2017年10月08日

足を洗う


「あし」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/453183118.html

で触れたが,

タチ(立)の転(玄同放言),

という説がある。二足歩行の根幹だから,当然,「足」にまつわる言い回しは,たくさんある。『広辞苑』には,

足が上がる,
足が地につかない,
足が付く,
足が出る,
足が早い,
足が棒になる,
足が向く,
足に任せる,
足の踏み場もない,
足を蹻(あ)げて待つ,
足を洗う,
足を入れる,
足を奪われる,
足を限りに,
足を重ねて立ち目仄(そばだ)てて視る,
足を食われる,
足をすくう,
足を擂粉木にする,
足を空に,
足を出す,
足を付ける,
足を取られる,
足を抜く,
足を伸ばす,
足をはかりに,
足を運ぶ,
足を引っ張る,
足を踏み入れる,
足を棒にする,
足を向けて寝られない,
足を休める,

等々,まさに「足」は歩く意味でも,性根でも,痕跡でも,貶めるでも,多様な含意がある。気になるのは,

「足を洗う」

である。『広辞苑』には,

「賤しい勤めをやめて堅気になる,悪い所行をやめてまじめになる,また,単にある職業をやめることにも言う」

とある。『岩波古語辞典』には,

「賤しい身分や職業から抜け出して,より上の境遇になる,近世後期には,非人仲間から再び平民に復することや,遊び人・芸妓娼等々が堅気になることに多く用いた。」

とある。『江戸語大辞典』をみると,

「①跣で歩いていた足を洗って座上に上がる。②非人・乞食の仲間に落ち入った者が,仲間へ祝儀銭を出し一定の式をして再び良民に戻る。ただし累代はもとより父母以来の非人・乞食は許されぬ。」

とあり,「江戸後期」という意味がよりつぶさにわかる。

「〈足を洗う〉という表現が語る言語変化」

http://alce.jp/journal/dat/13_134.pdf

では,「足を洗う」の意味を二冊の辞書を調べて,

『日本語慣用句辞典』(米川,大谷,2005,pp. 15-16)では,『好ましくない職業・事柄・生活を断って離れてよい状態になる。好ましくない事柄は必ずしも社会的評価によるものではなく,話者の評価による。心理的にきっぱりと離れてという意識が強い時には,一般的には好ましくないとは考えられないことにも使う」という解説がなされる。…『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(北原,2007,p. 12)では,この慣用句を解釈した後,『単に離れる意で使うのは不適切』と指摘し,誤用例として,『制作部から足を洗って,経理部に異動になりました』と『教育の世界から足を洗ってもうだいぶたつ』の 2 例を挙げる。つまり,この慣用句は悪事をやめる意味のほかに,ただ仕事をやめる意味で
も使えるのか,両辞典で相反する解説がなされる。」

と,二様の意味の評価について書いている。この流れで見ると,どうも,本来は,

「賤しい身分や職業から抜け出して,より上の境遇になる」

ということが始りのように見えてくる。しかし,『大言海』は,

「佛教大辭彙(大正三年)安居(あんご)の條,『釈迦,云々,臥床より起ち,盥嗽して,衣を着けて,禅室に入り,袈裟を被り,鉢を携へて,外へ出で食を乞ふ,行化(ぎゃうげ)より帰り,足を洗ひ,比丘衆を集めて,法義を説く』徒跣(はだし)にて歩む,毎朝の事なり,乞食(こつじき)するは,僧たる者の。当然の境涯なり」

を引用し,

「往時,良民の零落して,非人,乞食の群れに入り者の,錢を出して其仲間を脱し,再び良民の籍に復するを,足を洗ふと云ひき,名詞形として,アシアラヒとも云ふ。移りては,娼妓,芸妓,遊芸人,水商売など止めて,素人となるをも,アシヲアラフと云ふ。」

という意味の他に,

「足を万里の流れに濯(あら)ふと云ふは,世外に超然たる意を言ふ語なり。」

と,この世俗世界を超越する意味,を載せる。そして,

「左思詠史『被褐出闔閭高歩追許由,振衣千仞岡濯足萬里流』」

を引く。とすると,

賤しい身分や職業から抜け出して,より上の境遇になる,



世俗世界を超絶する,

との,真逆の意味があることになる。『日本語源広辞典』は,

「『足+を+洗う』で,僧が一日の托鉢の後,寺へ戻るために足を洗うことから出た語なのです。転じて,悪い仲間や悪い世界から抜け出す意につかいます。」

とある。とすると,僧が托鉢から帰って,寺域へ戻る」という意味をメタファにすれば,

世俗世界を超絶する,

という言葉が比較的原義に近い,ということになる。それをメタファに,

賤しい身分や職業から抜け出して,より上の境遇になる,

意へと転じさせた,ということになる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/ashiwoarau.html

も,

「仏教から出た言葉。 裸足で修行に歩いた僧は寺に帰り、泥足を洗うことで俗界の煩悩を 洗い清めて仏業に入ったことから、悪い行いをやめる意味で用いられるようになった。 その意味が転じ、現代では悪業・正業に関係なく、職業をやめる意でも使われるようになった。イエス・キリストは弟子の足を洗い、『互いに足を洗うことで、信頼関係を結びなさい』というメッセージを残したと言われ、これを語源とする説もあるが、意味も異なるため関連性は認められない。」

としている。あるいは,

http://biyori.shizensyokuhin.jp/words/gogen/1731.html

にも,

「仏教の思想では、寺の中は救いの世界、寺の外は迷いの世界という考え方があるそうです。そして昔の僧は、一日中はだしで外を歩いて修行をしていたため、一日の修行を終えて寺に帰る頃には足が泥だらけになっていたといいます。そのため、寺の外の煩悩も洗い清める意味も含め、僧は修行後に寺へ入る前に足を洗う習慣があったそうです。僧が足を洗う様子と、寺の内と外の世界の違いという仏教の思想がひとつになり、『足を洗う』という表現が悪いことをやめる意味で使われるようになりました。」

聖俗の境界での,ひとつの象徴的行為とみなせば,たとえば,『日本語源大辞典』が,

「大阪新町の遊女が身請けされる時,または年季を勤め上げて廓を出るとき,東西両門の外にある井戸で足を洗ったというが,従いがたく,古往,インドで托鉢僧がはだしで乞食をし,庵に帰って足を洗って法談をしたことより起こった語(上方語源辞典=前田勇)」

と「従いがたし」といういい方こそ,「従いがたい」と思えるはずだ。おのれを,インドの僧に準えて,おのれが廓という苦界から出られる象徴として,そういう井戸があった,としても別に何のおかしくもないのである。そう考えると,長年携わった職業を転じるとき,「足を洗う」というには,離脱,あるいは,卒業の含意が含まれている。その意味でその使いかを是非するのは,無粋である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

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posted by Toshi at 05:18| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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