テーマ
高原秀平 / 前田正憲展(報美社主催)に伺ってきた。
最近,僕は,作家のテーマについて関心がある。そのことは,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/458680594.html?1523216760
で,猪熊弦一郎展「猫たち」(ザ・ミュージアム)について触れた。少し重複するかもしれないが,ここでいう「テーマ」は,作品のモチーフのことでも作品の主題の意味でもない。作家のテーマである。それは,
何を描くか,
である。それは,作家が,おのれを生かす世界を見つけることだ。晩年になってやっと鷗外が『澀江抽斎』に出会って,それを手にしたように。それまでの鷗外は習作でしかない。『澀江抽斎』については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/457109903.html
で触れた。作家の独自性,あるいはオリジナリティとは,
その人にのみ見える世界を,その人にしか描けないように見せること,
と思っている。その意味で,自分の世界(対象)を手に入れた者にのみ,
どう描(書)くか,
が,俎上に上ってくる。まずは,
自分にしか描けない世界は何か,
を見つけることだ。それが作家終生のテーマである。その意識のない技術や方法論は,所詮目的を欠いた無駄花である。その世界を見つけた者にのみ,世界を描く手段としての「描き方」が,目的を以て研磨される。
その視点で今回拝見させていただいた。フェイスブックで,
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1678018898948059&set=a.488373337912627.1073741840.100002198940716&type=3&theater
ちょっとだけ書いたが,「月に覗かれる」が,僕には,出色に見えた。勝手な先入観かもしれないが,この絵には,具象から抽象へと変化していく時間がある。あるいは,具象から抽象への過渡があると言ってもいい。もっと踏み込むなら,具象から抽象へとメタ化するプロセスそのものを描いたともいえる。そう見た瞬間,この作家には,自分のテーマがつかめている,と見えた。とすると,おのれの見えている世界をどう,独自の方法を磨いて見せるかに,今後がかかっている,と想えた。
(「月に覗かれる(1)(2)」)
その意味では,「木漏れ日にのぞかれる」(1)(2)もいいし,「浮世の山水画」もいいが,僕には,「月に覗かれる」が,仮に意識的にこれが描かれているのだとすればだが,一つの世界と出会っているのだと,感じた。
(「木漏れ日に覗かれる」(1)(2))
(「浮世の山水画」)
もうひと方の作品は,ハガキに載っていた絵が特色の,花を抽象化して。ちょっと凝ったタイトルをつけられるのが特徴だが,僕には,この流れは,日本の紋章の,草花を極度にデザイン化した独自の世界のイメージと重なって,どこか既視感を抱かせる(失礼!)ので,得策な対象とは思えなかった。好みだけで言えば,「11.souldust」(だったか)と題された作品に,その人にしか見えない世界,という意味の,前述と同じような意味の独自性のとば口を見る。
作家は(画家も小説家も),いずれもおのれのテーマを捜す。そのテーマに廻り合えた時,ひとつの開眼があると思う。それは,おのれの視界が開けた,ということだ。それは,点では見えない。線を通してしか窺うことはできない。今回の展覧会だけで,それを云々するのは僭越かもしれないが,敢えて感じたことを記してみた。
(真ん中が「11.souldust」(だったか))
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