2018年07月23日
主君「押込」
笠谷和比古『主君「押込」の構造―近世大名と家臣団』を読む。
本書のテーマは,
「近世の大名諸家でおきた主君『押込』の問題である。」
主君「押込」は,例外的な行為ではなく,慣行として行われてきたことを,本書は明らかにしていく。
歌舞伎の「伽羅先代萩」ではないが,時代劇の伊達騒動や黒田騒動といったお家騒動は,大概,主君と対立する重臣層は,悪役と相場は決まっている。しかし,本書は,そうして培われてきたわれわれのイメージを一新したことで,有名である。それどころか,家臣団による,主君「押込」は,
「悪逆行為などではなく,それ自体は正当な行為としてこの社会(つまり江戸期の武家社会)では広く認知されていた事実」
を,本書は明らかにしている。しかし,問題の性格上,
「主君『押込』問題なるものは,それが発生したにしても,大名家の公式記録にその次第が明記されることはまずない」
ので,あくまで一次史料をもとに検討を加えていくが,
「もとより事件のアウトラインをつかむためには第二次的な史料,即ち後の時代に,第三者の手で,単なる風聞に基づいて,記されたようなタイプの史料にもよらねばならないであろう。しかしその場合でも,それが第一次史料によって裏付けられる,ないし強い示唆を与えられている場合にはじめて,その記述を信憑性のあるものとして受け入れていくことにしよう。」
との方針で,本書では,
宝暦・明和の蜂須賀家の事件,
宝暦元年の岡崎水野家事件,
宝暦四年旗本嶋田家事件,
宝暦五年加納安藤家事件,
正保三年古田騒動,
万治三年伊達綱宗隠居騒動,
元禄八年丸岡本多騒動,
宝暦七年秋田騒動,
安永九年上山松平家の内訌,
文久元年黒羽大関家事件,
等々を取り上げている。しかし,あるいは,表面化しないものの,前藩主隠居,家督相続されている事例の中にも,家臣団による「主君『押込』」が隠されているかもしれないと思わせるところがある。
さて,蜂須賀十代当主重喜を廻る案件は,末後養子として佐竹家から迎えられた重喜が,
「根本的に旧例や家格秩序に拘束されない,合理的な役職制度」
を目指とた新法「役席役高の制」を導入し,
「家格基準の秩序体系を役職を中心とするものに組み替え,同時に少録下位家格の者に,高級役職への就任機会を与えようとする」
ことを目指し,仕置家老を失脚させ,自分を「押込隠居」させようとした三家老を閉門に追い込み,ついに,
「主君の意のままに任免可能な自由な官僚制」
を実現し,
「旧例にも家格秩序にも身分特権を有する勢力の意向にも制約されず,主君の意思がそのまま藩という政治機構の意思に転化しうるような政治体制,すなわち,『専制』」
形成するに至る。一方で,倹約令,備荒貯穀倉の設立,放鷹地の開墾,藍玉専売等々を実施し,自らは,領内に豪奢な別荘を造営する。しかし,その時点で幕府が介入し,隠居命令を出す。そこに,
「養子之事ニ茂候得ば,養家江対し旁不慎成儀ニ思召候,依之隠居被仰付之」
とある。ここにあるのは,
「家老層の勢力が安定的に存在する一般的な状態の下では,主君はその権威と権力をもってしても容易には専制的権力行使がなしえない」
主君「専制」を暴政と見做して容認しない姿勢である。
藩内の家老を中心とする政治体制には,それを必然とする背景がある。ひとつには,
「近世初期の主君親裁ないし主君独裁体制なるものは,その仕置きの内容が,後の時代に見られるような全体としての藩政の内実をもたず,精々主君の蔵入地の差配と,それに基づく財政運営を対象とするような段階の政治形態であった…。それがいわゆる藩政の確立と共に,家臣団の給地も一元的に統合されて藩領の全体性の中に包摂され,年貢収取・治水・開発・勧農・救恤・治安・裁判等の全般滝なった行政が,この藩全体に押し及ばされ,他方では家臣団の封禄支給も実質的に藩財政の一環に組み込まれていくような段階に至ると,(知行地の多い)外様大身の重臣を含む家臣団の総体が藩政の運営・決定に参与していくことになるのである。
だから家老政治とは,このような一元的な藩政の必然的な産物だと見ることができる…。」
しかも,第二に,この大身の家臣たちは,たとえば,黒田長政が遺言で,
「武功有ル家来共ヲモソコナヒ不申」
と言い残しているように,家禄とは,
「単なる封禄ではなく先祖の武功に基礎をぐ封禄であるとされる。即ち,勲功ある家臣の家にとっては知行・家禄は当然の権利」
なのである。今日の藩を作り上げたのは,藩主のみではなく,家臣の武功に依っているからである。だから,長政は,遺言で,
「子孫ニ至リ,不義放逸ヲ専トシテ,諌ヲ聞入ズ,自由ヲ働キ掟ヲ守ラズ,ミダリニ財宝ヲ費スモノアラバ,家老中申合セ,其者ヲ退ケ,子孫ノ中ヨリ人柄ヲ撰ビテ主君トシ,国家ヲ相続セシムベシ」
と書かしめている。この考え方は,君主ではなく,「御家」に忠誠の対象としていくことを反映している。幕府の『東照宮御遺訓』には,
「将軍の政道その理にかなはず,億兆の民艱困することもあらんには,誰にてもその任にかはるべし,天下は一人の天下にあらず,天下の天下なり」
ということを「家康が語ったと信じられていた」という時代的な背景がある。
こうしたことを背景として,主君「押込」行為が,
「規範的な意味においても正当ものとしての地位を獲得し,近世秩序の一方の柱をなすものとして成長していく過程」
で,手続き,型式が明確になって,制度的に安定していく。それは,
家老・重臣層の合意形成,
親類大名の諒承取り付け,
幕府の内意,
であり,それを以て「押込」が執行される。その限りでないと,例えば,安藤家事件で,家老に死罪を申し渡した書面で,幕府は,
「其方儀,主人對馬守不身持に候はば幾度も諫言を可加之処,等閑に取計,心底を不尽蟄居致させ,」
と,重ねての諫言もせぬことを咎めている。「主君『押込』」は,諫言の延長線上の行為とみなされているのである。
参考文献;
笠谷和比古『主君「押込」の構造―近世大名と家臣団』(平凡社選書)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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