2017年11月06日

虚無僧


「こも(薦)」の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/454666694.html?1509825463

「こも」は,

(「虚無」とも書く)薦僧(こもそう)の略,

との意味もあった。『岩波古語辞典』には,

こもそう(虚無僧・薦僧),

で載り,

「コモゾウ・コムソウとも」

とある。では,「虚無僧」とは何か。

虚無僧.jpg

(尺八を吹く虚無僧)


『広辞苑』には,

「(室町時代の普化宗(ふけしゅう)の僧朗庵が宗祖普化の風を学んで薦の上に座して尺八を吹いたから,薦僧(こもそう)と呼んだという。また一説に,楠正成の後胤正勝が僧となり虚無と号したからともいう)普化宗の有髪の僧。深編笠をかぶり,絹布の小袖に丸ぐけの帯をしめ,首に袈裟をかけ,刀を帯し,尺八を吹き,銭を乞うて諸国を行脚した。普化僧。こもそう。」

と載る。普化宗については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E5%8C%96%E5%AE%97

に詳しい。朗庵については,

http://myouan-doushukai.org/

に詳しい。他も大同小異だが,

「尺八を吹いて物ごいをする僧。薦 (こも) 僧,ぼろんじ,暮露 (ぼろ) ,ぼろぼろともいう。初めは薦をたずさえて流浪する者の称であったと思われる。鎌倉時代,中国普化 (ふけ) 宗の流れをくむ日本の天外明普が虚無宗を開き (永仁年間) ,京都白川で門弟を教導し,尺八吹奏による禅を鼓吹したのに始る。世は虚仮で実体がないと知り,心を虚しくすることからその名があるという。江戸では青梅の鈴江寺,下総小金の一月寺,京都では明暗寺に属し,天蓋 (編笠) をかぶり袈裟を着け尺八を吹いて托鉢して回った。仇討ちの浪人や密偵などが世を忍んで虚無僧となった者も多い。百姓,町人はなれないなどの規則もあったが,のち門付け芸人ともなった。江戸時代中期頃から,尺八を得意とする者で,派手な姿で伊達 (だて) 虚無僧となった者もある。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

「尺八を吹きながら家々を回り、托鉢(たくはつ)を受ける僧。薦(こも)僧、菰(こも)僧というのが本来の呼び名で、諸国を行脚(あんぎゃ)して遊行(ゆぎょう)の生活を送り、雨露をしのぐために菰を持ち歩いたからである。ぼろを身にまとって物乞(ものご)いしたので、暮露(ぼろ)とも梵論字(ぼろんじ)(梵論師)ともよばれた。普化(ふけ)僧ともいう。普化宗は禅宗の一派で、中国の唐代の普化和尚(おしょう)を始祖とし、法燈(ほっとう)国師覚心(かくしん)が宋(そう)から日本に伝来したという。覚心は紀伊国(和歌山県)に興国寺を開山し、宗旨も広まり多くの流派ができた。
 虚無僧寺としては、京都の明暗寺、下総(しもうさ)小金(こがね)(千葉県松戸市)の一月寺(いちがつじ)、武蔵(むさし)青梅(おうめ)(東京都青梅市)の鈴法寺(れいほうじ)などが著名であった。普化宗では、心を虚(むな)しくして尺八を吹き、虚無吹断を禅の至境とした。近世初期には武士以外の入宗(にっそう)を認めず、また幕府も自由の旅を許すなどの特典を与えたが、浪人や無頼の徒が身を隠す手段に利用し、乱暴をはたらくなどの弊害が続出した。普化宗は1871年(明治4)に廃宗となり、88年に京都に明暗教会が設立されたが、虚無僧は宗教から離れ、尺八修業の方便か物乞いの手段かになって影を潜めた。僧とはいいながら半僧半俗で、多くは有髪(うはつ)で、天蓋(てんがい)と称する深編笠(ふかあみがさ)をかぶり、着流しで、首から袈裟(けさ)と頭陀袋(ずだぶくろ)をかけた。手甲(てっこう)・脚絆(きゃはん)なども着けた。古くは草鞋(わらじ)を履いたが、江戸時代の中ごろから高下駄(たかげた)を履くようになった。出没自在、腕のたつこと、無頼性など、不思議な魅力をもつところから、時代劇では善玉としても悪玉としても、しばしば脇役(わきやく)として登場する。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%84%A1%E5%83%A7

