2018年01月02日
むつき
「むつき」は,
睦月,
と当てる。陰暦正月の異称,とある。
むつびのつき,
むつびづき,
とも。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%88
には,「むつき」の異称を,
いわいづき・いはひづき(祝月)、かげつ(嘉月)、かすみそめづき(霞染月)、たんげつ(端月)、しょげつ(初月)、しょうがつ(正月)、けんいんづき(建寅月)、げんげつ(元月)、たいげつ(泰月)、たろうづき(太郎月)、さみどりづき(早緑月)、としはつき(年端月、年初月)、はつはる(初春)、むつき(睦月)
等々と挙げている。
「むつびつき」の「むつび」は,
睦び,
と当て,
慣れ親しんで心安くなる,
親しみ,親睦,
の意である。だからか,たとえば,『日本語源広辞典』の,
「『睦まじく行き来するする月』です。むつびの月,の意です」
とか,
http://xn--cbktd7evb4g747sv75e.com/2014/1109/mutukisiwasu/
「正月に親しい者が集まり睦み合うという事から『睦び月』より付けられました。」
とか,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E7%9D%A6%E6%9C%88
「睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、新年を迎え、親族一同集って宴をする「睦び月(むつびつき)」の意であるとするものである。他に、『元つ月(もとつつき)』『萌月(もゆつき)』『生月(うむつき)』などの説がある。」
とか,
http://book.geocities.jp/ukoku_leo/sub1/old_month_1.html
「親類知人が互いに往来し、仲睦まじくする月からとする説が有力とされる。その他、稲の実をはじめて水に浸す月で、『実月(むつき)』が転じたとする説。元になる月で、『もとつき』が『むつき』に転じたとする説がある。」
とか,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/mu/mutsuki.html
「睦月は、親類知人が互いに往来し、仲睦まじくする月からとする説が有力とされる。その他、稲の実をはじめて水に浸す月で、『実月(むつき)』が転じたとする説。 元になる月で、『もとつき』が『むつき』に転じたとする説がある。」
とか,
https://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%88
「睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、親族一同集って宴をする『睦び月(むつびつき)』の意であるとするものである。他に、『元つ月(もとつつき)』『萌月(もゆつき)』『生月(うむつき)』などの説がある。」
等々,ほぼ「仲睦まじくする月からとする説が有力」としている。しかし,それは,
睦月,
と当てた漢字からの推測で,その字が当て字であるなら,何の意味もなさない解釈である。しかし,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/455892480.html?1514665631
で触れたように,『大言海』は,「むつき(睦月・正月)」の項で(『日本語源広辞典』は,季節が合わないので疑問とするが),
「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」
とし,
「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』
を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っている。そもそも,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/455913434.html?1514751938
で触れたように,「とし(年)」が,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4
に,
「日本語で『とし』とは、『稲』や穀物を語源とし、一年周期で稲作を行なっていたため『年』の意味で使われるようになったという。ちなみに、漢字の『年』は禾に粘りの意味を含む人の符を加え、穀物が成熟するまでの周期を表現した。」
とあるのだから,なおさら農事に関わると,僕は思う。『大言海』も,
「爾雅,釋天篇,歳名『夏曰歳,商曰祀,周曰年,唐虞曰歳』。注『歳取歳星行一次,祀取四時一終,年取禾一熟,歳取物終更始』。疏『年者禾塾之名,毎年一熟,故以為歳名』。左傳襄公廿七年,註『穀一熟為一年』。トシは田寄(たよし)の義,神の御霊を以て田に成して,天皇に寄(おさ)し奉りたまふ故なり,タヨ,約まりて,ト,となる」
としている。因みに,「年」の字も,
「『禾(いね)+音符人』。人(ニン)は,ねっとりと,くっついて親しみある意を含む。年は,作物がねっとりと実って,人に収穫される期間を表す。穀物が熟してねばりを持つ状態になるまでの期間のこと。」
とあり,「歳」の字も,
「『戉(エツ 刃物)+歩(としのあゆみ)』で,手鎌の刃で作物の穂を刈り取るまでの時間の流れを示す。太古には種まきから収穫までの期間をあらわし,のち一年の意となった。穂(スイ 作物のほがみのる)と縁が近い。」
と,同じである。「むつき」だけが,その一年の流れと無関係であるとは,ちょっと信じられない。しかし,『日本語源大辞典』も,『大言海』をのぞくと,
互いに往来してむつまじくするところからムスビツキ(睦月)の略(奥義抄・和邇雅・類聚名義抄・兎園小説外集・壺蘆圃漫筆・本朝辞源=宇田甘冥・日本語原学=林甕臣・ことばの事典=日置昌一・国語意識史の研究=永山勇),
が多く,他は,
観月の義(安斎雑考・和訓栞),
モトツツキの約(語意考),
モトツキ(本月)の略(菊池俗語考),
陽気が地中から蒸すところからムシツキの義(嚶々筆語),
モツキ(最月)の転か(俚言集覧),
モユツキ(萌月)の約という(古今要覧稿),
ウムツキ(生月)の義(和訓栞),
ムツキ(孟月)の義。ムは,「孟」の呉音(和語私臆鈔),
と並ぶ。しかし,一月に皆が集う,というのは,「暦」の考えが入ってからのはずである。「こよみ」は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6
に,
「『こよみ』の語源は、江戸時代の谷川士清の『和訓栞』では『日読み』(かよみ)であるとされ、定説となっており、一日・二日...と正しく数えることを意味する。ほかに、本居宣長の『一日一日とつぎつぎと来歴(きふ)るを数へゆく由(よし)の名』、新井白石は『古語にコといひしには、詳細の義あり、ヨミとは数をかぞふる事をいひけり』などの定義がある。」
とあり,日を次々重ねるのを指す。他方「暦(『こよみ』と読ます)」は,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ko/koyomi.html
に,
「720年の『日本書紀』には、朝鮮半島から渡来した暦博士によって暦が初めて作られ、持統四年の勅令で暦法が公式に採用されたと記されている。」
とある。仮に,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6
の言うように,
「中国の暦が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。」
だとして,この「暦」の考え方を前提にしてしか,「むつびづき(睦び月)」の解釈は生まれないように思う。しかし,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C
にあるように,
「考古学の進展から水田稲作の渡来時期が5世紀早まり、紀元前10世紀には渡来し、長い時間をかけて浸透していった可能性が高い事がわかったため、有力視されていた説が揺らぎ、朝鮮半島を経由する説の中にも下記のように時期や集団規模などに違いのある複数の説が登場している。
紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上した戦争遺民(池端宏2008年)
支石墓を伴った全羅南道の小さな集団が水田稲作を持ち込んだ(広瀬和雄2007年)
風張遺跡(八戸)から発見された2,800年前の米粒は食料ではなく貢物として遠くから贈られてきた。」
と稲作の渡来は,早ければ紀元前10世紀とされる。暦の渡来の二百年前である。そうした農作業している人間にとっては,一年は,穀物の実りと収穫と共にある。「むつき」が,それにともなう「こよみ」と無縁であるとは到底思えない。
「魏志倭人伝」〔3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)〕の裴松之注に,
魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀,
(その俗正歳四節を知らず.ただ春耕秋収をはかり年紀となす)
とある。まさに,
春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている,
である。これが我々祖先の「こよみ」である。「むつき」は,これに基づくのだと思う。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm
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