2018年05月17日
ほとほと
「ほとほと」は,擬音のそれではなく,『広辞苑』で
殆,
幾,
と当てる「ほとほと」である。
今少しで,すんでのところで,
大体,ほとんど,
本当に,非常に,
という意味があるが,今日では,
ほとほと困った,
ほとほとあきれた,
という意味でしか使わないように思う。「大体」「すんでのところで」はあくまで状態表現だが,「本当に」は,その状態に対する価値表現になっている。意味の視点が,客体表現から,主体表現に転じている,と見ることができる。
『岩波古語辞典』には,
「事の進みがぎりぎりの所まで,立ち至っている状態に言う」
とあり,
あやうく(…するところだ),
が,
大体,
に転じるところまでしか,『岩波古語辞典』には載らない。
「平安時代末期には,ホトホド・ホトヲトなどと発音されていたらしい。後にホトンドに転ずる」
とある。『日本語源大辞典』によると,
「院政時代から鎌倉時代にかけて,『ほとほど』(『観智音本名義抄』)や『ほとをと』(『色葉字類抄』『名語記』)となり,室町時代中期以降『ほとんど』(『文明本節用集』)の形を取り,今日に至っている。」
とある。
こうみると,「ほとんど」に転じた段階で,
今少しで,すんでのところで,
大体,ほとんど,
という状態表現の意味を「ほとんど」に移行し,「ほとほと」が,主体表現の,
非常に,本当に,
の意味に純化したというように見える。「ほとほと」の転じた「ほとんど」は,
殆,
と当て,
大方,大略,
今少しのところで,
という意味で,「ほとほと」の「ほとんど」への転訛で,意味がシフトしたことがよくわかる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ho/hotondo.html
は,「ほとんど」の項で,
「『ほとほと』は、…『もう少しで』というところから、『だいたい』や『危ういところで』の意味を表すようになった。 現代語では『ほとんど』がこの意味を 引き継ぎ、『ほとほと』は意味が変化し『まったく』『つくづく』など困り果てた気持ちを表す。」
とまとめている。
『大言海』は,「ほとほと」を,
「邊邊(ほとり)の意と云ふ」
とするし,『日本語源広辞典』も,
「ホトホト(辺・側のホトリのホトの畳語)」
とする。『岩波古語辞典』の「ほとり」の項に,
「ホトはハタ(端)の母音交替形。リは方向をいう接尾語」
とある。「はた(端)」は,
「内側に物・水などを入れてたたえているものの外側。へり」
とある。どうやら,「ほと」を重ねて,その近くにある,間近,という意味を擬態語として表現したものらしい。
ほぼほぼ,
あつあつ,
とってもとっても,
さらさら,
と同趣旨の,強調表現と見ることができる。『日本語源大辞典』は,
「辺や側を示す『ほとり』の語基『ほと』の畳語で,『境界をなす部分(周縁)において』を原義とする。」
とし,
ホトリ(辺辺)の意という(大言海),
以外に,
ハツハツ(端々)の義(国語溯原=大矢徹),
ハタハタ(端々)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
ホトはハト(端処)の転(日本古語大辞典=松岡静雄),
を挙げ,「ホトリのホトをハタ(端)の母音交替形とする説に従えば」,「端」に関わる語源説も有力,とする。
なお,今日ではほとんど使わないが,「ほとほと」を,形容詞で使うと,
ほとほと(殆・幾)し,
となり,
ほとんど…しそうだ,すんでのところで…である,
もう少しで死にそうである,
極めて危ない,
という意味になる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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