2018年07月31日

崩す


牧孝友貴 個展(報美社)に伺ってきた。

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昨年も伺った記憶があり,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/452196019.html

で触れたが,僕には,背景というか「地」が気にかかった。それは,たぶん描かれているものが具象度を薄める,もっというと,カタチを崩そうとする分,それが地が拮抗し切れていない,という印象であった。それは,勝手な読みかもしれない。しかし,今回,別のことに目が向いた。

一番惹かれたのは,「motorcycle touring2018015」と題された作品。僕が常識にとらわれているのかもしれないが,地に対象物が浮いている,という印象がない。たぶん現実の風景(ないしそのイメージ)から着想されたものと思うが,現実味が濾過された一種心象風景になっている。

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(motorcycle touring 2018015)


これに惹かれるのと同じ理由で,同じく「motorcycle touring20180502」というタイトルの作品にも惹かれた。これも,同じように,現実の風景が一種心象風景のように見える。あえて言えば,幻想的かもしれないが,別の言い方をすると,現実を丸めた分,抽象度を高めている,という言い方もできる。この場合,僕には,地だけが際立つような印象はない。全体が,一つの世界を形作っているとみえた。それが,全く個人的な印象かもしれないが,前回との差に思えた。

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(motorcycle touring 20180502)


もひとつ今回勝手にあることを感じたのは,「motorcycle touring 20180527」と「motorcycle touring 20180127」だ。

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(motorcycle touring 20180527)

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(motorcycle touring 20180127)


どちらも,色とりどりのドッドは,丁度デジタルデザインが最小単位のドットが分離して,カタチが崩壊していく(のによく使われる)ように,ひとつのカタチを崩れていく様に見える。これもまた心象風景でもありえる。

そう見ると,いま,この二つの絵は,未来を描いているとも見えてくる。別の言い方をすると,時間が描けている気がする。それが作家の志向かどうかはわからないが,僕には二つの意味で興味深い。

ひとつは,カタチを崩すのは,作家が自分の世界を築く在り方で,どう現実を丸めて見せるか,そしてそこにどう新しい世界を顕現させるかだと思うからであり,いまひとつは,カタチを崩すという作業には,画く行為自体を画くという意味が含まれていると思うからである。そこには,いかに現実の対象であれ,心の風景であれ,それをどうう描くかではなく,それを描こうとすること自体を対象化しなければ,描けないからである。

僕は最近,描くを描く,ということに個人的な関心がある。それは,単に,

何を描くかではなく,どう描くか,

という方法の問題ではなく,

その(発想を)描くこと自体をどう描くか,

という,

描くを描く,

ことこそが,文学でも,絵画でも,今日の大事な方法的視点だと思っているからである。そんなことを感じさせてくれた個展ではあった。

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:崩す
posted by Toshi at 04:16| Comment(0) | 個展 | 更新情報をチェックする
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