「お茶を濁す」とは,
「いいかげんにその場をごまかす」
意として使われる。
『大言海』は,「御茶」の項で,
「おちゃを濁すとは,つくろひごとをする。まやかす。ごまかす。糊塗。抹茶をたつる作法を深く知らぬ者の,程よくつくろひてする意に起これる語にてもあるか」
と,歯切れが悪い。『日本語源広辞典』
「『抹茶を立てる作法が十分に分からず,適当に濁してごまかす』が語源です。いい加減なことをして,その場をとりつくろう意です。『茶番劇の行き詰まりをごまかす』のが語源とする説(吉田説)は,用例と見るべきで,疑問です。」
としている。「茶番劇の行き詰まりをごまかす」説があるということだが,「茶番」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/435545540.html
で触れたように,
「江戸時代に歌舞伎などの芝居の楽屋で、茶番(下働き)が下手で馬鹿馬鹿しい短い劇や話を始めたことから、茶番=下手な芝居、馬鹿げた芝居、という意味になったようです。『茶番劇』というのは、茶番がやるような下手な劇という意味です。現代では本当の芝居ではなく、結末が分かりきっているような馬鹿馬鹿しい話し合いなどを茶番劇と言います。」(http://whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-392.html)
ということで,ごまかすもなにも,もともと「ばかばかしい寸劇」で,「お茶を濁す」行為そのものだから,という意味なのだろう。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/otyawonigosu.html
も,
「茶道の作法をよく知らない者が程よく茶を濁らせて、それらしい抹茶に見えるよう 取り繕うことから生まれた言葉である。出されたお茶の濁り具合を話題にして、その場 しのぎで話を逸らすところから『お茶を濁す』と言うようになったとする説もあるが、後から 考えられた俗説と考えられる。」
と,「お茶の作法を知らぬものの誤魔化し」説である。また,その由来が,いまひとつピンとこない。しかし,
http://wisdom-box.com/origin/a/ochanigosu/
に,
「その場しのぎでいい加減に取り繕ったり、誤魔化したりすることを『お茶を濁す』と表現しますが、どうしてお茶を濁しちゃうのでしょう?かつて、お茶は大変貴重なものであり、貴族や僧侶だけの特別な飲み物でした。茶道の作法を知らない一般人が程よく茶を濁らせて、それらしい抹茶に見えるように取り繕ったことから、この表現が生まれたそうです。」
とある。それで思い出したが,落語に『茶の湯』というのがある。詳細は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%B9%AF_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)
http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2004/10/post_21.html
等々に詳しいが,
「家督を息子にゆずった隠居は、小僧の定吉をともなって郊外で暮らし始めたが,毎日することがなく、退屈をしている。隠居は『退屈しのぎに、完備されていたものの放置していた茶室と茶道具を使って、試しに茶の湯をやってみよう』と定吉に提案する。隠居は茶の湯のことを何も知らなかったが、定吉に対し知ったかぶりを決め込み、抹茶のことを『何といったか、あの青い(=緑色の)粉があれば始められる』と言って、定吉に買いに行かせる。定吉が乾物屋で買ってきたのは抹茶ではなく青きな粉(=青大豆を原料にしたきな粉)だったが、隠居は茶の湯について出まかせの説明をしながら、炭を山積みにした炉で火をもうもうと起こし、茶釜を火にかけて湯を沸かし、青きな粉を釜の中に放り込んでかき混ぜ、どんぶりに注いで、茶筅でかき回してみる。しかし、ふたりが考えていたような、泡立った茶にはならない。隠居は『思い出した。何か泡の立つものが必要だったのだ』と言い、定吉をふたたび走らせてムクの皮の粉を買って来させ、茶釜に加えてみる。どんぶりに注ぐと、今度はイメージしたような姿の茶になったのでふたりは喜び、飲んでみるが、たちまち腹をこわし、雪隠と寝床を行ったり来たりするようになる。」
という次第の,お馴染みの大騒動になるのだが,思えば,「茶をたてる」をごまかすのを揶揄した噺には違いない。
http://biyori.shizensyokuhin.jp/words/gogen/1731.html
には,「お茶を濁す」の由来について,
「お茶にまつわるいくつかの説が存在しています。茶道でお茶を点てるときには決まった作法があり、当然、作法を知らない素人は正しくお茶を点てることはできません。しかし、適当にお椀にお湯と抹茶を入れてかき回したとしても、それらしい色のお茶にすることはできます。このように、素人が適当な作法でお茶を濁らせてお茶を点て、その場を取りつくろった様子から『お茶を濁す』という表現になったとされています。
この由来とは別に、ここでいう『お茶』は抹茶ではなく、緑茶などの一般的なものであるという説もあります。お茶の淹れ方は簡単なものではなく、湯温や分量、時間がうまく合わないと、渋みや苦味が出て濁ったお茶になってしまいます。そのように適当に淹れたお茶を客人に出した状況から、その場を取りつくろうという意味がついたともいわれています。」
とある。しかし,「茶」は,別の謂れから来ているのかもしれない。「茶々を入れる」や「お茶目」の項,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/440686901.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/453974476.html?1507233707
で触れたように,「茶利」と当てて,
ふざける,
という意味をもち,だが,その名詞は,
(人形浄瑠璃や歌舞伎で)滑稽な段や場面,また滑稽な語り方や演技,
という意味が載る(『岩波古語辞典』)。『大言海』は,「茶利」を,
「戯(ざれ)の転」
として,
洒落,おどけ口,諧謔,又おどけたる文句,
という意味を載せる。その流れからか,『江戸語大辞典』は,「茶」の項に,
遊里用語,交合,
人の言うことをはぐらかすこと,
ばかばかしい,
という意味が載り,それを使った,
茶に受ける(冗談事として応対する),
茶に掛かる(半ばふざけている),
茶に為る(相手のいうことをはぐらかす,愚弄する),
茶に暮らす(真面目な問題も茶化して暮らす)
茶に為る(相手の言うことをはぐらかす,侮る)
茶に成る(軽んずる,馬鹿を見る),
茶を言う(いい加減なことを言う)
等々という使われ方を載せていて,
ちゃかす(茶化す),
はその流れにある。この流れから,
お茶を濁す,
を見直すと,
茶に濁す,
という意味でも受け取れなくない。つまり,
冗談にする,
という意味である。その意味で,大真面目に,「茶をたてる」をごまかすという説を,江戸ッ子は,
茶に濁す,
して,笑い飛ばしたかもしれない。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%B9%AF_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)
http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2004/10/post_21.html
http://biyori.shizensyokuhin.jp/words/gogen/1731.html
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
ラベル:お茶を濁す