにしようとするものである。」

という。しかし,読み終って,結局周辺を撫でただけのような気がする。本質は,主体となった人たちを,真正面から見据えて,その人物,思想,行動を,結果からではなく,描きださなくては,明治=近代化という先入観は崩せまい。

本書の特徴は,著者が,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452542427.html?1502221835

で書いたように,庶民の反応を,当時の錦絵を絵解きすることで,示している部分かもしれない。たとえば,

錦絵「浮世風呂-トロ文句」

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi05/chi05_04025/chi05_04025_0001/chi05_04025_0001.pdf

は,著者はこう絵解きする。

錦絵 浮世風呂-トロ文句.jpg

(浮世風呂一ト口文句 ウキヨ ブロ ヒトクチ モンク 早稲田大学図書館 )


「画面右の番台にいる女性は,おそらく和宮だろう。彼女の着物には,…『下がり藤』が描かれている。その横で床に座り,たらいから手拭いを垂らしている裸の男は,会津藩に違いない。会津若松の『若』の字が染め上げられているからである。そして,会津藩の背中を洗っている三助は,わかりにくいが『蛤』柄の手拭いを額にまいているに見えるので,桑名藩と考えられる。
 この会津藩と桑名藩のセリフが,なんとも興味深いのである。
 前者は,『年あけにおふわずらひ(大患い)をしたが今では大丈夫になったよモウどんなつよいやつがやつてきてもゆびでもささせやあしねへ(指でもささせやしねえ)』と語っている。
 鳥羽・伏見の戦いで最も勇猛果敢に戦い,多くの負傷者を出した会津藩の状況を説明したものである。『もう大丈夫,いかなる敵にも負けない』という言葉は,江戸庶民の期待が込められたものに違いない。
 そして,後者の桑名藩は,こう語っている。
 『だんな,あなたのせなかはまことにきれいでござります』
 この言葉も,庶民の気持ちを知る上で,重要である。『どれほど危うい状況にあっても,徳川家のために全力で戦った会津藩は,背中がきれいである』と記しているのだ。…『君臣の義』を庶民が大切に思っていたことが,よく理解できる。(中略)
 それでは,肝心の慶喜はこの錦絵のなかのどこにいるのだろうか。会津藩と桑名藩からは遠く離れて,画面の一番左,風呂の上がり淵に腰かけて,腕を組んでいる人物がそうである。彼を慶喜と判断する手がかりも,肩から垂らして手拭いの柄だ。いわゆる『欄干』模様であり,これが一橋徳川家の『橋』に掛けられているのである。
 ここでの慶喜は,何やら不思議なことを話している。
 『われこそハ中納言家持の嫡孫大友の黒主とハヲレカ事(俺のこと)だハ ヤイ』
 (中略)『家持』を『いえもち』と読むことによって,慶喜が第十四代将軍家茂(いえもち)の子や孫だと強がっているセリフだと理解できる…。」

こうした中に,江戸庶民の,旧幕府軍を応援する強い気持ちが込められている,と著者は見る。

それもこれも,鳥羽伏見前後の薩摩の仕掛けた仕打ちがある。慶喜の大政奉還という策に窮した西郷は,江戸で,相楽総三,満満休之助,伊牟田尚平らを使って,勤王の名の下に押借り,強盗を働き,庄内藩の三田薩摩藩邸焼き討ちを招き,思う壺の武力行使の口実を得た。
 鳥羽伏見を経て,江戸に入った新政府軍は,たとえば,『戊辰物語』に,

「官軍も詰まらないいいがかりをつけてよく町人を斬った。抜き身で二町も三町も追いかけられて余りこわいので知らない家へ飛び込むと,それなり玄関で絶命していたなどという話はざらにある。肩へ錦の布(きれ)をつけているので,『錦(きん)ぎれ』と呼び,いったいにひどく毛嫌いした。」

とある。だから,

この「錦ぎれ」を片っ端から剥ぎ取る「隼のような男」

に,江戸庶民は喝采した,という。

本書では,

庶民に嫌われた維新軍,
新政府軍に目を附けられた人々,
旧幕府軍から見た明治維新,
明治維新のイメージ戦略と「三傑」の実像,

と展開されるが,やはり,錦絵を素材に,戊辰戦争を見つめる庶民の眼が面白いが,いまひとつ,庄内藩の戦いぶりの紹介が,出色である。

「庄内藩に,新政府軍が勝っていた点は,兵の数だけである。庄内軍は,特に精神の面で,薩摩軍をはじめとする新政府軍を圧倒していた。」

という記述が目を引く。次々と列藩同盟が恭順に転じる中,一緒に戦い続けていた上山藩も,恭順に決し,撤兵を告げに来た時,

「我が藩のことは心配無用。ただ,貴藩が無事であることに,心を砕いてほしい。
 我が藩の方針は,まだ伝えられていない状況である。今後も同盟に残るとしても,脱退した他藩を傷つける意思はまったくない。ここまで死生を共にしてきた貴藩に至っては,もはや言うまでもないことだ。
 もし,貴藩が矛を逆さにして,我が藩に迫るようなことがあっても,怨むことなどありえない。」

という主旨のことを伝えたという。その精神性は,長岡藩にも,会津藩にも見られる。会津落城後,

「戦いが終わった後,城下には会津の人々の遺体が散乱していた。しかし新政府軍は,遺体の埋葬を強く禁じた。そのため,遺体は野犬に喰われ,烏に啄まれ,最低限の尊厳さえ奪われた上で朽ちていった。」

いわば,見せしめ,私怨である。それに反する精神性は,榎本武揚の檄文にも見える。

「王政日新は皇国の幸福,我輩も亦希望する所なり。然るに当今の政体,其名は公明正大なりと雖も,其実は然ず。王兵の東下するや,我が老寡君を誣ふる朝敵の汚名を以てす。其処置は既に甚だしきに,ついに其城地を没収し,其倉庫を領収し,祖先の墳墓を棄てて祭らしめず,旧臣の采邑は頓に官有と為し,ついに我藩主をして居宅をさへ保つ事能はざらしむ。又甚だしからずや。これ一に強藩の私欲に出で,真正の王政にあらず。」

贅言は,無用である。

参考文献;
森田健司『明治維新という幻想』(歴史新書y)


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posted by Toshi at 05:20| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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