2018年03月19日

脳の機能


マーヴィン・ミンスキー『心の社会』を読む。

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本書は,「人工知能の父」と呼ばれるマービン・ミンスキー(Marvin Minsky, 1927~ 2016)の,

「心がどうはたらくかを説明しよう」

と意図した本である。そして,冒頭,

「知能は,知能でないものからどのようにして現れてくるのだろうか。この問いに答えるために,この本では,心がたくさんの小さな部分を組み合わせて作れることを示そうと思う。ただし,それぞれの部分には心がないものとしようと思う。
 このような考え方,つまり,心がたくさんの小さなプロセスからできているという考え方を,《心の社会》と呼ぶことにする。また,心を構成する小さなプロセス一つひとつを,エージェントと呼ぶことにする。心のエージェントたちは,一つひとつとってみれば,心とか思考をまったく必要としないような簡単なことしかできない。それなのに,こうしたエージェントたちがある特別な方法でいろいろな社会を構成すると,本当の知能にまで到達することができるのである。」

と述べる。この背景には,著者が,

「コンピュータ科学者であり、認知科学者。専門は人工知能 (AI) であり、マサチューセッツ工科大学の人工知能研究所の創設者の1人。初期の人工知能研究を行い、AIや哲学に関する著書でも知られ、現在ダートマス会議として知られる、"The Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence (1956)" の発起人の一人」

であり,

「世界初のヘッドマウント型グラフィックディスプレイ(1963年)と共焦点顕微鏡(1961年、今日よく使われている共焦点レーザー顕微鏡の原点)がある。また、シーモア・パパートと共にLOGO言語を開発した。その他にも、1951年、ミンスキーは世界初のランダム結線型ニューラルネットワーク学習マシン SNARC を製作している」

という特許をも取得しているという,長年培ってきた人工知能研究がある。

「あとがき」で,著者は,

「心は果たして機械であろうか? この問いに対しては,私は一点の曇りもなくイエスと答えてきた。むしろ,私が問題としてきたのは,どういう種類の機械なのか,ということだけであった。」

で,

「思考を作り出す脳という機械の性質」

を,劈頭,

「心とは何かを説明するには,心でないものから心がどのようにして作られるかをしめさなければならない。」

と始め,

「今でも世の中の人の大部分は,機械が意識を持ったり,野心嫉妬やユーモアのようないろいろな気持ちを感じたりすることなど,できるわけがないと信じている。実際,私たちはまだ,人間に可能などんなことでもできるような機械が作れたわけではない。しかし,このことは単に,思考のはたらきについてもっとよい理論が必要だ,ということを言っているにすぎない。これからこの本で示すのは,どうすれば《心のエージェント》と呼ぶ小さな機械が,長い間私たちの求めてきた理論の《基本的な要素》になれるかということなのである。」

と言い,部品(エージェント)をどうつなぎ合わせることで,どう働きどう働いて心が機能するのかが示され,思考や感情を産み出すという,

「心はたくさんの小さなメカニズムからなる社会」

の形成プロセスを具体的に展開して行く。そして同時に,この本自体も,この本の主張と同じように,

「小さな考えをたくさん集めた社会の形になっている」

ところが,みそである。

当然冒頭の文章にあるように仮説の積み重ねで,本書は成り立っている。それについて,「あとがき」で,

「この本で示されている考え方を組み立てるのに,私は,文字通り何百もの仮説を立てなければならなかった。一部の科学者たちは,これに対して反論を唱えるかもしれない。彼らの反論の根拠は,物理学や化学のように科学として成功している分野は,必要不可欠なもの以外はすべて取り除いて,最小限の仮説を立てるのに必要な理論だけを展開させることで,より実り豊かな成果をあげてきた,という考え方にある。しかし,心理学に対して,もっと筋の通った骨組みをうちたてられるまでは,まだはっきりと否定されていない仮説を排除したり,ある理論が別の理論より良いことを示そうとしたりするのは,早すぎるといえよう。なぜなら,現在私たちが知っているいろいろな理論が,たとえ一つでも,これから長い間生き残るということは,いずれにしてもありえないように思えるからである。」

今日,この「心の社会」理論が,どのような位置づけにあるかは知らない。しかし,「《心の社会》理論はフレーム理論と神経回路網理論の限界を乗り越えようとして出てきた」(訳者(安西祐一郎)あとがき)である以上,この延長線上に,今日のいくつかの成果が表れていることは疑いあるまい。

