「虎の尾」とは,もちろん,オカトラノオのことではない。
(オカトラノオ〔丘虎の尾〕)
通常,
虎の尾を踏む,
という言い方で使われる。
極めて危険なことをするたとえ,
として使われる。因みに,「虎」の字は,
虎の全形を描いた象形文字,
とされている。さて,「虎の尾を踏む」は,『易経』「履卦」が出典とされる。その冒頭に,
「虎の尾を履(ふ)むも人を咥(くら)わず。亨(とお)る。
彖(たん)に曰く,履(り)は,柔にして剛を履むなり。説(よろこ)びて乾に応ず。ここをもって虎の尾を履むも人を咥わず,亨るなり。剛中正にして,帝位を履みて疚しからず。光明あるなり。
象に曰く,上,天にして下,沢なるは履なり。君子もって上下を弁(わか)ち,民の志を定む。」
とある。訳には,
「履は人の常に履むべき道,礼にあたる。剛強の人に対しても礼にかなった柔順和悦の態度で接すれば,危険はない。あたかも虎の尾を履みつけても虎からかみつかれる心配はないのと同じで,願いごとは亨であろう。
〔彖伝〕履は柔(兌)が剛(乾)を履む象であり,説(よろこ)んで(兌)乾に応ずるという意味になる。だから虎の尾を履むも虎は人を咥わず,亨るのである。剛(九五)が中正の位に在るのは,帝位を履んで内心にやましいところがなく,光り輝いて明るい徳をそなえたかたちである。
〔象伝〕上に天(乾)があり下に沢(兌)があり,上下卑高の秩序がはっきりしているのが履である。君子はこれにのっとって上下貴賤の階級を分かち民心を安定させることにつとめる。」
とある。よりはっきりするのは,「虎の尾を履んでもくらわれることはない」という卦ということだ。真意は,そこにはなく,
人の常に履むべき道,礼にあたる。剛強の人に対しても礼にかなった柔順和悦の態度で接すれば,危険はない,
というところにある。しかし,どうやら,
虎の尾を踏む,
だけが独り歩きを始め,危険なことの象徴として,
龍の鬚を撫で虎の尾を履む,
と,セットで言い回されるようになる。『平家物語』には,
「只今もめしや籠められずらんと思ふに,龍の鬚をなで,虎の尾をふむ心地せらにれけれども」
という用例が載る。どうも,このセットは,和製ではないか,という気がする。
龍の頷(顎 あぎと)の珠を取る,
という諺がある。
龍のあごのしたの宝玉を取る,
という意味である。
虎穴に入らずんば虎子を得ず,
と似た意味で,
ある目的のために気丈に危険を冒すたとえ,
である。『荘子』(列禦寇)の,
「夫れ千金の珠は必ず九重の淵と,驪竜(りりょう 黒い龍)の頷の下に在り」
が出典である,とされる。
驪竜頷下(リリョウガンカ)の珠,
とも言う。しかし,
「龍の鬚を撫でる」
の出典は分からなかった。「龍」の字は,
「もと,頭に冠をかぶり,胴をくねらせた大蛇の形を描いたもの。それにいろいろな模様をそえて龍のじになった。」
とある。
「龍の鬚」「虎の尾」と似た,危険なことの象徴に,
逆鱗,
があり,
逆鱗に嬰(ふ)れる,
という言葉がある。これについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/447506661.html
で触れた。
参考文献;
高田真治・後藤基巳訳『易経』(岩波文庫)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm