「乞食」は,
「コツジキの転」
と,『広辞苑』にある。「こつじき(乞食)」は,
僧が人家の門に立ち,食を乞い求めること,托鉢,
の意味である。それが転じて,
物もらい,こじき,
に転ずる。「こじき(乞食)」も,托鉢の意味はあるが,室町末期の『日葡辞典』でも,既に,「こじき」を,
ものもらい,
としている。『大言海』も,「こつじき」の項で,物もらいの意味しか載せない。『岩波古語辞典』は,「こつじき」の項で,
僧が在家を托鉢して回ること,頭陀,
転じて,物もらい,
とし,「こじき」の項で,「コツジキの転」として,
托鉢,
物もらい,
と載せる。「頭陀」は,「杜多」とも当て,
衣食住に対する貪欲を払いのける修行,十二種あり,十二頭陀行という,
僧が行く先々で食を乞い,露宿などして修行すること,
で,
「煩悩(ぼんのう)を除去すること。いっさいの欲望を捨てて仏道を修行することをいう。パーリ語のドゥタdhuta、サンスクリット語のドゥータdhtaの音写語。『洗い流すこと』『除き去ること』が原意。玄奘(げんじょう)は『杜多(ずだ)』と新訳。頭陀の修行徳目を『頭陀支(ずだし)』といい、パーリ系では13支、大乗系では12支をたてる。たとえば、〔1〕ぼろ布を綴(つづ)ってつくった衣(糞掃衣(ふんぞうえ))のみの着用、〔2〕托鉢(たくはつ)で得た食物でのみ食事をすること、〔3〕森林処に住むこと、などで、それらは仏道修行者の衣食住に関する最小限度の生活規定であった。頭陀の修行徳目を実践している僧を頭陀者といい、単に頭陀とも略す。また、行脚僧(あんぎゃそう)が首にかけている袋を頭陀袋という。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)
とくある。「頭陀袋」は,その僧が,経文や食器などを入れて首にかける袋,である。「托鉢」にっいては,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2
に詳しいが,
「托鉢(たくはつ、サンスクリット:pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。」
とある。
閑話休題。
で,「こつじき(乞食)」であるが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F
に,
「本来は仏教用語で『こつじき』と読む。比丘(僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。
上の意味が転じて、路上などで物乞いをする行為。具体的には他人の憐憫の情を利用して自己のために金銭や物品の施与を受けることをいう。」
とある。「十二頭陀行」とは,
http://digi-log.blogspot.jp/2007/06/blog-post_03.html
に,
1.糞掃衣…糞掃衣以外着ない
2.三衣…大衣、上衣、中着衣以外を所有しない
3.常乞食…常に托鉢乞食によってのみ生活する
4.次第乞食…托鉢する家は選り好みせず順に巡る
5.一坐食…一日に一回しか食べない
6.一鉢食…一鉢以上食べない
7.時後不食…午後には食べない
8.阿蘭若住…人里離れた所を生活の場とする
9.樹下住…木の下で暮らす
10.露地住…屋根や壁のない露地で暮らす
11.塚間住…墓地など死体の間で暮らす
12.随所住…たまたま入手した物や場所で満足する
13.常坐不臥…横にならない。座ったまま。
とあり,
http://blog.goo.ne.jp/0000cdw/e/f750d1129a61233cd2eb123b9540decf
に,多少順序が違うが,
[1] 人家を離れた静かな所に住する。
[2] 常に乞食(こつじき)を行ずる。施し物のみを食し、生産活動を一切なさない。
[3] 乞食するのに家の貧富を選ばず、人家が並んでいる順に回り、食を乞う。
[4] 一日に一食。乞食は午前のみ。
[5] 食べ過ぎない。
[6] 中食(ちゅうじき昼食)以降は、飲み物もとらない。
[7] ボロで作った衣を着る。
[8] ただ三衣(さんね)のみを個人所有する。
三衣は別名・乞食衣(こつじきえ)。端切れを繋ぎ、縫い合わせたボロ衣。「三衣一鉢」ともいいます。三衣のほかに、食物の布施を受けるための鉢ひとつ、坐具,水濾し器をあわせた『六物』のみの所有が認められていた。
[9] 墓地、死体捨て場に住する。
[10] 樹下に止まる。
[11] 空地に坐す。
[12] 常に坐し、横臥しない。
を挙げる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F
に,
「古代インドのバラモン階級では、人の一生を学生期・家長期・林住期・遊行(遍歴)期という、四住期に分けて人生を送った。このうち最後の遊行期は、各所を遍歴して食物を乞い、ひたすら解脱を求める生活を送る期間である。またこの時代には、バラモン階級以外の自由な思想家・修行者たちもこの作法に則り、少欲知足を旨として修行していた。釈迦もまたこれに随い、本来の仏教では修行形態の大きな柱であった。
特に釈迦の筆頭弟子であったサーリプッタ(舎利弗)は、五比丘の一人であるアッサジ(阿説示)が乞食で各家を周っている姿を見て、その所作が端正で理に適っていることに感じ入り、これを契機に改宗して弟子入りしたことは有名な故事である。このように仏教では乞食・行乞することを頭陀行(ずだぎょう)といい、簡素で清貧な修行によって煩悩の損減を図るのが特徴である。
また、僧侶は比丘(びく)というが、これはサンスクリット語の音写訳で、「食を乞う者」という意味である。これが後々に中国で仏典を訳した際に乞食(こつじき)、また乞者(こっしゃ)などと翻訳されたことにはじまる。」
とあるのが詳しい。
乞食(『和漢三才図会』(正徳2年(1712年)成立)より)
http://www3.omn.ne.jp/~imanari/howahuse.html
に,こんな逸話が載っている。
「昔、インドで釈迦が説法を行っていた頃のこと。坊さんたちは、人間の生きる道を人々に説いて廻っていた。(中略)
ある日のこと。いつものように説法をして各家々を廻っていたときのこと。ある貧しい家で、「たいへんよいお話を聞き、生きる希望が湧いてきました。しかし、ご覧の通り、私の家は貧乏で、お坊様にあげる物は何一つありません。」
『差し上げられる物といえば、赤ん坊のおしめに使っているこの布ぐらいです。』
『このような物でもよければ・・・。』
お坊さんは、ありがたくその糞に汚れて、洗ってはあるものの、黄色くなっている布をいただいた。お坊さんは、その布を寄せ集め、四角い布をつぎはぎして衣を作り着たのです。インドの服装分かりますか? サリーという肩に掛けて纏う着衣です。これが、お袈裟の起源です。袈裟って、よく見ると、小さな布をつぎはぎしてできているのですよ。今度、お坊さんが着ているのを見たら、よく見てみてください。首からかける絡子(らくす)もそうです。そして、基本の色は黄土色なのです。糞掃衣(ふんぞうえ)と言います。」
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm