2017年10月03日

フォーカシング指向


ユージン・T・ジェンドリン『フォーカシング指向心理療法〈上〉体験過程を促す聴き方』,『フォーカシング指向心理療法〈下〉心理療法の統合のために』を読む。

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既に,フォーカシングについては,ユージン・T.・ジェンドリンの,『夢とフォーカシング』

http://ppnetwork.seesaa.net/article/451725678.html

『セラピープロセスの小さな一歩』

http://ppnetwork.seesaa.net/article/451549527.html

について,それぞれ触れたことがある。本書は,

「『心理療法ではフォーカシングはこのように用いるのです。』という答えである」

と,監訳者の一人池見優氏は説明する。それは,こういう意味である。

「フォーカシング自体は治療法(エンジン)ではないので,ジェンドリンは『フォーカシング療法』という名称には『うん』と言えないのである。しかし,その種々の心理療法では必要なものなので,種々の心理療法を行うセラピストたちには,その重要性を認識してもらいたいのである。本書の下巻で見ていくように,種々のセラピーに,少しだけでもフォーカシングを取り入れることで,セラピーは変わってくるのである。だからこそ,フォーカシング指向心理療法なのである。」

と。本書の特色は,下巻の,フォーカシングを媒介とした種々の療法との統合の実践例である。だからこそ,監訳者は,「本書はプロ向き」と呼んだのである。

ジェンドリンは,「臨床心理の統合的視点」で,こう書いている。

「諸流派の枠や流派ごとの説明を取り除くと,諸技法の本当の違いが見えてくる。つまり,セラピーを構成しているのは,まったく種類の異なる多様な体験なのである。私はこれを治療の『道筋』(therapeutic avenues)と呼ぶ。治療場面に登場しうるものには,イメージ,ロールプレイ,言葉,認知的信念,記憶,感情,情動的カタルシス,対人的相互作用,夢,ダンスの動き,筋肉運動,習慣的行動がある。これらの道筋には,セラピーを構成している材料そのものが異なっているという意味で実質的な違いがある。
 流派の違いは道筋の違いではない。(中略)それぞれの技法は,理論的背景を異とする別な流派に属していても,それらをまとめた道筋という観点から再分類することができる。」

そして,

「流派や技法はすべて,硬くこだわればこだわるほど,心理療法の妨害になる。常に優先されるべきは,クライエントその人,その人とセラピストの今ここでの関係なのである。(中略)人は,誰か(who)なのであって,何(what)ではない。この一人の人間は,ここに生きている存在,私たちの目の前にいるその人なのである。そして,その人は,一刻一刻新たにそこにいるのであり,理論や技法ではとらえきれない存在なのである。
 理論の間違った使い方はもう一つある。体験過程の分化の次の一歩は予測できないという点を見逃してしまうことである。…感じられた辺縁(edge)の中に1,2歩踏み込むことで,一見おなじみの体験や出来事から予測もつかない新しい発見がもたらされるのである。」

と。大事なのは,

「内面で流れている体験過程である。」

だからこそ,

「クライエントに『自分のからだで…感じる』ことを求めることで,セラピーで用いる別の道筋の意義も深まる」

と。ジェンドリンは,「日本語版への序」で,身体とのかかわりについて,こうポイントを書いている。

「気をつけて見ておきたいことは,『からだ』に入っていくというときに,すべてをバイパスして平和なところ,瞑想的な『からだだけ』といったところに入っていくことがあるが,フォーカシングはそこまではいかない。フォーカシングは中間にある。それは確かに『からだ』を扱っているのだが,ここで言う『からだ』は状況を抱えたからだ,問題を抱えたからだ,状況を生きているからだなのである。…フォーカシングでいう『からだ』は,状況-内のからだである。」

もうひとつ,

「フォーカシングは本当は二つのことなのである。それは,私たちの中に『からだ』が,たった今の生の感覚を浮かび上がらせてくれるような,深いところがあることへの気づき(アウェアネス)であり,また人にその気づきを持つことを援助することなのである。それはいつも現在形なのである。(中略)さらに,そこには,たった今の状況や目の前にいるこの人,といった新しい状況もあり,そこから新たな体験的な一歩が開かれてくる。…もしも,このレベルの気づきが人の中で解放され,そこから語ることができるようになれば,それが深い意味でのフォーカシングなのである。(中略)フォーカシングは人を,概念の下にある,あるいは言葉の下にある,あるいは言葉の周りにある深い部分に導いてくれる。そこには常にもっと広いものがある。『からだ』が語り始めてくる下の方の部分には,常に(言葉や概念的理解)『~より以上』のものがある。」

ただし,ジェンドリンは,繰り返し留意を求める。

「フォーカシングを神秘的なものにしてはならない。『フォーカシング』が意味するのは,ある問題についての最初のはっきりしないからだの感覚のそばに居続けることであり,その目的と結果はそこから新たな体験的一歩が生まれることである。フォーカシングは小さな扉である。この扉を通して自分が見つけたものすべてに『フォーカシング』という名前を与えたがる人がいる。しかしそれは違う。フォーカシングとは,問題に関してからだで感じる違和感に注意を向けること,それだけなのである。これはこのまま単純にしておかなくてはならない。そのほうが誰にでもわかりやすい。」

そうした「からだを感じる」フォーカシングを接点に,セラピーの道筋に沿って,

ロールプレイ,
体験的な夢解釈,
イメージ,
情動的カタルシス,
行動ステップ,
認知療法,
超自我,
価値観,

とたどって行く。特に,

クライエントとセラピストの関係,
それを「セラピー」と呼ぶべきかどうか

の最後の二章は,セラピープロセスを,微に入り細に穿って,セラピストとクライエントとの関係の機微にわたって詳細である。根幹は,

相互作用,

である。ひとつは,

クライエントとクライエントのからだとの,

いまひとつは,

セラピストとクライエントとの,

である。だから,そこに,フォーカシングが機能する。ジェンドリンは,

「問題が奥深いほど,…フォーカシング指向療法はクライエント中心療法である。」

とし,その相互作用を,

「体験された関係は,身体的で具体的なものである。それは関係について語られる内容ではない。また,二人の人がお互いをどう感じ,どう思っているかでもない。関係とは,それぞれの時点で具体的に進行している相互作用なのである。」

とし,そのために,次のように,ポイントを挙げている。

(セラピストとクライエントとの)間に何も挟まない,
セラピストが関わるのは「その中にいる人」である,
その人の奥深くに流れている連続性がある,
セラピーは二人の人間の間の率直で本物の関係である,
相互作用の中で,(セラピストとクライエントは)それぞれ別個の任怨気である,

そして,セラピーと呼べるかどうかは,

「クライエントにとって,治療(セラピー)的過程がおこっているかどうか」

であると。

参考文献;
ユージン・T.・ジェンドリン『フォーカシング指向心理療法〈上〉体験過程を促す聴き方』(金剛出版)
ユージン・T.・ジェンドリン『フォーカシング指向心理療法〈下〉心理療法の統合のために』(金剛出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 05:03| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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