2018年01月22日

パースペクティブ


石田英一郎『桃太郎の母―ある文化史的研究』を読む。

img091.jpg


本書の今日的な評価は知らない。しかし,そのパースペクティブの射程の深さは,圧倒される。たとえば,タイトルになっている「桃太郎の母」は,その端緒を,柳田國男が,

小さ子(ちいさご),

と名づけた説話の系列,つまり,

「古くはスクナヒコナの神の神話をはじめ,一方で赫奕姫(かぐやひめ),瓜子姫,桃太郎,一寸法師等々,人口に膾炙するお伽ばなしに発展し,他方では奥州の座敷ワラシ,スネコタンパコ,カブキレワラシ,ウントク,ヒョウトク,信州の小泉小太郎,泉小次郎,鳥取の五分次郎などのような種類の地方的俗信や昔ばなしにのこる一連の伝承」

を端緒に,小童と水界とのつながり,その母神を糸口に,朝鮮半島を経てユーラシア大陸まで,さらに太平洋の島々の母子相姦による民族起源譚,豊穣神としての母像から,母子像を経て,ついに幼子キリストを抱くマリア像までたどりつく,その射程の幅と奥行きに驚かされる。

「わが国の一寸法師をはじめ,各種の小サ子物語の意義は,その背後にひそむ母性の姿を,消えゆく過去の記憶から引き出してこれと結びつけることによって,その隠微な一面が解明されていくのではあるまいか。私はここで文化の伝播とか,独立起源とかいう,言い古された用語を用いて問題をあげつらおうとするものではない。ただ,少なくとも本稿で取り扱った一群の信仰の根底には,かつて地球上ある広大な区域を支配した母系的な社会関係や婚姻の形式が,共通の母胎として横たわっていることを,今後の研究のための初次的な作業仮説として想定すればたりるのである。」

と締めくくる。その余韻で見ると,

「戦国時代に輸入されたキリスト教の聖母が《マリア観音》の称呼をもって迎えられたのも,悠遠の過去の共同の母胎から相分かれたまま,それぞれ別個の発達をとげた二つの信仰が,ふたたび文化の接触によってたがいに相結ぶにいたった一例を示すものとして興味深い。」

という一文は,なかなか意味深である。

方法は同じだが,個人的には,「桑原論」が面白い。「くわばら」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/412748051.html

で触れたが,雷など怖いものにであった時,

「くわばら,くわばら」

と,呪文のように唱える,あの「くわばら」である。今日では,あるいは死語に近いのかもしれない。その謂れは,

ひとつには,菅原道真の領地「桑原」にあるらしい。都には落雷が多かったが,この地だけは,被害がなかった。で,落雷除けのマジナイに使った,というのである。

ふたつには,大阪和泉軍の桑原の井戸に落雷後,すぐに蓋をして雷を出られなくしたので,雷神が「自分は桑の木が嫌いなので,桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った,という伝説によるともいう。この説には,異説もある。和泉の西福寺には雷井戸と呼ばれる井戸があるらしい。このお寺には奈良時代に道行と言う修行僧がいて,雷に遭遇したとき,慌てずに大般若経を浄写したところ雷がピタリとやんだという伝説があり,それ以来ここにある井戸には雷を封じ込める力があると言われるようになった。「くわばら くわばら」と唱えることで「ここは雷を封じ込めた雷井戸のあるクワバラですよ」と雷に教えると言うことになった,というもっと詳しい説明がついたものもある。

三つには,説話的な説で,桑原という人が落ちてきた雷さまを助けたという。そこで雷さまが「おまえとおまえの子孫の住む場所には雷を落とさない」と約束をしたのです。それ以来雷が落ちそうになると,誰もが桑原さんの子孫だと「くわばら くわばら」と言うようになったというものである。

四つには,昔から雷は何故か桑畑に落ちないといわれていて,そのために,雷がなると昔は桑畑に逃げたと言われている。そこから,雷が鳴り出すと「くわばら くわばら」と言って,雷を避けるようになったと言われています。

いずれも,「桑原」という言葉に関わる。「雷」と「桑」とのかかわりは,

「桑樹もしくは桑葉の呪能にもとづく」

とし,

「桑を何らかの形で霊怪視する思想は古くから分布する」

という。中国民間では,雷のみならず,

「古来山中より出没する独脚反踵(どくきゃくはんしょう)の怪山魈(かいさんしょう)も,また『最も桑刀を怕(おそ)れ,老桑を以て削って刀と成し,之を斫(き)れば即ち死す。桑刀を門に懸くるも亦避けて去る』といわれている。」

と,魔よけの効力をもつ。これは,桑を聖樹とする中国のきわめて古い信仰に起源があり,

「先秦以来の諸書に見える扶桑(榑桑)は,太陽の出入する所の神木と信ぜられた。『山海経』に,『湯谷(とうこく)の上に扶桑り,十日(じゅうひ)の浴する所,…大木有り,九日(きゅうひ)は下枝に居り,一日は上枝に居る』(海外東経)と言い,また,『湯谷の上に扶木有り,一日方に至れば一日方に出づ,皆烏を戴く』(大荒東経)とある」

ことから,

「古代の中国人は,一種の桑樹によって太陽の運行を考える《世界樹》的な信仰を有していたことがそうぞうせられないだろうか。」

とし,『呂史春秋』の,高誘注,

「桑林は,桑山の林,能く雲を興し,雨を作(おこ)し」

と,桑樹の霊能が水界と関係あるところへと至る。その桑樹神聖化の思想は,中国を故地とする養蚕へとさかのぼっていく。そして,殷墟の出土品と伝えられる,骨の蚕に行き着く。さらに,

中国で馬と蚕の,

「馬頭娘,馬鳴(ばめい)菩薩などの蚕の神として民間に祀られ,『蚕は馬と神を同じゅうす。本竜精にして首馬に類す。故に蚕駒と曰ふ』などともいわれている。」

という中国の俗信や説話は,そっくりそのままわが国各地の民間に広く分布している。

「両者が無関係に発達したものとはどうしても考えられない。常陸をはじめ関東一円から以西にかけては,養蚕の守護神としての馬鳴菩薩や馬頭娘信仰が普及している」

つまりは,

「わが『桑原々々』の呪語や俗信が,けっして単なる地名や人名にからんだ伝承ではなく,遠く禹域桑土の野の養蚕習俗から生まれた,ある種の呪的な信仰にその濫觴を有する」

とまとめる。語源的な「ことば」レベルの奥に,生活史があり,そこを手繰り寄せていかない限り,言葉の背景は見えてこない,とつくづく思い知らされる。

参考文献;
石田英一郎『桃太郎の母―ある文化史的研究』(講談社学術文庫)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

posted by Toshi at 06:12| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください