2017年12月30日
八つ当たり
「噓八百」に関連して,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/455851358.html?1514491886
の項で,「や(八)」は,『岩波古語辞典』に,
「ヨ(四)と母音交替による倍数関係をなす語。ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根」
とあり,「八」という数の意の他に,
無限の数量・程度を表す語(「八雲立つ出雲八重垣」),
で,
「もと,『大八洲(おほやしま)』『八岐大蛇(やまたのおろち)』などと使い,日本民族の神聖数であった」
とするし,『大言海』も,
「此語彌(いや)の約と云ふ人あれど,十の七八と云ふ意にて,『七重の膝を八重に折る』『七浦』『七瀬』『五百代小田』など,皆數おはようございます。多きを云ふ。八が彌ならば,是等の七,五百は,何の略とかせむ」
と,「彌」説には反対しつつも,「八」の意が,数多いことを表してきたことを強調している,と触れた。
「やつ」について,『日本語源大辞典』は,
ヨツヨツ(四四)の義で,ヨツ(四)の転(百叢露),
四を重ねた数で,ヨツ(四)の転。ヨツは弥津の義(和訓栞),
イヤツ(弥津)の義で四方と四隅の倍になる意(十數伝),
ヤハス(和)の義(名言通),
と語源説を並べた上で,
「現代語の『やっつ』は江戸時代の『やつ』から生まれた語。ただし『八つ目うなぎ』などでは『やっつ』といわない。『いや(弥)』と関係ありとする説があるが,『やつ(八)』は『よつ(四)』の語幹母音o(乙類音)とaと替えることで倍数を表したものともいわれる。類例に,『ひとつ⇔ふたつ』がある。」
とあり,『大言海』の
「八が彌ならば,是等の七,五百は,何の略とかせむ」
とは,卓見である。
『日本語源広辞典』は,
「「ヤツ(八方)+当たり」
として,
無関係の四方八方の人に当たり散らすこと,
とするが,「八つ当(た)り」の「八つ」も,
数の多い意にも用いる,
と,多数という含意である(『広辞苑』)。この「つ」は,
箇,
個,
と当て,
数詞の下に添えて数を表す語,
で,「ひとつ「ふたつ」と使うが,『古事記』にも,
五百(いお)箇(つ)真榊(まさかき),
という用例があり,『大言海』は,
「数詞の下に付きて,言ひ据えて数へゆく語。又,数を分つ辭」
とある。なお,
「此語,十進以上にては,チ,又,ヂ,とも轉ず」
とあり,「はたチ」「みそヂ「百(もも)チ」「五百(いほ)チ」「千(ち)ヂ」と用いる。
なお,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12125061797
には,
「八つ当たりの意味は、二つあるようです。
1.目当てもなくあれこれとことを行ない、偶然に、ある結果を得ること。 類:紛(まぐ)れ当たり
2.誰彼の区別なく当たり散らすこと。怒りを関係のない人にまで撒き散らすこと。
いずれの場合も、一方だけではなくて、あちらこちらに当たるという意味があるようです。
それで語源は八方、あらゆる方角と言うことのようです。あらゆる方角にあるものに手当たり次第に当たり散らすと言うことでしょうか。良く、四方八方と言いますね。
http://www.yuraimemo.com/1505/
ネットにあったもう一つの語源は次のようなものです。
昔富士山と八ヶ岳が、どちらが高いかで論争になりました。釈迦が、水を注ぐと水は、低い方、つまり富士山に流れたそうです。それに起こった富士山が、八ヶ岳の頭を水を入れていた桶でたたいたら、八ヶ岳の頭は八つに割れ、富士山より低くなりました。
これが八つ当たりの語源という説です。
http://peacetours.exblog.jp/3789121」
という説も載っていた。「八」が仏教の「八万地獄」や「八万奈落」の「八万」関連づけたりするのは,仏教にかこつけたいということなのだろうか。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください