2018年01月04日

まぐれ


「まぐれ」は,

まぐれあたり,

の「まぐれ」である。「まぐれあたり」は,

紛れ当り,
紛れ中り,

とあてる。だから,

まぎれあたり,

とも言う。

偶然に当たること,
図らざるに中ること,

の意である。『大言海』には,「あぐれあたり」は,

まぎれあたりの訛,

とある。「まぐれ(紛れ)」は,

まぎれること,

の意である。『江戸語大辞典』には,

転じて,逸れること,

とあるが,『広辞苑』には,さらに転じて,

偶然,

となり,「まぐれ」だけでも,

まぐれ当たり,

の意となる。どうやら,

紛れる→逸れる→たまたま→まぐれあたり,

と,良い方の価値表現に転じて入ったものらしい。『日本語の語源』は,「まぐれ」について,

「『眼前に霧がかかる』という意のマギル(目霧る)は『区別しがたい』意のマギル(紛る)・マギレル(紛れる)・マギレ(紛れ)になったが,それぞれマグル・マグレル・マグレに転音した。マグレアタリ(紛れ当たり)」

としている。「まぎれる(紛れる)」は,今日,

物の中に入り混じって目立たないようになる,しのび隠れる,
弁別できなくなる,
あれこれと事が多くて忙しい,
筋道が分からなくなる,
他の物事に心が移る,

といった意味で使われるが,その語源は,『語源由来辞典』に,

マギル(目霧)の転か(大言海),
目霧の義か(和訓栞),
メガヒアルル(目交荒)の義(日本語原学=林甕臣),
ミキレル(見切)の義(名言通),
マキル(間切)の義(言元梯・国語の語幹とその分類=大島正健)
マは間,ギは限を極めない意,マギルはマギ入の約(国語本義),

と並んでいるが,いま一つはっきりしない。

「まぐれ」というと,つい「ゆうまぐれ(夕間暮れ)」という言い方を思いつくが,この「まぐれ」は,

「目暗れにて,目くれふたがりて,物の見えぬ頃なれば云ふか」(『大言海』),
あるいは,
「目昏れの意」(『岩波古語辞典』),

とあり,この「まぐれ」は,

眩れ,

と当て,

まぐるること,めくらむこと,眩暈(『大言海』)
目がくらむ,転じて,気を失う(『岩波古語辞典』)

という意味になるので別のように思える。しかし,『日本語源広辞典』は,「まぎれる(紛れる)」の語源について,

「『マ(目)+クル(暗る)』で,紛るの下一段活用がマギレルです。入りこんで区別のつかない意です。心が奪われてそのことを忘れてしまう意です。マギラス,マギラワス,マギラワシイは同源です。」

とあり,「まぐれ(眩れ)」の「まぎれ」と,「まぎれ(紛れ)」の「まぎれ」とほぼ同じ由来と見なしているようにみえる。

『日本語の語源』は,「まぐれ(眩れ)」について,

「『目を離さないでじっと見つめる』ことをメモル(目守る)といったのがマモル(守る)になった。『目くらむ,めまいを感じる』意のメクル(目眩る)はマクル(眩る)になった。」

とある。一方は,眩しくて,「まぐれ(眩る)」,他方は,物の形が定かならなくて,「まぐれ(紛れ)」,いずれも,定かに物の区別がつかない状態であることに変りはない。

ここからは億説だが,一方は,眩しさで,「まぐれ(眩れ)」,他方は,ぼんやりと「まぐれ(紛れ)」まったく区別をつけたのは,「眩」と「紛」の漢字ではなかったのか。光りが眩しくて弁別が付かないのか,影と陰の区別がつかずぼんやりとしていて弁別が付かないのかの区別はなく,いずれも,

まぐれ,

だったのではあるまいか。もともとは,

まぎれ,

だったのではないか,。「眩」と「紛」を当てはめることで,光の眩しさと,夕暮れの眩しさとが,区別された。「夕間暮れ」ににつて,

「『まぐれ』は目暗れの意」(『広辞苑』)
「マグレはマ(目)クレ(暗)の意」(『岩波古語辞典』)
「マグレは目暗(まぐ)れにて,目のくれふたがりて物の見えぬ比を云ふ」(『大言海』)

とあるのは,「眩れ」よりも「紛れ」の「まぐれ」に思えてならない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)


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