「うめ」は,
梅,
と当てるが,「梅」(漢音バイ,呉音メ・マイ)の字は,
「『まげ+音符母』の会意兼形声文字で,母親がどんどん子を産むことを示す。梅は『木+音符毎』で,多くの実をならせ,女の安産を助ける木。」
とある。「梅」の字は,某とも楳ともつくるとある(『字源』)。
https://okjiten.jp/kanji304.html
には,
「会意兼形声文字です(木+毎)。『大地を覆う木』の象形と『髪飾りをつけて結髪する婦人』の象形(『草木が盛んに茂る』の意味)から、美しく茂る木、『うめ』を意味する『梅』という漢字が成り立ちました。」
とある。
(ウメの花(白梅)・東京都杉並区立角川庭園にて https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1より)
「うめ」について,『広辞苑』には,
「『梅』の呉音メに基づく語で,古くはムメとも」
とある。『岩波古語辞典』も,
「『梅』の中国音muəiを写したもの。平安時代mme と発音したので,古写本には『むめ』と書くものが多い」
としている。「梅」自体が,平安時代,中国から入ったものだけに,この説が妥当性が高い。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%81
は,
「漢字『梅』の唐代の音muəiの音写「ムメ」からとの説あり。」
と,しているのも,符合する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1
も,
「『ウメ』の語源には諸説ある。ひとつは中国語の「梅」(マイあるいはメイ)の転という説で、伝来当時の日本人は、鼻音の前に軽い鼻音を重ねていた(東北方言などにその名残りがある)ため、meを/mme/(ンメ)のように発音していた。馬を(ンマ)と発音していたのと同じ。これが『ムメ』のように表記され、さらに読まれることで/mume/となり/ume/へと転訛した、というものである。上記のように『ンメ』のように発音する方言もまた残っている。」
とし,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1
には,「うめ」は,
「中国では紀元前から酸味料として用いられており、塩とともに最古の調味料だとされている。日本語でも使われるよい味加減や調整を意味する単語『塩梅(あんばい)』とは、元々はウメと塩による味付けがうまくいったことを示した言葉である。また、話梅(広東語: ワームイ)と呼ばれる干して甘味を付けた梅が菓子として売られており、近年では日本にも広まっている。
さらに漢方薬の『烏梅(うばい)』は藁や草を燃やす煙で真っ黒にいぶしたウメの実で、健胃、整腸、駆虫、止血、強心作用があるとされるほか、『グラム陽性菌、グラム陰性の腸内細菌、各種真菌に対し試験管内で顕著な抑制効果あり』との報告がある。」
とあり,漢方薬として入ってきた可能性がある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/u/ume.html
も,
「実を薬用にする『烏梅(うばい)』の形で、平安時代以降に中国から伝来したとされる。 中国語では『ムエイ』のような発音だったものを日本人が『うめ』と聞き取ったために、『うめ』と呼ばれるようになった。『むめ』と読むのも『ムエイ』に由来するもので、平安時代 から見られる。 本来、薬用として伝来したものであるが、花のもつ気品や美しさから平安 時代の漢詩や和歌などで題材とされている。」
としている。『大言海』は,
「朝鮮語,梅(マイ),我が邦に野生なし,記,紀に見えず,萬葉集に,明日香藤原の朝よりの歌あり,初め,外来の烏梅(ウバイ)を薬用とし,字音にて,烏梅(ウメ)(薬名『取半黄梅實,籃盛置煙突上,燻乾則成黒色,故曰烏梅』。烏は黒色の意。梅の實の燻製)と云ひしに,薬用の必用なるより,其生實若しくは,苗木を取り寄せ植ゑて,烏梅(うめ)の木と云ひしが,遂に樹名(萬葉集,三,五十三『吾妹子が,植ゑし梅樹(うめのき),見る毎に,心咽(む)せつつ,涙し流る』。又,賀茂真淵の梅辭あり)となりしなり。象牙,渡りて,斑文あるに因りて,段(きさ)と呼びしが,象(ざう)の名ともなりしが如し」
と更に詳しい。「烏梅」(うばい)の項には,
「古へは,烏梅(うめ)と訓みき。烏は,黒き義。燻(ふす)べらして黒し」
とある。
(梅の花(紅梅) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1より)
「うめ」が外来ということでは違いないが,経路が,
中国語からか,
朝鮮語経由か
で別れるし,それも,
梅の木としてか,
烏梅としてか,
でわかれるようだ。それによって言葉の由来もわかれる。
『日本語源広辞典』は,中国語由来について,
「中国語音『m』の前にu,後にeが加わったとする説です。漢字が公式に日本に伝わったのは,古事記によると,百済の学者王仁が伝えた論語千字文だとされていますが,四百年ころのことと思われています。福岡県志賀島から発掘された『漢委奴国王』の金印は,五七年の史実と照応しあいますので,普及はしていなくても漢字が一部入ってきていたはずです。人類学的に『日本語・語源辞典』をみると,漢字はさておいて,中国語や中国音は,数千年以上も前から入ってきて,日本語を形成したり影響を与えたりしていたのでしょう。ウマ,ウメが,訓のように思われ,使われていたのは,そういうところに原因があります。」
としていて,実情に近いはずである。
『日本語の語源』は,中国語からの変化として,
「中国語のバイ(梅)・バ(馬)を国語化してウメ(梅)・ウマ(馬)という。『ウ』は語調を整えるための添加音であった。これに子音が添加されてムメ(梅)・ムマ(馬)になった。さらにム[mu]の母音[u]が落ちて撥音化したため,ンメ(馬)・ンマ(馬)という。」
と,辿ってみせる。どの時点で入ってきたにしろ,中国語を和語のように使いこなしていたらしい様子がよくうかがえる。「うま」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/451611340.html
で触れたが,これも(モンゴルからの)外来であった。
中国由来以外の諸説は,いろいろあるが,ここでは省く。しかし,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/406252031.html
で触れたように,季節を愛でること自体を中国から学んだ。
春風先ず發く苑中の梅
桜杏桃梨次第に開く
薺花楡莢深村の裏
亦た道う春風我が爲に来たれりと
という白居易の詩は,梅に対する目を変えたはずである。それは,「梅」ということはだけでなく,梅に対する独特の風情をも輸入したのである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
下定昌弘『漢詩集』(ちくま新書)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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