2018年02月24日

顰に倣う


「顰(嚬)み」は,

眉をひそめること,

で,「ひそめる」とは,

(不快な気持ちで)眉のあたりに皺をよせること,

である。「顰」の字が,それをよく表していて,

「頻(ヒン)は,間隔をつめてぎりぎり近寄ること。顰は『卑(低い,ひくめる)+音符頻』で,頭をひくめて,眉の間隔を近寄せることをあらわす」

とある。

顰に倣う,

は,

西施の顰に倣う,

とも言う。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hi/hisomininarau.html

には,「顰に倣う」とは,

「善し悪しも考えずに、人のまねをする。また、他人と同じ 行動をする際、謙遜して言う言葉としても用いる。」

とあり,その由来は,

「『顰(ひそみ)』は動詞『ひそむ(顰む)』の連用形で、眉間にしわを寄せて顔を しかめることを表す。出典は、中国の『荘子』に見える次のような故事から。中国の春秋時代、越の国に西施(せいし)という美女がいた。西施が胸を病み、顔をしかめているのを見た醜女が、自分も眉間にしわを寄せれば美しく見えると思い、里に帰ってそれを真似た。それを見た人々は、あまりの醜さに気味悪がって.門を固く閉ざして出なくなったり、村から逃げ出してしまったという。そこから、善し悪しも考えずに他人の真似をすることや、他人と同じ行動をする際、見習う気持ちであることを表す謙遜の言葉として、『顰に倣う(西施の顰に倣う)』というようになった。」

と。

西施捧心(ほうしん),

とも言い,

「西施心(むね)を捧ささぐ」

と訓読する,とか。もとは,荘子であるらしい。

http://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-cc6c.html

に,『荘子』・天運篇の一節,

故西施病心而矉其里、其里之醜人見而美之、歸亦捧心而矉其里。
其里之富人見之、堅閉門而不出、貧人見之、挈妻子而去之走。
彼知矉美而不知矉之所以美。

が載る。

故に西施心(むね)を病んで其の里に矉(顰)せるに、其の里の醜人見てこれを美とし、歸(かえ)りて亦た心を捧げて其の里に矉す。
其の里の富人はこれを見、堅く門を閉して出でず、貧人はこれを見、妻子を挈(たずさ)えて去りて走る。
彼は矉を美とするを知るも、矉の美なる所以(ゆえん)を知らず。…

原文に当たっていないし,荘子自体をよく知らないが,これをみる限り,為にする議論に思えてならない。

「この話、『荘子』・天運篇では、孔子が衛の国に遊説に出かけた際、魯の楽師の師金が孔子の弟子の顔淵に、『孔子は周の国で行われたことを魯の国で行っているだけで、水の上を進むための船で陸を進んでいるようなものだ…』、などと批判した後に、上述の西施の例え話をするものである。」

とある。あまりいい例でもないし,喩えとしては筋が悪い。孔子がそういったとは思えないが,もしそうだとしたら,相当に下品である。だから,後世は,

他人に見倣ってすることを謙遜して言うのに使う,

ようになったに違いない。なお,

「『其里之醜人』乃ち『同じ村の醜女』を、『西施』と対照的な不特定人物『東施』とし、『東施倣顰』、『東施顰に倣う』、というようにも使われる。」

というが,更に品がない。

西施.jpg

(西施 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%96%BDより)

西施は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%96%BD

によると,

「本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施→西施と呼ばれるようになった。

越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。
また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。」

とある。范蠡とは,『太平記』の,児島高徳が,

「天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」

という句の,范蠡である。勾践は,

臥薪嘗胆,

の,当の人である。なお,国四大美人の一人と呼ばれる西施は,大根足であったとされ,常に裾の長い衣が欠かせなかったといわれている,とか。なお,中国四大美人とは,

西施(春秋時代),
王昭君(前漢),
貂蝉(後漢)(ちょうせん),
楊貴妃(唐),

で,貂蝉は,『三国志演義』に登場する架空の人物。このほかに卓文君(前漢)を加え,王昭君を除くこともあり,虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある,という。西施は,沈魚美人とも言われるが,

「貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光(西施)は谷川で洗濯をしている姿を見出されて越国の王宮へ召しだされた。たとえ乱れ髪で粗末な格好をしていても美しいと評された西施の美貌に迷い、呉の王夫差は越の狙いどおり国を傾けてしまう。彼女が川で洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったと言われる。俗説では、大足が欠点であったという。なお、最初と呼ばれる沈魚美人は毛嬙。」

とある。四大美人については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E7%BE%8E%E4%BA%BA#%E6%B2%88%E9%AD%9A%E7%BE%8E%E4%BA%BA

に詳しい。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E7%BE%8E%E4%BA%BA#%E6%B2%88%E9%AD%9A%E7%BE%8E%E4%BA%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E8%A0%A1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%96%BD
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm

コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8

posted by Toshi at 06:01| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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