2017年09月22日

豹変


「豹変」は,

「『易経』(革卦)君子豹変 小人革面」

が出典らしく,『広辞苑』には,

「(豹の毛が抜け変わって,その班文が鮮やかになることから)君子が過ちを改めると面目一新すること。また自分の言動を明らかに一変させること。今は,悪い方に代わることをいうことが覆い。」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hi/hyouhen.html

には

「『易経(革卦)』の『君子豹変す、小人は面を革む(あらたむ)』に由来する。これは、豹の毛は季節によって抜け替わり、斑紋が鮮やかになるように、徳のある君子は過ちを改めて 善い方に移り変わるが、小人(徳のない人)は表面的に改めるだけで本質は変わらないといった意味である。つまり、良い方へ変化することを言ったものだが、現在では悪く変わる意味でもちいられる。豹変が悪い方へ変化する意味となったのは、『小人は面を革む』までを含めたというよりも、『豹』という動物の恐ろしいイメージから連想させたものと思われる。」

とある。しかし,これでは,

君子豹変 
小人革面

と対にして,君子と小人を対比させ,

君子は丸ごと改まるが,小人は,ただ顔を改めるだけだ,

という意味にしかならない。ところが,『故事ことわざ辞典』

http://kotowaza-allguide.com/ku/kunshihyouhen.html

も,やはり,

「君子豹変す、小人は面を革む(君子が過ちを改めることは、豹の模様のようにはっきりしている。しかし小人はただ外面を改めるだけである)」

と解釈している。
 
『易経(えききょう)』「革」は,

「革は已日(いじつ)にして乃ち孚(まこと)とせらる。元(おお)いに亨(とお)りて貞(ただ)しきに利(よ)ろし(元亨利貞),悔ひ亡ふ。 」

と始る。「已日」は,

「已(すで)に至るの日とみすれば已日(いじつ)であり,また一説には,己日(きじつ)に読み,己は十干(じっかん)の己(つちのと)の意味で,十干は戊己が真ん中にあり,己の日になれば真ん中を過ぎる故に,盛りを過ぎて変革するべき時とする」

とある。つまり,

時宜を得し日,

となれば,ということになる。「元亨利貞(げんこうりてい)」は,

「元」(げん)は、始まりで芽をだすことと、そうなる力
「亨」(こう)は、成長することと、そうなる力
「利」は、果実を実らせることと、そうなる力
「貞」は、種子に完成することと、そうなる力

であり, 春夏秋冬に対応している,という。

「革は時至って孚(まこと)となる。」

とは,時機,を指す。

「元(おお)いに亨(とお)りて貞(ただ)しきに利(よ)ろし(元亨利貞),悔ひ亡ふ。」

とは,時機が正しければ,悔いはない,ということなのだろう。

「ものを革(あらた)めるには已日すなわち已(すで)に革むべき時に至って後にこれを革めれば,人々もこれを孚(まこと)ととして信服する。大いに亨(とお)るべき道すがら。ではあるが,みとよりその動機・実践ともに貞(ただ)しきことを利(よ)ろしとする。このようであれば,革新・革命を行っても悔いはきえてなくなる。」

という意味になる。これを前提に読まないと,その先の「彖伝(たんでん)」(文王の繫けたもの)、「象伝(しょうでん)」(周公の繫けたもの)の意味がよく読めないのではないか。たとえば,

「彖傳に曰く,革は水火相い息し,二女同居して,其の志の相得ざるを革と曰う。已日ににしてすなわち孚(まこと)とせらるるは,革めて之れを信ずるなり。文明にして以て説(よろこ)び,大いに亨(とお)り四時成り,湯武は命を革めて,天に順(したが)いて人に応ず,革の時、大なるかな。 」
「象傳に曰く、 澤中(たくちゅう)に火有るは革なり。君子以て厤(こよみ)を治め時を明らかにす。 」

と続く。そして,次のように「卦辞」(彖傳)と「爻位(こうい)」(象傳)が説明せられている。

「初九。鞏(かた)むるに黄牛の革を用う。
象傳に曰く,鞏(かた)むるに黄牛の皮を用うとは,以て為す有る可らざるなり。
六二。已日にしてすなわちこれを革(あらた)む。征けば吉にして咎なし。
象傳に曰く, 已日にしてこれを革むとは,行きて嘉きことあるなり。
九三。征けば凶なり。貞(ただ)しけれども厲(あやう)し。革言の三たび就(な)れば,孚(まこと)あり。
象傳に曰く, 革言三たび就れば,また何くにか之(ゆ)かん。
九四。悔亡ふ。孚(まこと)ありて命を改めれば,吉なり。
象傳に曰く, 命を改むるの吉とは,志を信ずればなり。
九五。大人(たいじん)虎変す。未だ占はずして孚(まこと)あり。
象傳に曰く, 大人(たいじん)虎変するとは,その文炳(あきら)かなり。
上六。君子豹変す。小人は面(つら)を革む。征れば凶。居れば貞(ただ)しくして吉なり。
象傳に曰く, 君子豹変すとは,その文は蔚(うつ)たるなり。 小人面(つら)を革むとは,順にして以て君に従ふなり。」

とある。

「君子豹変すとは,その文は蔚(うつ)たるなり。 小人面(つら)を革むとは,順にして以て君に従ふなり」

とある。つまり,この文意は,

君子豹変

小人革面

を対比しているのではない。この意味から考えると,『四字熟語図書館』

http://www.kokin.rr-livelife.net/yoji/yoji_ku/yoji_ku_3.html

の,

「豹の毛が夏や秋頃になると光沢鮮やかに一新される様を例えた言葉。 その自らの内に秘めていた信念や志を、時宜を得て一気に光芒させる様をいう。 現在では悪い意味で変化することに用いる場合が多いが、原義に悪い意味はない。
出典は易経の革の卦で、革の卦は時局が行き詰った時にそれをどのように革新するかの原理を説いたもの。 態度や主張を突如として塗り替えることを「小人革面」とし、君子豹変に従って小人すらも感化され、自然と面を革めると論じ、下よりの革新機運の醸成と共に徐々に推し進め、時宜を得て果決断行することの重要性を説く。」

の説明が,もっとも正確である。つまり,

君子が豹変すれば,小人も面を革める,

という意味である。だから,その前の,

「大人(たいじん)虎変す。未だ占はずして孚(まこと)あり。」

とセットと考えればいい。

「大人(たいじん)虎変するとは,その文炳あきらかなり。」
「君子豹変すとは,その文は蔚(うつ)たるなり。 小人面(つら)を革むとは,順にして以て君に従ふなり。」

岩波版は,

「大人虎変すとは,その毛の文様がさらに炳(あきら)な輝くことである」
「君子豹変すとは,その毛の文様が蔚(うつ)然として美しくなるということである。小人面を革むというのは,従順に新しい君に従うということである。」

と訳す。つまり,

「君子豹変す、小人は面を革む(君子が過ちを改めることは、豹の模様のようにはっきりしている。しかし小人はただ外面を改めるだけである)」

と解釈するのは間違っているのははっきりしている。

なお,『易経』については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/445726138.html

で触れた。

参考文献;
高田真治・後藤基巳訳注『易経』(岩波文庫)
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2016/12/26/094405
http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_144.html#note_g_284
http://www.kokin.rr-livelife.net/yoji/yoji_ku/yoji_ku_3.html

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 04:53| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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