本書の特徴は,

「やさしいことはむつかしい」

と,随所で指摘していることだ。

「ロボットを動かそうとしているときに私たちが発見したのは,日常的な問題の多くが,おとなの考えるパズルやゲームのような問題よりもずっと複雑だということである。」

たとえば,積み木の世界について,

「簡単そうな世界でも,ふだんより注意深く見ざるをえない立場に立ってみると,思わぬ複雑な世界が至るところに見いだされる。たとえば,塔を作るのに使ってしまった積み木は二度と使わないようにするという,一見ごく単純な問題を考えてみよう。人間にとっては,これは次のような簡単な常識の問題に過ぎない。〈以前の目標を達成するのに使ったものは,新しい目標を達成するためには使わないこと。〉人間の心にどうしてこんなことができるのか。正確なことは誰も知らない。ただ,私たちが,やっかいなことが起こりそうな状況であることがわかると経験から新たなことを学習できることは明らかである。しかしまた,私たちにとっては,何がうまくいくかは前もってわかりえないのだから,不確定なことで対応できるような方策を学習する必要もある。どんな方策を試してみるのが一番良いのか,また最悪の誤りを避けるにはどうすればよいか。私たちが予期し,イメージし,計画を立て,予測を行ない,誤りの起こるのを防ぐことができるためには,何千,いや何百万もの小さなプロセスが必要である。しかも,こうしたプロセスはまったく自動的に実行されるので,私たちは,〈ふつうの常識〉と呼んですませてしまうくらいである。しかし,もしも思考というものがそんなに複雑なものなら,なぜこうも一見単純に見えるのだろうか。」

だから,

「一般に私たちは,自分の心の一番得意なことが一番わからない」。

本書で,フロイトとピアジェが頻繁に顔を出す所以であるが,著者は,

「私たちが《意識》と呼んでいるものに関係した特別なエージェンシーたちは,主として,他の機能がうまくはたらかなくなりだしたときにはたらき始める。だから私たちは,余計なことをせずきちんと動く複雑なプロセスよりも,うまく動かない単純なプロセスの方に気がつくことが多い。」

と。だから,

「ジャン・ピアジェの理論とジークムント・フロイトの理論は,表面的には別々の科学の領域にあるように見える。つまり,ピアジェの仕事はほとんどが知能に関係しているのに対して,フロイトの仕事は感情のメカニズムについて研究したもののように見える。しかし,実際には,この二人の理論が本当に違ったものかどうかは明らかではない。なぜなら,感情による行動が意識下のメカニズムに依存していることは広く認められているけれども,日常的な〈知的な〉思考もまた同じように,内省のできない隠れたメカニズムに依存している,ということについては,あまり認識されているとはいえないからである。」

と。つまり,感情も,思考も,「よくある日常の目的を達成するための手段」ということになるからだということになる。

それにしても,すぐれた科学者は,問いの立て方が独特だが,本書の著者も,随所に,はっとする問いを立てる。たとえば,

「〈自己とは何か?〉と問う代わりに,〈自己について我々が考えていることは何なのか?〉と問うことができる。そして次には〈そうした考えは,どんな心理的機能を果たしているのか?〉と問うことができる。」

自己を前提に考えるのではなく,「自己」というものどう考えるかから迫ることで,

「《自己》についての私たちの考えには,自分自身が何であるかについて自分が信じていることが含まれている。」

ことが見え,自己についての考えが多様であることがわかってくる。あるいは,

機械は創造的にはなれない,

という前提に立てば,機械に創造的なプログラムは出来ないという仮定になる。しかし,どうすれば創造的な答えを出せるようにできるか,と考えると,

「どんな問題でも,解けたときに解けたことがわかるような方法さえあれば,解き方が前もってわからなくても,試行錯誤によってコンピュータに解かせるようにプログラムすることができる。」

となる。あるいは,知能を持った機械は感情をもてるかという問いではなく,

「ここで問うべきは,実は知能をもった機械が何らかの感情を持てるかということではなく,機械は感情を持たずに知能を持てるかということである。あらゆる種類のチェック機構やバランス感覚を与えてやらねばならなくなるだろう。」

から,それは不可能と,言外に言っている。

「目標がどんなに中立的で合理的に見えても,長いこと続くと,結局は他の目標と争いを起こすことになる。長期的な計画は,互いに競合する関心事に抗するための何らかの防衛機構がなくては,実行することができない。そして,この防衛機構が,急を要する目標たちの間の争いに対して,感情的反応と呼ばれるものを惹き起こすのである。」

と。

著者の,

「私は,『機械は意識を持てますか?』と聞かれると,『人間は意識を持てますか?』と問い返したくなる。私にとっては,もとの問いへのまじめな答えなのである。というのは,私たち人間には,自分を理解するための装置があまりにも欠けているからである。人間が自分の脳のはたらきを理解したいと思うようになるよりずっと前から,人間の脳の構造は,すでに,進化による制約を受けてしまっている。一方,新しい機械のほうは私たちの好きなように設計できる。とくに,その機械の活動自体を記録し,それを機械が自分で調べることができるように,良い方法を機械に組み込むこともできる。そしてこのことは,機械のほうが私たちよりもはるかに多く意識を持てる可能性がある,ということを意味しているのである。」

という記述は,象徴的である。

マービン・ミンスキーについては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

に詳しい。

参考文献;
マーヴィン・ミンスキー『心の社会』(産業図書)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

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