「とき」は,
時,
と当てるが,
秋,
世,
刻,
季,
期,
節,
辰,
運,
も,「とき」と訓ませたりする。
時勢の意味(「世紀」),
時刻の意味(「刻限」),
季節の意味(「季節」),
期限の意味(「期間」),
時期の意味(「危急存亡の秋」),
気候の意味(「時節」),
星辰の意味(「辰刻」),
めぐりの意味(「運勢」),
等々「とき」だけで表現できない意味を,漢字の陰翳を使って伝えようとする苦心といっていい。漢字がなければ,日本語は,そもそも成り立たない。ひらがなを仮名とよび,漢字を真名と呼んだ先人の思いがよくわかる。
多く当てられる「時」(漢音シ,呉音ジ)は,
「之(シ 止)は,足の形を描いた象形文字。寺は『寸(て)+音符之あし』の会意兼形声文字で,手足を働かせて仕事をすること。時は『日+音符寺』で,日が進行すること。之(行く)と同系で,足が直進することを之といい,ときが直進することを時という」
とある(『漢字源』)。
(「時」殷・甲骨文字 https://en.wiktionary.org/wiki/%E6%99%82より)
https://okjiten.jp/kanji145.html
は,
「会意兼形声文字です(止+日)。『立ち止まる足の象形と出発線を示す横一線』(出発線から今にも一歩踏み出して『ゆく』の意味)と『太陽』の象形(『日』の意味)から『すすみゆく日、とき』を意味する漢字が成り立ちました。のちに、『止』は『寺』に変化して、『時』という漢字が成り立ちました。(『寺』は『之』に通じ、『ゆく』の意味を表します。)」
とあり,結果としては,同じである。
『大言海』は,「とき」の項で,
「常(とこ)の転か,或は,疾(とき)の意かと云ふ」
とする。『語源由来辞典』,
http://gogen-allguide.com/to/toki.html
も,
「とどまることなく流れることから『とこ(常)』の転とする説と、速く過ぎることから『とき(疾)』の意味とする説がある。『年』の語源が『疾し(とし)』にあるとすれば、それよりも速く過ぎる『時』の語源が『とき(疾)』でも不自然ではない。また、『常』は『とどまることなく』の意味からとされるが、『つねにあるもの』は『停滞』を意味し,『流れる』という意味が弱いことから、『とき(疾)』としたほうがよいであろう。」
と,二説挙げ,「疾し」説を採る。しかし,『日本語源広辞典』は,三説挙げる。
説1は,「月の音韻変化」説。月の満ち欠けによって時の動きを示す,
説2は,「解ける・溶けるのトキ」語源説。溶けていく過程に時間の移り行きを示す,
説3は,「疾き」説。早く過ぎ去るを示す「トキ(疾き)」で時間の進行を示す,
個人的には,「疾き」というのは,如何かと疑問である。「早い」と感じるのは,時間だけなのだろうか。他と比してそう感じさせたという根拠があるのだろうか。何となく,後世の理屈で解釈しているように思える。むしろ,
tuki→toki
と,月を基準にする説が自然に思える。『日本語源大辞典』は,四説載せる。
トコ(常)の転か(東雅・大言海),
トキ(疾)の義。速く過ぎるところから(名語記・和句解・日本釈名・名言通・柴門和語類集),
トキ(辰)の義(言元梯),
ツボコシ(坪越)の反。坪を過ぎれば,時が移るところから(名語記)
やはり,
「月の音韻変化」説,
に軍配を上げたい。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95