「魂魄」は,『広辞苑』には,
(死者の)たましい,精霊,霊魂,
と載る。しかし,
たましい,
精霊,
霊魂,
とは,三者微妙に意味が違いはしまいか。『大言海』は,
たましひ,
とし,さらに,中国では,
「霊魂を説くに,人の神気を,魂と云ひ,形骸を,魄と云ふ。死すれば,魂は,天に発散し,魄は,地に止まるとす」
として,
「禮記,郊特牲篇『魂氣歸于天,形魄歸于地』」
を引く。
(東海道四谷怪談 「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」(歌川国芳))
四代目鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の元になった『四谷雑談集』については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/456630771.html?1517604760
で触れたが,その『東海道四谷怪談』で、お岩さんが夫伊右衛門に殺される時,
「魂魄この世にとどまりて、怨み晴らさでおくべきか」
と言ったとされるが,上記の大言海の説では,止まるのは,「魄」のみとなる。しかし,『大言海』が引く「左傳」(昭公七年)では,
「匹夫匹婦強死,其魂魄猶能憑依於人」
とあるので,あながち間違いではないのかもしれない。それだけ恨みが強いということか。『世界大百科事典』によると,「こんぱく(魂魄 hún pò)」は,
「人間の精神的肉体的活動をつかさどる神霊,たましいをいう。古代中国では,人間を形成する陰陽二気の陽気の霊を魂といい,陰気の霊を魄という。魂は精神,魄は肉体をつかさどる神霊であるが,一般に精神をつかさどる魂によって人間の神霊を表す。人が死ぬと,魂は天上に昇って神となり,魄は地上に止まって鬼となるが,特に天寿を全うせずに横死したものの鬼は強いエネルギーをもち,人間にたたる悪鬼になるとして恐れられた。人の死後間もなく,屋上から死者の魂を呼びもどす招魂や鎮魂の習俗儀礼は,こうした観念から生まれたものである。」
とあり,さらに詳しく,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%82%E9%AD%84
では,
「中国の道教では魂と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)とも言う。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。民間では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなる。また、殭屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。(三魂は「胎光・爽霊・幽精」「主魂、覺魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀阴(陰)、容贼(吝賊)、非毒、除秽(陰穢)、臭肺」とされる事もある。)」
とある。括ってしまえば,「たましい」ということになる。『日本語源広辞典』の言う,
「魂(精神を司るタマシイ)+魄(肉体を司るタマシイ)」
が明快である。
「魂は,天上にある善霊,魄は,地下にあるべき悪霊をいいます。日本語では。区別なくたましい,霊魂の意味で使っているようです。」
が,是非はともかくわかりやすい。この説は,朱子学的ではある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%82%E9%AD%84
では,
「張載(11世紀)の鬼神論を読んだ朱子の考察として、世界の物事の材料は気であり、この気が集まることで、『生』の状態が形成され、気が散じると『死』に至るとした上で、人間は気の内でも、精(すぐ)れた気、すなわち『精気』の集まった存在であり、気が散じて死ぬことで生じる、『魂は天へ昇り、魄は地へ帰る』といった現象は、気が散じてゆく姿であるとした。この時、魂は『神』に、魄は『鬼』と名を変える(三浦国雄『朱子集』朝日新聞社)。」
とある。
さて,「たましい」は,和語では,
たま(魂),
に同じとされ,「たま」は,『岩波古語辞典』には,
「タマ(玉)と同根。人間を見守り,助ける働きを持つ精霊の憑代となる,丸い石などの物体が原義」
とある。今日の「たましい」の意味は,たとえば,
「人の正命のもとになる,もやもやとして,決まった形のないもの。人が死ぬと,肉体から離れて天に上ると考えられていた」(『広辞苑』)
と,人のそれを指すが,「たま」は人を守る精霊を指す。「精霊」は,たとえば,
「草木・動物・人・無生物などにここに宿っているとされる超自然的な存在」(『広辞苑』)
だから,「魂魄」は,かつては,人も万物もひとしく,見守られていた「たま」の意味ではなく,「たましい」の意味なのだとすると,冒頭の『広辞苑』の説明は,拡大解釈しすぎかもしれない。
さて,まず,漢字の「魂」「魄」から確認しておく。「魂」の字は,
「鬼+音符云(雲。もやもや)」
「魄」の字は,
「『鬼+音符白(ほのじろい,外枠だけあって中味の色がない)』。人のからだを晒して残った肉体のわくのことから,形骸・形体の意となった」
で,『漢字源』には,重複するが,
「『魂』は陽,『魄』は陰で,『魂』は精神の働き,『魄』は肉体的生命を司る活力人が死ねば魂は遊離して天上にのぼるが,なおしばらくは魄は地上に残ると考えられていた」
と付記されている。ついでに,「靈(霊)」の字は,
「靈の上部の字(音レイ)は『雨+〇印三つ(水たま)』を合わせた会意文字で,連なった清らかな水たま。零と同じ。靈はそれを音符とし,巫(みこ)を加えた字で,神やたましいに接するきよらかなみこ。転じて,水たまのように冷たく清らかな神の力やたましいをいう。冷(レイ)とも縁が近い。霊はその略字。」
で,和語で言う「たま」を指す。
「人間を万物の霊長と言い,麒麟,鳳凰,亀,竜を動物の四霊という」
と,『漢字源』にある。ついでながら「鬼」の字は,和語「おに」とは別で,
「大きな丸い頭をして足元の定かでない亡霊を描いたもの」
で,『漢字源』には,
「中国では,魂がからだを離れてさまようと考え,三国・六朝以降には泰山の地下に鬼の世界(冥界)があると信じられた。」
とある。
「たましい」の語源は,『大言海』には,
「魂(たま)し霊(び)の義にて,タマは美称,シは氣息(いき),ビは奇(くしび)の意」
とする。『日本語源広辞典』は,
「タマ(霊・魂・玉)+シヒ(接尾語)」
とするが,如何であろうか。『岩波古語辞典』の「たま」の説明で尽きていると思うが,様々の異説がある。
タマは玉で貴重の義,シヒは霊の義(日本釈名),
タマチ(霊魂)の転か。ヒは延音(日本古語大辞典=松岡静雄),
タマは魂で,体内に魂の宿るところをいう。シは之ヒは霊(国語の語幹とその分類=大島正健),
玉火の義で,シは助詞(和訓栞),
タマシヒ(魂火)の義(雅言考),
タマシミ(霊神)の義(言元梯),
タマシボミ(霊萎)の義か(名言通),
玉にシヌイキル(死生)の語を添えたか。またシヰは眼のつぶれる意で,滅する玉の義(和句解),
天神の御霊がシッと粛(ちぢま)って我が主となったところをいう(本朝辞源=宇田甘冥),
マシヒは正しくはマスビで,ムスビと同語。タマとムスビを連結したもの(神代史の研究=白鳥庫吉)
タマシヒ(賜息)の義(柴門和語類集),
タマは,体に止まる意でトマの転。シヒはキ(気)に同じ(国語蟹心鈔),
等々。やれやれ。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8