「くだん」は,
件,
と当てる。『デジタル大辞泉』も『広辞苑』も,
「くだり(件)」の音変化。ふつう「くだんの」の形で用いる,
とする。「くだんの」は,
いつもの,きまりの,
という意味であるが,
「件の用件で話したい」
と使う場合,
前に述べたこと,例の,
という意味である。『岩波古語辞典』には,「下る・降る」と当てる動詞の場合は,
「事物・程度・位置などが上から下へ勢いのまま一気に移動する意。類義語オリ(降)は注意を保ちながら下まで下がる意」
とするが,名詞形「下り」には,「下・降」の他に,「行」を当て,
文章の一行,
を指すが,「くだん(件)の」という場合は,
「クダリノの音便形,前に述べた物事を,よく知られたものとして示す語」
として,
上述の,右の,
の意味から,さらに,
例の,あの,
という意味に広がっている。で,
件の如し,
という場合,
文書・書状などの末尾に書く決まり文句」
となり,
右の通りである,
という意味になる。『大言海』は,「くだり」を「下」とは別に,「行」「件」の項を立て,「行(くだり)」は,
「(下〔くだり〕の義)上より下までの一列(ひとつら)」
とし,「多くは文章につき云ふ」とする。「くだり(件)」は,
「行(くだり)の義,音便に,クダンと云ふ〔残の行き,のこんの雪。榛(はり)の木,はんのき。假名(かりな),かんな)〕。説文『件(けん),分也』。字類抄『件,クダリ,分次也,如件』。六書故『條件,俗號物語數,曰若干件』
として,意味を,
「文書に記せる章。段。條。音便にクダン」
とし,その上で,
「後に,初めの,上の,など云ふべきを略して,ただ,クダンとのみ用ゐらる。文書の末に,如上件となすべきを,仍而(よって)如件,など記すは,即ち,上(かみ)の件(くだん)の如しなり。」
とし,更に,
「転じて,それ(其れ)の意となる」
とする。ここで,やっと,「例の」という意味になる。これで一件落着のはずであるが,ところが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B6
に,
「西日本各地に伝わる多くの伝承では、証文等の末尾に記される『件の如し(如件)』という定型句(書止、書留)は『件の予言が外れないように、嘘偽りがないという意味である』と説明されることもあるが、これは民間語源の一種と考えられる。」
という俗説がある。しかし,
「怪物『件』の記述がみられるようになるのは江戸時代後期であるのに対して、『如件』という定型句はすでに平安時代の『枕草子』にも使われている。ゆえに『件の如し』と怪物『件』を関連付けるのは後世の創作といえる。」
とあるのである。「くだん」という怪物については,後で触れるが,「くだん」を描いた小説に,内田百閒の『件』,小松左京の『くだんのはは』がある。しかし,「くだん」は,上記の通り,西日本でしか知られていない妖獣だったため,
「内田がでっち上げた珍獣」と誤解された,という。また,小松左京の短編小説『くだんのはは』は,女性のため,別の「牛女」ともされる。
https://matome.naver.jp/odai/2134119799453544101
には,「くだん」について,
① 「件」の文字通り、半人半牛の姿をした妖怪。(件=人+牛)
② 古くは牛の体と人間の顔の怪物であるとするが、人間の体と牛の頭部を持つとする説もある。
③ 牛から生まれ、人語にて不吉な予言を残して死ぬ。
④ 証文の末尾の「件の如し」という慣用句は「件の予言が外れない様に、嘘偽りがないと言う意味」と伝わる。
④ 件の絵姿は厄除招福の護符になる。
⑤ 江戸時代から昭和まで、西日本を中心に日本各地で様々な目撃談がある。
と,俗説「くだん」を整理している。「半人半牛の姿をした妖怪」とは,
https://dic.pixiv.net/a/%E4%BB%B6
に,
(水木しげるロードに設置されている「くだん」のブロンズ像)
「体は牛で、頭が人間の妖獣。頭が牛で体が人間なミノタウロスの逆バージョン。 頭が良く、人間の言葉を理解する。
予知能力に秀いで、特に災害がある年には『くだん』が生まれると信じられた。予言を行った後に死ぬとも。 近世に発生した伝説で、中国の白沢(ハクタク)が原型であるともされる。 」
とある。因みに,「白沢(ハクタク)」とは,
(鳥山石燕 『今昔百鬼拾遺』の「白澤」)
http://www.eisai.co.jp/museum/history/0100/sub0100.html
に,
「中国の想像上の神獣。6本の角と9つの眼を持ち、人語を解するという。麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)と同様、徳のある政治者の時に出現し、病魔を防ぐ力があると信じられていた。こうしたことから、白沢の絵を持っていれば道中の災難や病気をまぬがれると、江戸時代の旅には欠かせない“お守り”となっていた。コレラ流行の時なども白沢の絵が売りに出され、人々はこれを身につけたという。」
とあり,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%BE%A4
には,
「『三才図会』によると、東望山に白澤と呼ぶ獣が住んでいた。白澤は人間の言葉を操り、治めるものが有徳であれば姿をみせたと言う(『佩文韻府』や『淵鑑類函』ではこれを『山海経』からの引用とするが、実際の『山海経』にこのような文はない)。徳の高い為政者の治世に姿を現すのは麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)に似ている。
