2017年10月23日
こころ
「こころ」は,
心,
と当てる。『広辞苑』には,
「禽獣などの臓腑のすがたを見て,コル(凝)またはココルといったのが語源か。転じて,人間の内臓の通称となり,更に精神の意味に進んだ」
とあり,始原,臓器を指していたということになる。「心」の字も,
「心臓を描いたもの。それをシンというのは,沁(シン しみわたる)・滲(シン しみわたる)・浸(しみわたる)などと同系で,血液を細い血管のすみずみまで,しみわたらせる心臓の働きに着目したもの」
と,同じ発想である。
『岩波古語辞典』には,
「生命・活動の根源的な臓器と思われていた心臓。その鼓動の働きの意が原義。そこから,広く人間が意志的,気分・感情的,また知的に,外界に向かって働きかけていく動きを,すべて包括して指す語。類義語オモヒが,じっと胸に秘め,とどめている気持ちをいうに対して,ココロは基本的には物事に向かう活動的な気持ちを意味する。また状況を知的に判断し意味づける意から,分け・事情などの意。歌論では,外的な表現の語句や,形式に対して,表現しようとする歌の発想,趣向,内容,情趣などをいう。」
とあり,「こころ」が必ずしも情緒的な意味よりは,心臓がそうであるように,活動的な含意を持っていた,とするのには,ちょっと驚かされる。『大言海』にも,
「凝り凝りの,ココリ,ココロと転じたる語なり,サレバ,ココリとも云へり。万葉集廿三十一『妹が去去里(ここり)』神代記に,田心姫(タコリヒメ)とあるも,ココリなるべきか。凝海藻(コロブト),自凝島(オノコロジマ),同趣なり(凍(こ)い凝る,寒凝(コゴ)る,凝凝(コゴ)しき山。禮代(キャジリ),ゐやしろ。拾(ひろ)ふ,ひりふ)。沖縄にて,心の事を,ククルと云ふ,キモ(肝臓)と云ふ語も,凝物(コリモノ)の略にて…臓腑の事なり。『こころぎも』『きもこころ』『きも向ふ心』『叢ぎもの心』なども云ふ」
とあり,あくまで冷静に見ている「臓腑」を指す。語源も,そこから来ていると見ていい。
だから,『日本語源広辞典』は,
「『コゴル』が語源です。体の中にあるモヤモヤしたものが,凝り固まったものをココロと言い表したのです。心の存在する場所を心臓としたのは,中国の影響かと思われます。現代的に表現すると,『人間の精神のはたらきを凝集したもの』が,心です。万葉東国方言は,ココリです。」
と,必ずしも臓器由来を取らないが,「凝(こ)る」説をとり,この説が大勢のようだ。たとえば,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83
は,
「心(こころ)の語源はコル・ココルで、動物の内臓をさしていたが、人間の体の目に見えないものを意味するようになった。」
とするし,佐方哲彦(和歌山県立医科大学)氏も,
http://www.mukogawa-u.ac.jp/~clipsyst/mandarage98.pdf
で,
「『こ ころ』 の語源をたどってみると 、『 コル』 に行き着く。これはもともと獣禽類の臓腑の様態を指すことばであり、それが人間の内臓の様態の意味に転じ、さらに現在の意味へと変化したという。つまり、かつて人間は『こころ』を身体の中に実在するモノと考えていたことがわかる。」
としている。
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-308.html
も,
「『凝る』という言葉に由来するという説がまずある。かつて狩猟などをしていたが、鹿などの禽獣を狩って、その獲物の腹を切り裂くところころ凝ったものが出てくる。その臓物を見てコル(凝)とかココルとか言い、それが、人間の内臓の通称になり、やがて精神を表す言葉になったというのだ。」
とする。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ko/kokoro.html
は, 少しその説に疑問のようだが,
「『凝々(こりこり)』『凝々(ころころ)』『凝る(こごる)』などから『こころ』に転じたとする『凝』の字を当てた説が多く見られるが、正確な語源は未詳である。漢字は心臓の形をかたどったものとされ、中国語では心臓の鼓動と精神作用が結びつけて考えられていた。『万葉集』には『肝向ふ 心砕けて』とあり、日本語の『こころ』も、『きも(肝臓)』に向かい合う、心臓を意味する言葉であったとされる。中古以後に、『こころ』は臓器としての『心臓』の意味が薄れ,漢語の『心(しん)』に代わり、『心の臓』という形で『心臓』を意味するようになった。」
と,「こる」はともかく,臓器を指していたこととしている。しかし,『日本語源大辞典』をみると,「こる」といっても,
コリコリ(凝凝)の約転か(大言海・古事記伝),
コロコロ(凝々)の約(俚言集覧),
コゴル(凝)の義(日本釈名・方術源論・東亜語源志=新村出),
コル(凝)の義を強めてコの音を重ねた語ココルのルをロに轉じ名詞化した語(国語の語幹とその分類=大島正健),
ココリ(小凝)の義(名言通),
ココとコリ固まった物であるところから。ロは所の意で,そのウツロをいう(本朝辞源=宇田甘冥),
火凝の義(類聚名物考),
等々と,どこか語呂合わせ行くのが,『語源由来辞典』ではないが,「正確な語源は未詳である」と言いたくなる。この他の語源説には,
語根コロに接頭詞コがついた語(神代史の新研究=白鳥庫吉)
ココは爰,ロは所の義か(和句解),
所ハの義,ココは此所,ロは接尾語(俚言集覧),
コ(小)のある処の意。コ(小)は点の意(日本古語大辞典=松岡静雄),
ココは心動がコツコツというところから。ロは場所の意か(国語溯原=大矢徹),
等々,「此処」という場所からという説がある。特別の場所ということだろうが,動物の臓腑由来には,ちょっと勝てない気がする。
その他には,「うらなう」
http://ppnetwork.seesaa.net/article/452962348.html
で触れたように,「心=裏」から来ているという説もある。たとえば,
ココロ(心)はココロ(裏)の義。ココロ(神)はカクレ(陰)の義(言元梯),
諸物に変転するところから,コロコロ(転々)の義(百草露),
ココはもとカクス・カクル(隠)の語幹カクと同源のカカ。本来隠れたもの・隠しているものの義(続上代特殊仮名音義=森重敏),
等々もあるが,「こころ」が抽象度を増して,精神や心情を表現するようになってからの後解釈に見える。そもそも「気持ち」自体が,中国語「気」+「持ち」なのだから。
語呂合わせなら,いっそのこと,前出の,
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-308.html
の載せる,
「日本の神話の万物を創造したとされる『伊邪那岐(イザナギ)』『伊邪那美(イザナミ)』…の宇宙創造の働きにおいて『塩 (しほ)コーオーロー コーオーロー』という…『塩』は、陰と陽、相対に分かれるすべての要素であり、それらを組み合わせると宇宙の全てが出来上がっていくというのである。その塩を使って宇宙創造の作用が発生する時に『コーオーロー』と響いたという。それが『ころころ』となり、そしてやがて『こころ』になってきたというのである。」
という説のほうが,よほど面白く感じてしまう。
なお,「こころ」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163490.html
で触れたことがある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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