2018年01月07日

おあいそ


「おあいそ」は,

御愛想,

と当てる。「おあいそう」とも言うが,

「愛想(あいそ)」を丁寧に言う語,

であるが,同時に,

お勘定,

の意でも用いる。「お世辞」「愛想も小想も」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/414077255.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/420698200.html

で触れたことがあるが,「愛想」は,語源は,

「愛(愛らしい)+相(様子)」

とある。

「愛」という字の,「旡(カイ・キ)」は,象形文字で,腹が一杯になって胸をつくさま,で,「欠」(腹が減ってしぼむ)の反対。で,「つまる」「いっぱいになってつかえる」といった意味を持つ。「夂」は,下向きの足の形を描いたもの。「降」,「各」(足が使える),「逢」等々,足を示す印として用いられる。で,「足」や「行きなやんで足が遅れる」という意味を持つ。

「愛」は,

「心+夂(足を引きずる)+旡」

で,心が切なく詰まって,足もそぞろに進まないさま,

を表し,「いとおしむ」「めでる」「かわいがる気持ち」という意味を持つ。

「想」は,「相+心」だが,「相」は,「木+目」で,気を対象に目で見ること,AとBとが目で向き合う関係を表し,「ある対象に向き合って対する」意を含む。で,「互いに」「二者の間で」「みる」「たすける」といった意味をもつ。「心」は,心臓を描いたもの。「滲」「沁」「浸」等々と同系。血液を血管の隅々まで,沁み渡らせる心臓の働きに着目したもの。「心臓」「こころ」「真ん中」といった意味になる。

で,「想」は,ある対象に向かって,心で考えることを意味する。

「愛想」は,好意を持って,相手にひたすら向き合う,

という意味となるのだろうか。

好意の互恵性というのがあって,

「他者から好かれると,その人を好きにならずにはいられない」

という説がある。

第一には,好意的な自己概念を求める欲求がある,
第二には,自己評価と類似した意見の他者を好む傾向がある,

という仮説がふたつあることによるらしいが,お愛想,という言い方をすると,世辞に似たニュアンスがある。

「何のお愛想もできませんで,失礼しました」
とか
「どうも愛想なしで」

という言い方をする。

「御愛想尽かし」の意味の勘定をしてくれ,から,「おあいそ」となったという説がある。

別の説では,お店側が,「御愛想がなくて申し訳ありません」「愛想づかしなことではありますが」と断りながら,勘定書を示したというのもあるが,それがだんだん短くつまって「あいそ」,ちょっと丁寧に「おあいそ」となり,いつしか「おあいそ」だけで勘定の意味を持つようになり,客のほうも、自分からその言葉を使うようになった,という。

まあ,支払いを画期に,両者のもてなし,もてなされ関係が,一旦(双方で)「愛想」を切る,でもあるし,「愛想」=もてなしを切る,という意味にもなるのだろう。

「お勘定」の意味の,「おあいそ」には,

客側の「愛想尽かし」の意と,
店側の「御愛想がなくて申し訳ありません」の意と,

両説あるのである。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/o/oaiso.html

は,

「おあいそは、本来、お店側が『お愛想がなくて申し訳ありません』などと断りを言いながら、お客に勘定書を示していた言葉である。 語源のままであれば、お客が『おあいそして』と言うと、『こんな店には愛想が尽きたから清算してくれ』という意味になる。『お勘定』の意味で『お愛想』が使われ始めたのは、庶民の暮らしや流行などの情報を掲載した明治時代の雑誌『風俗画報』95号の中で、京都の流行として『勘定をあいそといふなど尤も面白く存じ候ふ』と紹介され、全国に広まったためと考えられている。」

と,店側説を採る。確かに『江戸語大辞典』の「おあいそう」の項には,「愛想の謙譲語,もてなし」「お世辞」の意味しか載らない。

http://www.kotobano.jp/archives/1238

も,

「『お愛想』という言葉は、会計時、お店側が『今日はわざわざお越しいただきましてありがとうございます。こちら、色々と不手際などございましたかもしれません。それなのに、会計のことを申し上げるなど愛想のないことで恐縮です。大変失礼いたしました。どうぞまた、これに懲りずにお越しくださいね』という意味で伝えるものです。」

と店側説である。

https://macaro-ni.jp/37528

も,「おあいそ」の正しい意味と語源で,

「『おあいそ』は、漢字で書くと『お愛想』となります。さらに、『お愛想』は『愛想尽かし』を省略した言葉なのです。『もう、彼には愛想が尽きたわ!』と、今でも使いますが、元々は遊郭で使われていた言葉なんです。お客がお気に入りだった女郎に対する愛情をなくして『もうお店に来たくない!』という状態を『愛想尽かし』と呼んでいました。(中略)
でも、どうして現在のようにカジュアルに使われるようになったのでしょうか?
日本には『ツケ』という文化がありました。行きつけのお店で飲み食いした分の代金をその場で支払わずに、お店の帳簿につけてもらってあとでまとめて支払うという仕組みです。(中略)お互いの信頼関係が築けていて初めて成立する、粋な文化ですね。ツケにせず、きれいに清算してしまうのは『もう来ないよ』という意味。その時に言う言葉が『ツケにしないのはお愛想尽かしだけど……』だったのです。
時は流れ、ツケ文化は弱まり、きっちり飲食代を支払うようになりました。お店側からお会計について切り出す際に『お愛想尽かしのようでございますが、お勘定はいくらで……』と使うようになったという説や、『お会計のことを申し上げるなんて愛想のないことですが……』と使われるようになったという説が濃厚です。
「あちらのお客様おあいそで!」と店員さん同士が使っていたのを聞いて『専門用語を使うなんてツウっぽい!』とお客さん側が使い始めた結果、現在のように広く浸透してしまったのです。」

と,やはり店側説を採る。どうやらこれが大勢である。しかし,『日本語源広辞典』は,

「一般にはもてなしの意で使うことが多いようです。例:何のオアイソもできませず,失礼いたしました。どうもオアイソなしで。転じて,料理屋などの勘定書(オ+愛想尽かし)に使います。これをみると愛想が尽きる意から」

とする。発祥が遊郭の客のセリフなのだとしたら,この説が妥当だ。もし店側が使うのなら,「愛想なしで」くらいまで略すのはあるが,「愛想のないことで申し訳ない」を「愛想」と略すとすれば,その店は,まさに愛想無い店,ということになるまいか。

「店員さん同士が使っていたのを聞いて『専門用語を使うなんてツウっぽい!』とお客さん側が使い始めた結果」

とあるのは,客側の反撃で,先祖がえりというべきものではないか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

今日のアイデア;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/idea00.htm

ラベル:御愛想 おあいそ
posted by Toshi at 05:26| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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