古くは中国の『三才図会』にその姿が記され、日本では『和漢三才図会』にも描かれているが、獅子に似た姿である。鳥山石燕は『今昔百鬼拾遺』でこれを取り上げているが、その姿は1対の牛に似た角をいただき、下顎に山羊髭を蓄え、額にも瞳を持つ3眼、更には左右の胴体に3眼を描き入れており、併せて9眼として描いている。白澤が3眼以上の眼を持つ姿は石燕以降と推測され、それより前には3眼以上の眼は確認できない。たとえば『怪奇鳥獣図巻』(出版は江戸時代だがより古い中国の書物を参考に描かれた可能性が高い)の白澤は2眼である。この白澤は、麒麟の体躯を頑丈にしたような姿で描かれている。」
とあり,
(城間清豊の白澤之図)
「白澤は徳の高い為政者の治世に姿を現すとされることと、病魔よけになると信じられていることから、為政者は身近に白澤に関するものを置いた。中国の皇帝は護衛隊の先頭に『白澤旗』を掲げたといわれる。また、日光東照宮拝殿の将軍着座の間の杉戸に白澤の絵が描かれている。」
とある。さて,「くだん」であるが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B6
によると,
「件(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる妖怪。「件」(=人+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした怪物として知られている。」
江戸末期の不安を象徴しているともいえる。
「幕末頃に最も広まった伝承では、牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる、とされている。また、件の絵姿は厄除招福の護符になると言う。」
しかも,江戸時代から昭和まで、西日本を中心に日本各地で様々な目撃談がある,という。
「この怪物の目撃例として最古と思われるものは、文政10年(1827年)の越中国・立山でのもの。ただし、この頃は『くだん』ではなく『くだべ』と呼ばれていた。ここで山菜採りを生業としている者が、山中でくだべと名乗る人面の怪物に出会った。くだべは『これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写し絵図を見れば、その者は難を逃れる』と予言した。これが評判になり、各地でくだべの絵を厄除けとして携帯することが流行したと言う。江戸時代後期の随筆『道徳塗説』ではこれを、当時の流行の神社姫に似せて創作されたものと指摘している。
(倉橋山の件を描いた天保7年の瓦版)
「『くだん』としての最古の例は天保7年(1836年)の日付のある瓦版に報道されたもの。これによれば、『天保7年の12月丹後国・倉橋山で人面牛身の怪物「件」が現れた』と言う。またこの瓦版には、『宝永2年12月にも件が現れ、その後豊作が続いた。この件の絵を貼っておけば、家内繁昌し疫病から逃れ、一切の災いを逃れて大豊年となる。じつにめでたい獣である』ともある。また、ここには『件は正直な獣であるから、証文の末尾にも「件の如し」と書くのだ』ともあり、この説が天保の頃すでに流布していたことを示す。」
とある。この頃は、天保の大飢饉が最大規模化しており、「せめて豊作への期待を持ちたい」という意図があってのものと思われる,としている。以降の,目撃談は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B6
に詳しいが,たとえば,
慶応3年(1867年)4月の日付の『件獣之写真』と題した瓦版によると「出雲の田舎で件が生まれ、『今年から大豊作になるが初秋頃より悪疫が流行る。』と予言し、3日で死んだ」という。
明治42年(1909年)6月21日の『名古屋新聞』の記事によると、10年前に五島列島の農家で、家畜の牛が人の顔を持つ子牛を産み、生後31日目に「日本はロシアと戦争をする」と予言をして死んだとある。
1930年(昭和5年)頃には香川県で、森の中にいる件が「間もなく大きな戦争があり、勝利するが疫病が流行る。しかしこの話を聞いて3日以内に小豆飯を食べて手首に糸を括ると病気にならない。」と予言したという噂が立った。
第二次世界大戦中には戦争や空襲などに関する予言をしたという噂が多く流布した。昭和18年(1943年)には、岩国市のある下駄屋に件が生まれ、「来年4、5月ごろには戦争が終わる」と予言したと言う。また昭和20年(1945年)春頃には松山市などに「神戸に件が生まれ、『自分の話を信じて3日以内に小豆飯かおはぎを食べた者は空襲を免れる』と予言した」という噂が流布していたという。
第二次世界大戦末期から戦後復興期にかけては、それまでの人面牛身の件に代わって、牛面人身で和服を着た女の噂も流れ始めた。以下、これを仮に牛女と呼称する(これが小松の小説の元になる)。
等々,時代の不安を反映していることがよくわかる。今日もまた,「くだん」目撃談が生まれる素地はある。
参考文献;
https://dic.pixiv.net/a/%E4%BB%B6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B6
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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