2018年05月28日

藪医者


「藪医者」(やぶいしゃ)は,

藪薬師,
庸医,
草医,

ともいう。「庸医(ようい)」とは,

凡庸な医者,

ということで,

治療のうまくない医者,

藪医者,と重なる。ニュアンスとしては,「庸医」の方が,「藪医者」よりはましな気がするが。

拙医,

の含意がある。「草医」の「草」は,

草野球,
草競馬,

といったように,接頭語として,

本格的な物に準ずるもの(『広辞苑』),

というよりは,この場合,

似て,真ならぬもの。犬蓼,犬ほうずきの,犬に似たり(『大言海』),

という意味の方が正確だろう。つまりは偽医者である。因みに,「薬師」とは,

医者,

の意である。

『広辞苑』に,

「『藪』は野巫(やぶ)の意で,当て字。」

とある。しかし,落語などでは,人名になぞらえて,

藪井竹庵(やぶい ちくあん),

と言ったりする。しかし「藪」を当て字とせず,兵庫県の養父市の「養父」(やぶ)とする説がある。

http://www.city.yabu.hyogo.jp/7190.htm

によると,俳人で松尾芭蕉の門弟である森川許六が編纂した『風俗文選』(ふうぞくもんぜん)という俳文集に,

「薮医者ノ解」

と題する一節があり,

「世に藪(やぶ)醫者と號するは。本(もと)名醫の稱にして。今いふ下手(へた)の上にはあらず。いづれの御ン時にか。何がしの良醫。但(たん)州養父(やぶ)といふ所に隱れて。治療をほどこし。死を起(をこ)し生に回(かへ)すものすくなからず。されば其風をしたひ。其業を習ふ輩。津々浦々にはびこり。やぶとだにいへば。病家も信をまし。藥力も飛がごとし。」

と(これに言及しているのは許六の門弟、許六と同じく近江彦根藩士「汶村(ぶんそん)」)。つまり,

「世の中で『薮医者』というのは、本来名医を現す言葉で,ある名医が但馬の養父という所にひっそりと隠れるように住み、死にそうな病人を治すほどの治療を行うことも少なくなく,その評判は広く各地に伝わり、多くの医者の卵が養父の名医の弟子となった。」

というわけである。しかし,名医のブランドとしての「養父医者」を騙る医者が相次いだため信用が失墜し逆の意味になった結果,

養父医者→藪医師,

と転じた,というわけである,と。しかし,眉唾の気味がある。騙ったところで,それは「偽養父医者」であって,養父医者が藪医者に転ずるとは思えない。

『大言海』には,こうある。

「藪は,摩訶止観,七『如野巫唯解一術,方救一人獲一脯胖,何須神農本草邪』の草閒の巫師たる野巫に基づくと云ふ(古への醫術中に,呪法を行へり,呪も醫療の中なり)。野巫醫にて,薬法に呪,加持等を加へて療する意にて,拙醫に限らぬ稱と云ふ(近代世事談)。或は云ふ,無學の醫を,僧の罵り呼びし隠語に起こるかと」

これは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E5%8C%BB%E8%80%85

に,

「白杉悦雄によれば、藪はもともと仏教語の野巫の当て字であり、織田得能『仏教大辞典』に、野巫とは『草野の巫師。唯一術を解するもの、以て寡聞の禅人に譬える』とある。出典は智顗『摩訶止観』で、『又野巫の如きは、唯だ一術を解して、方に一人を救い、一の脯胖を獲。何ぞ神農本草を学ぶことを須いんや。大医と為らんと欲せば、遍く衆知を覧て、広く諸疾を療せよ。転た脈し転た精しく、数しば用い数しば験あれば、恩救博し』(『摩訶止観』巻七下)とある。つまり『ただ一つの術』しかわかっていないものが「野巫」である。」

とあることと重なる。そしてその由来は,

「『庭訓往来』に「藪薬師」という言葉(藪医者に同じ)が見えることから、十四世紀末から十五世紀頃を目安としてよいだろう、という。そして寺島良安『和漢三才図会』(1713)にいたって、「一般に庸医を野巫医と称するが、その呼び方は天台止観から出ているという。思うに、野巫とは祭主の卑賤なもののこと、唯一つの術だけを解し、一人だけを救い、それで自分の療法はすぐれていると考える類である。大医になろうと志すものは、ひとえにいろいろな治療を覧、広くいろいろな疾を治療し、こうして道を体得するべきである」(巻七)と記される。」(仝上)


しかし,これも,

養父医者→藪医師,

の変化と似ていて,

呪術を用いる(しかも一術しかない)野巫→藪,

と言い切るのは無理筋に思える。しかし,『日本語源広辞典』も,

「野巫+医者」

を採り,

「呪術で治療を行った田舎医者の意です。このヤブに,野夫,藪を当てて,熟達していない医者を嘲った表現」

とし,『日本語源大辞典』も,同趣旨で,

「田舎医者とあざけっていったものか」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yabuisya.html

も,

「『野巫医者(やぶいしゃ)』を語源とし、『藪』は当て字とする説が有力とされる。 野巫は『田舎の巫医(ふい)』とも言われ、呪術で治療する田舎 の医師のこと。 あやしい呪術で治療することから『いい加減な医者』、たった一つの呪術しかできなかったことから『下手な医者』といった意味で,野巫医者という言葉が生まれたとされる。」

とする。ただし,

「『野巫』という語そのものが用いられた例が少ない」

として断定を避けている。どの視点から蔑むかがはっきりしない。官についている立場なのか(たとえば,典薬寮の「クスリノツカサ(久須里乃豆加佐)」),貴人に雇われた薬師の立場なのか。呪術を使っているから蔑まれるというのはないはずである。治せるかどうかである。後世になっても,加持祈祷に頼んだりするので,それだけで,

野巫=草医,

にはならない。この説は,おかしいと思う。『日本語源大辞典』に揚げている諸説は,

ヤブイ(野巫医)の義(本朝世事談稿・牛馬問・俚言集覧(増補)所引秇苑日渉・大言海),
ヤブ(草沢)深い僻地の医者の意(於路加於比),
ヤブはサビの転で,似ているものの意(勇魚鳥),
ヤブはヤフ(庸)の転か(愚雑俎),
大家には招かれず,常に田夫野人を治療するのみであるところから,ヤブは野夫の義(安斎随筆),
但州ヤブ(養父)にいた良医からそれにあやかろうとしてヤブの名が蔓延したもの(風俗文選),
丹波の国の名医の名を弟子たちが勝手に用いたところからか(話の大辞典=日置昌一),
貧しいために藪の中から種々の草根木皮を取り集めて薬としたところからか(勇魚鳥所引醍醐随筆・話の大辞典=日置昌一),

となるが,結局なぜ,藪と貶められたかがはっきりしない。僕は,『日本語の語源』の,

「方言には強化の母交(母韻交替)[uo]例が多い。『いなかおやじ』のことをヤフ(野夫)といったのがヤホ・ヤボ(野暮)に転音して,『世情にうといこと。気がきかないこと』を言うようになった。ちなみに,へたな医者をヤブイシャ(藪医者)というのは『野夫医者』であった。」

というシンプルな転訛説が,意味の転化も通るので,妥当ではないか,という気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)


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