には,詳しく,

「普化宗は中国(唐)の普化を祖とし、日本には臨済宗の僧心地覚心が中国に渡り、普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受け、張参の弟子「宝伏」ら4人の居士を伴い、建長6年(1254年)に帰国し紀伊由良の興国寺に普化庵を設けて住まわせたことに始まる。古くは、『こもそう(薦僧)』ということが多く、もと坐臥用のこもを腰に巻いていたところからという。
虚無僧は『僧』と称していながら剃髪しない半僧半俗の存在である。尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧[1]とされており、多く小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯した。はじめは普通の編笠をかぶり、白衣を着ていたが、江戸時代になると徳川幕府によって以下のように規定された。
托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯を前に結び、腰に袋にいれた予備の尺八をつける。首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には『天蓋』と呼ばれる深編笠をかぶる。足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。
旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。なお、よく時代劇で用いられる『明暗』と書かれた偈箱(げばこ)は、明治末頃から見受けられるようになったもので、虚無僧の姿を真似た門付芸人が用いたものである(因みに「明暗」に宗教的な意味合いはなく、『私は明暗寺(みょうあんじ)の所属である』という程度の意味である)。江戸時代には、皇室の裏紋である円に五三の桐の紋が入っており、『明暗』などと書かれてはいなかった。江戸期においても偽の虚無僧が横行していたが、偽虚無僧も皇室の裏紋を用いていたようである。
慶長19年(1614年)に成立したという『慶長掟書』(けいちょうじょうしょ)には『武者修行の宗門と心得て全国を自由に往来することが徳川家康により許された』との記述があるが、原本は徳川幕府や普化宗本山である一月寺、鈴法寺にも存在しないため、偽書ではないかと疑問視されている。罪を犯した武士が普化宗の僧となれば、刑をまぬがれ保護されたことから、江戸時代中期以降には、遊蕩無頼の徒が虚無僧姿になって横行するようになり、幕府は虚無僧を規制するようになった。
明治4年(1871年)、明治政府は幕府との関係が深い普化宗を廃止する太政官布告を出し、虚無僧は僧侶の資格を失い、民籍に編入されたが、明治21年(1888年)に京都東福寺の塔頭の一つ善慧院を明暗寺として明暗教会が設立されて虚無僧行脚が復活した。」

とある。

「虚無僧」の謂れは,

「コモ(薦)+僧」

で,坐臥用の薦を腰に巻いていたところから来たようだが,『大言海』には,「こもそう(薦僧)」の項で,

「野宿の時など,坐臥の具とすべく,腰に,薦をつけて居る故の名なり(後に,宿無しの乞食を,コモカブリとも,コモとも云ひしも同趣なり),後に禅宗の普化宗の徒の称となりても,コモソウと呼べり。虚無僧など云ふは,薦を嫌ひて,禅めかして云ひし造語なるべし。閑田耕筆(寛政)二,薦僧『今は云々,文字も虚無と改めたるは,この徒,普化禅師を拠所となし,禅宗なれば,後世,荘(かざ)りて書くならむかし』」

として,最初に,

「乞食僧の類。有髪にして,刀を帯し,常に,薦を携へて,諸国を廻り,尺八を吹きて,米錢を乞ひ歩きしものなり。暮露(ぼろ)の変じたるものと云ふ」

と載せ,

「ぼろぼろの草子(明惠上人作と伝ふ)虚空坊と云ふボロ,云々,『その後に,コモソウと云ふ者,僧とも見えず,俗とも見えず,山伏とも見えず,刀をさし,尺八を吹き,背中に蓆を負ひ,道路をありき,人の門戸に寄りて,物を乞ひもらふ,是れ,ボロボロの流なりと言伝えたり』」

を引く。面白いことに,その後に,

「後に,普化宗の宗徒を,コモソウ,虚無僧,普化僧となどと云ひ,是も,尺八を吹きつつ,人の門戸に立ちて。米錢を乞へり。江戸時代,元禄の頃まで,其の服装は,白布の單(ひとえ)を上に着て,袈裟をかけ,散髪にして,浅く開きたる編笠をかぶりき。後には,衣服伊達になり,藍又は,鼠色の服を着て,丸ぐけの帯を,前にて結び,帯の背に,尺八の空嚢を挟み垂れ,別に,袋入りの尺八を,刀の如く腰にさし,黒漆の下駄をはき,頭に天蓋とて,長く深く,頤まで被ふ編笠をかぶり,人の取りて,面を合わするを禁じたり。明治に至り,普化宗,廃せられて止めり。」

と,普化僧の説明が続く。この説明でいくと,はじめに,

乞食僧,

があり,この場,編笠は必需品ではなく,乞食の様相である。後に,普化宗が,似た服装で,同じ門戸を訪うので,

虚無僧,

と重なった,と言うように見える。つまり,江戸時代,幕府の規定した

「托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯を前に結び、腰に袋にいれた予備の尺八をつける。首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には『天蓋』と呼ばれる深編笠をかぶる。足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。
旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。」

以降が,

虚無僧,

で,その場合,はじめは浅い編笠,後に深い編笠をかぶっていた。それ以前は,やはり,乞食僧の,

薦僧,

で,厳密にいえば,虚無僧とは,別なのではあるまいか。『大言海』の見識を見せた項かもしれない。この,

薦僧,

こそが,いわゆる,

乞食行(こつじきぎょう),

と重なるのではあるまいか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
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今日のアイデア;
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posted by Toshi at 04:57| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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