2017年09月05日

慚愧


「ざんき」と訓むものには,

恥じて心におそれおののくこと,

の意味の

慙悸(ざんき),

と,

慙愧,
慚愧,

と当てて,

「古くはざんぎ」

とし,

恥じ入ること,
悪口を言うこと,そしること,

の意味のものがある。『デジタル大辞泉』『大辞林』は,

慙愧,
慚愧,

を,

自分の見苦しさや過ちを反省して,心に深く恥じること,
自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと,

と意味が載る。『大辞林』には,

「『ざんぎ』とも。元来は仏教語で,『慚』は自己に対して恥じること,『愧』は外部に対してその気持ちを示すことと解釈された。「慚」「慙」は同字。」

とある。

慙悸

慙愧(慚愧)

は,別なのである。

慙愧に堪えない,
とか,
慙愧の念に堪えない,

という言い回しは,「慙愧」である。

『大言海』は,「慙愧」の項で(「ざんぎ」と訓ませる),

心に恥じ入ること,

のほかに,

「仏経の用語にて,自,他,心,身,に別ちて云ふ,自ら恥ずるを慚とし,人に向かいて之を発露するを,愧(ぎ)とす。懺悔慚愧と,熟語としても用ゐらる」

として,『涅槃経』を引く。

「慚者,自不作罪,愧者,不教他作慚者,内自羞恥,愧者,発露向人,慚者羞天,愧者羞人,是名慚愧」

とする。

慚者羞天,
愧者羞人,

とは言い得て妙。天命,天寿,天理の「天」である。

『字源』は,「慙悸」を,

恥じて心動く,

とする。「悸」の字は,

「季は,作物の実る末の時期,転じて,兄弟のうち小さい末の子の意。小さい意を含む。悸は『心+音符季』で,心臓が小刻みに打つこと」

で,「動悸」のことである。だから,恥じてドキドキする,といった心臓の状態表現になる。「慙愧」は,

恥じている,

という心情そのものを指す。『漢書』に,

「終亡以報厚徳,日夜慚愧而已」

と用例があるらしい。「慚(慙)」の字は,

「斬(ざん)は,ざくざくと切り込むこと。慙は『心+音符斬』で,心に切れ目を入れられたような感じのこと。惨(さん つらい)と近い」

とあり,「愧」の字は,

「鬼(き)は,丸い頭を持つ亡霊のこと。丸い意を含む。愧は『心+音符鬼』で,心が縮んで丸く固まってしまうこと。恥ずかしくて気がひけた状態である。」

とある。

実は,「慚(慙)愧」に関心があった。よく,

罪悪感,

という言葉を使う。しかし,この言葉は,新しい。『岩波古語辞典』にも,『江戸語大辞典』にも載らない。『大言海』にも,「罪悪」で,

つみとが,
悪業,

という意味が載るのみである。億説かもしれないが,西洋思想,はっきり言って,キリスト教の影響下の言葉ではないか,と思う。罪悪感というのは,

どこかに善悪の基準があって,それと対比して,おのれを責める,

というニュアンスがある。『広辞苑』には,

道徳や宗教の教えなどに背く行い,

とある。だから,「罪悪感」は,

自分が犯罪を犯したと思う気持ち,

である。そこには,恥じ入る気持ちよりは,罪を犯したおのれを苛む気持ちが強い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E6%82%AA%E6%84%9F

には,

「自身の行動・指向・在り様などに関して、罪がある、あるいは悪いことをした、している、と感じる気持ち・感情のことである。自身の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれる。
一般に罪悪感と言う場合は、道徳や宗教的な戒律にそむいた場合などに生まれる感情として位置付けられる。
宗教的な戒律に反した場合、その結果とる行動には様々なものがあるが、例えばキリスト教などではひとつには懺悔(贖い)がある。」

とある。あるいは,

https://ameblo.jp/cky-se/entry-10660613376.html

は,罪悪感とは,

「1.行動が自分で決めた道徳的基準から外れ、やるべきでないことをやってしまった。(もしくは、しなければならないことをやり損なってしまった)
2.この「悪い行ない」は、自分が悪い人間であることを意味している。
この、『自分が悪いのだ』という概念が罪悪感の中心になります。
良心の呵責は、自分で決めた倫理の基準に違反して自分や他人を傷つけてしまった時、素直にそれを気がつくように起こってくるものです。
良心の呵責は、罪悪感とは違います。」

とある。「良心の呵責」もそうだが,「罪悪感」も,どこか,日本的ではない気がする。日本的なマインドの言葉ではないのである。

「罪」の字は,

「始皇帝のとき,この字が皇の字に似ているので,罪の字に改められた。罪は,『网(方の網)+非(悪いこと)』で,悪事のため法網にかかった人」

とある。「罪」の古字は,

「辠(ざい)」

の字で,確かに,「皇」の字に似ている。他に,

「辜(こ)」

の字も,「罪」の意である。「惡(あく)」の字は,

「亞(あ 亜)は,角型に掘り下げた土台を描いた象形文字。家の下積みとなるくぼみ。惡は『心+音符亞』で,下に押し下げられてくぼんだ気持ち,下積みでむかむかする感じや欲求不満」

とあるので,「惡」自体で,「むかむかする気持ち」が含まれる。

罪悪感,

は,漢字のニュアンスとは異なる造語に見える。

罪悪感の類語はないが,「罪悪感がある」となると,

後ろめたい,
後ろ暗い,
疚しい,

になる。「罪悪感」という言葉は,僕は好かない。どこか,

他律的,

で,他から,押しつけられた罪を背負わされている感じがつきまとう。それなら,

慚愧の念,

がいい。みずからの心の倫理(いかにいくべきか)に則って,おのれを恥じる。

漢字には,「はじる」意のものが,かなりある。

「恥」は,はぢ,はづると訓む。心に恥ずかしく思う義。重き字なり,論語「行己有恥」(己を行うに恥あり),
「辱」は,はずかしめなり,栄の反,外聞悪しきを言う。転じて賓客応酬の辞となり,かたじけなしと訓む,
「忝」は,辱にちかし,
「愧」は,見苦しきを人に対してはづるなり,醜の字の気味もあり,媿に作る,
「慙」は,慙愧と連用す,愧と同じ,はづると訓む。はぢとは訓まず。
「羞」は,はじてまばゆく,顔のあわせがたきなり,
「忸」「怩」は,共に羞づる顔,

とある。罪悪感は,

明らかに罪を犯したと感じて自らを苛んでいる,

という意味で,もしその罪の意識が正当なら,自業自得である。しかし,「慚愧」は,客観的な「罪」ではなく,

おのれを愧じている

のである。それはおのれの生き方(倫理)として愧じている。その意味で,

罪悪感,

は,当然そう感じるべきものであり,天に慚じる,

慚愧の念,

の方がいい。少なくとも,(天を意識して)おのれに対して羞じている心ばえがある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
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