2018年03月22日
もやもや
「もやもや」は,『デジタル大辞泉』には,副詞として,
煙や湯気などが立ちこめるさま。「湯気でもやもや(と)している浴室」
実体や原因などがはっきりしないさま。「もやもや(と)した記憶」
心にわだかまりがあって、さっぱりしないさま。もやくや。「彼の一言で、もやもや(と)していたものが吹っきれた」
毛や髪などが群がり生えるさま,「口髭のもやもやと生えた」〈紅葉・二人女房〉
色情がむらむらと起こるさま。「数々の通はせ文、清十郎ももやもやとなりて」〈浮・五人女・一〉
ごたごた言い争うさま。「人中でもやもや云ふほどが費 (つひえ) 」〈浮・新色五巻書・三〉
さらに,名詞化して,
わだかまりがあって心がさっぱりしないこと。「胸のもやもやを晴らす」
もめごと。ごたごた。「このもやもやはこの客からおこった事ぢゃ」〈浮・御前義経記・八〉
と,多様な意味を載せる。『江戸語大辞典』をみると,「もやもや」は,
心の結ぼれるさま,気がくしゃくしゃするさま,
を載せ,次いで「もやもやしい」が載り,
思い悩んで胸中が晴れ晴れとしない,
という意味になる。なお,「もやくや」もほぼ同義で,
心中のすっきりしないさま,
ごたごたするさま,
を指すが,「もやくる」と動詞化すると,
騒ぎを起こす,
気がむしゃくしゃする,
という意味になる。『江戸語大辞典』の「もやくや」には,
「くやは接尾語」
とある。また,『擬音語・擬態語辞典』によると,似た言い回しで,「むさむさ」もあり,「むさむさとした心もさっとはれやかになったぞ」(『四海入海』)という用例がある。
こうした流れから見れば,「もやもや」は,擬態語に思える。『擬音語・擬態語辞典』は,「もやもや」について,
①煙や湯気などが立ちこめてぼやけている様子,
②納得がいかなかったり,明確にならなかったりして,不満や不安が残っている様子,
③毛や草などが生い茂った様子,
と意味を載せた上で,
「『餅』と『もちもち』の関係のように,おそらく『靄(もや)』と関係のある語だろう。靄が立ち込めたように,ぼんやりとはっきりしない様子を表したのが原義で,それが比喩的に人の気持ちや物事の状態などに用いたものと思われる。④の意味は,湯気が立ち上る様子からの転化ではないだろうか。
江戸時代には,現代では見られない用法でのぼせたり情欲の起こったりする様子を表した例がある。ぼやけた様子からの類推で生まれた用法だろう。『おなつ便(よすが)を求めて数々の通わせ文,清十郎ももやもやとなりて』(浮世草子『好色五人女』)。また,不平を言ったりもめたりする様子も表した。現代語の『ごたごた』や『ごちゃごちゃ』にあたる。はっきりしない様子を転用したものと思われる。『人中(ひとなか)でもやもや云ふ程が費(ついえ=ごたごた言うだけ時間の無駄)』(浮世草子『新色五巻書』)。」
として,「靄」との関連を強調している。そして,同じ擬態語「もやっ」と比較して,
「『もやもや』は,その状態が持続していたり数量が多かったりして,動的・複数的なものとして捉えるのに対して,『もやっ』はまとまった静的なものとして捉えた表現」
で,「もやーっ」となると,「もやっ」よりはっきりしない状態が長く続く様子。となる。
「もやもや」は,擬態語で決まり,と思うが,『広辞苑』は,
①(疑問・推量の助詞モ・ヤを重ねた語から)分明でないさま,不確実なさま,朦朧,
②頭の働きが鈍っていたり気分・雰囲気などが重苦しかったりするさま,思い煩って心が結ぼれるさま,
③色情がむらむらと起こるさま,
という意味を載せる。これだと,
疑問・推量の助詞モ・ヤを重ねた語から,
が「もやもや」の語源と見なすことになる。この説の背景は,
もやもやもあらず,
という言葉から来ていると思われる。だから,『広辞苑』は,「もやもやもあらず」を,
「『もやもや』を強めた語」
と解釈する。「もやもやもあらず」は,『岩波古語辞典』には,
「モヤは係助詞モとヤとの複合。推測・疑問の意を重ねた語。不確実なので相手にただす意。日本書紀の訓読に使われた語。」
として,
ああかこうかと問いただすこともできない,不便だの意,
とある。
「御(おはしま)す所に遠ざかり居りては,政を行はむに不便(もやもやもあらず)」(天武紀)
「久しく老疾(おいやまい)に苦しぶる者は進止(ふるまい)不便(もやもやもあらず)(同)
という用例である。他でも,「不便」に,「もやもやもあらず」と訓ませている。
しかし,「もやもやもあらず」は,あくまで書紀の訓読で,ここは,
「モヤは係助詞モとヤとの複合」
とみなしていいが,「もやもや」は,やはり擬態語であり,『擬音語・擬態語辞典』の言うように,
靄(もや),
と見なすのが妥当ではあるまいか。「モヤは係助詞モとヤとの複合」というような,抽象度の高い表現は,意図的にしない限り,文脈依存の擬態語中心の和語にはなじまない。そして,「靄」自体が,
「もやもや(擬態語)の気象」
という『日本語源広辞典』の説が正しい。「もやもや」とした状態を,「もや」と呼び,「靄」の字を当てたに違いないのである。「靄」というような抽象度の高い概念は,中国由来と考えていい。「靄」(アイ,アツ)の字は,
「謁の字は,行く人をおしとどめること。遏(アツ おしとどめる)と同系のことば。靄は『雨+音符謁』で,雲がおしとどめられて,たちさらぬこと」
で,意味は,「雲やかすみがたちさりかねてたなびくこと」「もや」「低くたちこめた薄い霧や煙」と,この字を当てたのは当然である。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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