「放下」は,
ほうげ,
と訓む。また,
ほうか,
とも訓む。「ほうげ」と訓むと,
投げ捨てること,
禅宗で,心身共に一切の執着を捨ていること,また,その禅僧,
を意味するが,「ほうか」と訓むと,投げ捨てる意味の他に,「放家」とも当てて,
中世・近世の芸能,
を指す。『広辞苑』には,
「手品や曲芸を演じ,小切子(こきりこ)を操り,小歌を歌い,八桴(やつばち)を打ちなどした。その演者を,放下師または単に放下ともいい,僧形のものが多かったので,放下僧とも呼んだ。僧形でも烏帽子を被ったり,笹を背負うなど,異形の姿だった。」
とある。
(『七十一番職人歌合』より「放下」。笹竹を背負い、烏帽子姿であるく放下師https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8Bより)
『岩波古語辞典』には,
「又,一種の国賊あり,放下の基と号して,三衣一鉢を捨てて,身に衣を着ずして,或,烏帽子を着,或は,狗・猫・兎・鹿(しし)の皮を着て,舞いを為し,歌を歌ひて,正法を謗し,人家の男女を誑譃(わうご)して世を渡る類あり」(塩山和泥合水集)
とある。
もともとは,
「手より物を投げ放ち捨つる」(『大言海』)
意味でしかないが,禅家で,特殊な意味を込めたのは,
『五家正宗賛(ごけしょうじゅうさん)』にある趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778~897年)の逸話に依るらしい。
(趙州従諗 『仏祖正宗道影』木版画https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E5%B7%9E%E5%BE%93%E3%82%B7%E3%83%B3より)
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/060801.html
には,
放下著(ほうげじゃく),
というらしく,
厳陽尊者(げんようそんじゃ)という修行者が趙州和尚に問います。
「一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)の時、如何いかん」
趙州和尚が答えます。
「放下著」
更に問います。
「既に是れ一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)、箇(この)什麼(なに)をか放下せん」
するとこう答えた,と。
「放(ほう)不(ふ)不(ふ)ならば担取(たんしゅ)し去され」
これだけ棄てて無一物になった,という自我(自恃)をも「棄てろ」というのが,
放下著,
であるらしく,それがわからないようなら,そいつ(無一物)を担いでされ,とまで言われた,というわけである。
それが大道芸の放下に使われたについては,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8B
に,
「『放下』の語はもともと禅宗から出た言葉で、一切を放り投げて無我の境地に入ることを意味したが、『投げおろす』『捨てはなす』の原義から派生して鞠(まり)や刀などを放り投げたり、受けとめたりする芸能全般をあらわすようになったと考えられる。」
とあるが,それだけではなく,通常の世界から放下されたもの,という意が込められていたのではあるまいか。
その芸については,
「放下師(放下)がおこなった芸には、中国から渡来した鼓のようなかたちの空中独楽の中央のくびれ部分に紐を巻き付けて回転させたり、空中高く飛ばしたりして、自在に使い分ける輪鼓(りゅうご)や田楽芸の『高足』から転じた連飛(れんぴ)、また、鞠・短刀などを空中に投げ上げて自在にお手玉する品玉(しなだま)、八ツ玉、手鞠、弄丸(ろうがん)などがあり、従来の散楽や田楽から学び習った曲芸や奇術を専業化し、人びとが行き交う大道や市の立つ殷賑の地などでこれを演じて人気を博した。また、『こきりこ』(筑子)と称される、長さ30センチメートル・太さ1センチメートルほどの竹の棒2本を打ち合わせたり、拍子をとったりして物語歌をうたい歩き、あるいは辻に立って歌い、特に子女からの人気を集めた。」
と詳しい。
(路上で皿回しをしている放下師。『人倫訓蒙図彙』(元禄3年(1690年)頃刊行))。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8Bより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95