2017年10月19日

夢の利用


W・ボニーム『夢の臨床的利用』を読む。

夢の臨床的利用.jpg


フロイトの『夢判断』については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452252107.html

で触れたが,著者は,「まえがき」で,

「私は,パーソナリティを基本的に対人関係のかかわり合いの中で発達していくものと見なしている点で,伝統的な精神分析的見解とはちがっている。人のパーソナリティは,性的あるいはその他の本能の表れであり,本質は本能であり,その発達したものであるとは考えない。むしろ反対に,この性的行動は他の行動と同様に,根本的に社会的に生み出されたパーソナリティを反映している。」

と,ホーナイの流れを汲んで,

「自己との対決」

という中で,夢を分析していく。因みに,カレン・ホーナイについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/450812938.html

で触れた。

本書は,タイトルに,「臨床的利用」とある以上,「序章」で,

「本書の目的は,夢の資料を実際に役立てるための作業仮説や,その仮説から導き出される諸技法を系統だてて紹介することである」

というように,基本,

「専門家のために書かれたものであり,また実際的な本」

である。それは,

第一に,夢を四種類の要素(活動性,人格像,周囲の状況,感情)に分類して考える,
第二に,連奏活動についてのアプローチ,
第三に,解釈活動についての考察,

という三つの基本的アプローチからなされている,と著者はいう。著者の夢の考え方は,四つの要素に,象徴されている。

たとえば,「(夢の)活動性」とは,「パーソナリティの働きの重要な面を映し出」し,それは,

「治療や夢が関与する事柄全てには,変化のプロセスが,必ず本質的に存在しているものである。」

として,

「分析治療全体を通して,次のような問題意識をいつも持ち続けている必要がある。それはまず,患者に特徴的な動きとして,どのようなものがみられるだろうか。こうしたことは,どれも似かよった動きなのだろうか。あるいは調和した,協応的な動きなのだろうか,それとも葛藤的な動きなのだろうか。その方向や強さは,どうなっているのだろうか。また患者の思考の働きや感情の動きは,どのような性質を備えており,患者は,他者に対してどのように働きかけ,どのように応じているのだろうか。さらにて病理性は,消失していきつつあるのだろうか。それとも,古い病理が,顕在化してきているのだろうか。また,健康になってきているのだろうか。それとも患者は,変化することに抵抗し,逆らっているいるのだろうか。あるいはその両方が,ともに起こっているのだろうか。さらに患者は,分析家の治療に協力的なのだろうか,それとも妨害的なのだろうか。あるいは,その両方の動きが含まれているのだろうか。以上あげたようなことが,治療における動きの問題であり,こうしたことが,夢の中の活動性によって反映され,強調されているプロセスなのである。」

と書く。今日読むと,クライアントの見方も,セラピストの姿勢も,隔世の感がある。

さらに,「(夢の)人格像」は,

「夢の中の登場人物の正体を明らかにするのに役立つだけではなく,具体的なパーソナリティ特性を明らかにしていくのにも役立つ」

もので,

「夢における人格像は,人それ自体というよりもむしろ,人びとの持っている諸々重要な属性を表してることの方が多い。この属性は,患者自身の属性ということもあれば誰か他の人物の属性ということもある。このようにして描きだされた属性は,(一),覚醒時に患者が考えていることとは本質的に異なっているが,的確な知覚であることもあるし,(二),患者が気づいていなかったり,認めたくないと感じている患者自身や他の人(特に分析家)についての歪んだ知覚のこともある。」

とし,夢の中の人物が誰にしろ,

「患者,あるいは別の人のある属性として」

表れてくる,という。経験の反映だから,それはあるのだろうが。。。

「(夢の中の)周囲の状況」とは,

「夢の中で活動がなされたり,人格像が登場する場面はもちろんのこと,自然を形作っているすべての風物や,文明の諸産物のこと」

で,「活動性や,人物像や,感情といった夢の各要素をみきわめたり,その意味を明確にしてゆく上で助けになる」

とされる。

「(夢の中の)感情」には,

「象徴化された感情と,体験された感情」

とがあり,

「象徴化された感情というのは,夢を見ている時には実際に感じられていないけれども,活動性や,人格像や,周囲の状況といったような夢の要素のいずれかによって推測される感情的な構成要素である。それに対して体験された感情というのは,夢を見ている間に,現に体験されている感情的な構成要素のことである。」

そして,感情が鍵らしいのである。

「分析家と患者が協力して,覚醒時と夢に見られる感情を可能な限り詳しく探り,そして評価する努力を傾けるならば,他の方法ではとても手に入らないような患者に関する情報が,新たに見つけ出される。見い出された感情に注意を集中させながら連想活動を行うことによって,その感情と関連のある思考や行動の意味を,深く理解することができるようになる。こうした感情に焦点を当てる手続きを取らない限り,患者の思考や行動は,自己欺瞞と混乱の渦の中に落ち込んでしまい,どうしようもないままになってしまう。こうした感情に焦点をあてようという努力は,しばしば夢を探求していくことによってうまく促進されるし,成果があがるものである。事実,夢が臨床的に役立つかどうかということは,夢の中の感情にどれだけ注意が払われているかということと正比例しているのである。」

それにしても,回り道をしながら長い長い時間がかかる分析治療の,分析家と患者の忍耐には感嘆させられる。

よく,「フロイト派の分析治療を受けている患者はしばらくすると,フロイト派の言う象徴のゆめをみ」,「ユング派の分析家に分析を受けている患者はユング派の象徴の夢をみ」ると言われる。それは,夢が経験と学習の記憶の整理のためだという近年の説を象徴するように思える。だから,夢に本人の人生や生き方が反映していることは間違いはない。しかし,それに意味づけをすることの効果について,僕には,是非を言う資格はない。

今日夢を扱うセラピーの中で,どう取り上げられているのかは知らないが,本書を,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452252107.html

で取り上げたフロイトの『夢判断』と,さらに,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/451725678.html

で取り上げた,ジェンドリンの『夢とフォーカシング―からだによる夢解釈』とを読み比べると,夢がセラピーの中で位置づけを小さくしていく様子が見える。夢は,実体験をなにがしか反映している。そこにある事柄の意味よりは,感情に意味があるに違いはない。しかし,今日のセラピーは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/453570328.html

で取り上げたように,ほぼ夢は,取り上げない。ある意味,夢は,

ドミナント・ストーリー

に拘束された意識のものでしかないからなのかもしれない。

参考文献;
W・ボニーム『夢の臨床的利用』(誠信書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

posted by Toshi at 05:14| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください