「オットー・ネーベル展」
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/
に伺ってきた。
サブタイトルが,「シャガール,カンディンスキー,クレーの時代」である。オットー・ネーベルの時代ではなく,オットー・ネーベルは,その時代に生きた,ということなのだが,なかなか含蓄のあるタイトルになっている気がする。
https://www.enjoytokyo.jp/museum/event/1416899/
に,
「マルチな才能を持った芸術家オットー・ネーベルは、1920年代半ばにワイマールに滞在し、美術学校・バウハウスでカンディンスキーやクレーと出会い長きにわたる友情を育みました。その活動初期から晩年までのバリエーション豊かな作品を一挙展示。
建築、演劇、音楽、抽象、近東など彼が手がけた主要なテーマに沿って、クレーやカンディンスキー、シャガールなど同時代の画家たちの作品とあわせて紹介されます。若き日のバウハウス体験に始まり、素材や作品の肌合いを追求し続けた画家ネーベルの知られざる画業を楽しんでみては。」
とあるように,
展示が,ときどき,シャガール,カンディンスキー,クレーの作品を並べているために,ネーベルの作品と取り間違えるほどで,もちろん,異なるのだが,三者の影響を強調する意図の展示のために,かえって,ネーベルの存在感が薄らぐ気がした。こちらが,カンディンスキーも,クレーもよく知らないというせいかもしれないが。
それにしても,たとえば,「避難民」(1935年),
あるいは,「輝く黄色の出来事」(1937年),
あるいは,「聖母の月とともに」(1931年)
等々,ちょっと気になった作品は,どこか既視感がつきまとう。こちらの先入観のせいだろうか。僕には,終生の付き合いとなった,カンディンスキーとクレーの大きな翳から必死で抜け出ようとしている,と見えた。特に,1936~51年の年譜には,
カンディンスキーがヒラ・フォン・レバイを通してニューヨークのグッゲンハイム財団にネーベルを推薦。1951年までグッゲンハイムはネーベルから絵画を購入することで大いに支援する,
と,財政的にも支援をもらっているカンディンスキーの影響は大きかったのではないか,という気がする。
そして漸く行き着いたのは,ルーン文字シリーズの「満月のもとのルーン文字」(1954年),
と,《中東シリーズ》の「ミコノス」,
などで,独自の世界を見つけたように見える。しかし,正直,カンディンスキーやクレーの影響下の作品に比して,輝きが少ないと,感じた。僻目であろうか。
観終わって,僕が感じたのは,この人の成長,というか作品作りの軌跡そのものが,このオットー・ネーベルという人の作品世界なのだ,ということだ。そしてそれは,
シャガール,カンディンスキー,クレーの時代,
そのものなのだ,と。そして,人が画家になる,とはどういうことか,どういう軌跡を描くのか,ということを,シャガール,カンディンスキー,クレーという同時代の巨人との格闘を通して,そのオットー・ネーベルという人の画業の軌跡で示しているように思えた
参考文献;
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/about.html
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/nebel.html
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
【関連する記事】