2018年08月02日

ガラパゴス


特別展「縄文―1万年の美の鼓動」(東京国立博物館)に伺った。

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案内には,

「縄文時代が始まったとされる約1万3000年前。狩猟や漁撈(ぎょろう)、採集を行っていた縄文時代の人びとが、日々の暮らしのなかで工夫を重ねて作り出したさまざまな道具は、力強さと神秘的な魅力にあふれています。本展では『縄文の美』をテーマに、縄文時代草創期から晩期まで、日本列島の多様な地域で育まれた優品を一堂に集め、その形に込められた人びとの技や思いに迫ります。」

とある。一口に縄文時代と言っても,ほぼ1万年にわたり,紀元後はまだ二千年にしかならない。しかも,縄文時代人などと一口で括れるはずもない。まして,

ニッポンの美の原点,

というほど,今日の日本と重ねていいものかどうかは疑問である。しかし日本人のベースが,縄文人であるらしいことは,たとえば,

主要に日本人を形成したのは、「ウルム氷期の狩猟民」と「弥生時代の農耕民」とが渡来したことだった。「ウルム氷期にアジア大陸から日本列島に移った後期旧石器時代人は、縄文人の根幹をなした」という。「ウルム氷期直後の厳しい自然環境」が改善され生活が安定化していくと、「日本列島全域の縄文人の骨格は頑丈」となり、独自の身体形質を得ていった。そして縄文時代終末から弥生時代にかけて、「再びアジア大陸から新石器時代人が西日本の一角に渡来」した。その地域では急激に新石器時代的身体形質が生じたが、彼らが直接及ばなかった地域は縄文人的形質をとどめ、その後「徐々に均一化」されていった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA

とする記述がある。通底する気質というものがあるのかもしれない。

そのせいか,ボクは,この展覧会を見ながら,

ガラパゴス化,

の原点を見た,という思いを懐いていた。たしかに,特徴的な土器が多くあるのは確かだが,他の先進文明地帯では,既に,土器の大量生産と商品化が生じ,更には金属器の時代へと移行しようとしているのに,日本では,縄文後期に至っても,土器(あるいは土器の美)を極めようとし,営々と精緻化している。世界全体の流れの中で,何か何周も周回遅れになりながら,なお蛸壺に閉じこもって,土器の精緻化・豪華さを極めようとしている,と見える。

もちろん,祭祀仕様ということはある。あるにしても,僕には,既に大鑑巨砲時代が終っているのに,戦艦大和に拘泥した姿がダブって見え,ちょっと悲しくなった。もちろん縄文人の責任ではない。いつも,一旦決めた方向に突き進んで,回れ右しないのは,後世の日本人の愚さでしかない。

800px-笹山遺跡出土_深鉢形土器_火焔型土器.JPG

(笹山遺跡出土・火焔型土器 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%84%94%E5%9E%8B%E5%9C%9F%E5%99%A8より)


結局縄文人は,素焼きから自力で抜け出ることは出来ず,焼成温度1000℃以下で野焼きされる縄文土器・弥生土器・土師器に止まり, 1000℃以上で焼成される須恵器(陶質土器)の出現は,古墳時代に朝鮮半島から伝来した窯を築いて焼成する方法を手に入れるまで待たなければならない。陶器に至っては,メソポタミア,エジプトでは前 3000年頃に,中国では前 1400~1300年に出現しているのに,日本では奈良時代になってようやく施釉陶器が現れた。磁器に至っては,中国では後漢時代には本格的な青磁がつくられているのに,文禄・慶長の役で朝鮮人陶工を拉致してきて,1610年代にやっと有田西部の諸窯で磁器(初期伊万里)の製造が始まったという。

そう考えていくと,ますます僕には,縄文末期まで営々と土器の精緻化,装飾花に励んでいる姿か,まさしく,

ガラパゴス,

に見えて仕方がなかった。

800px-青森県つがる市木造亀ヶ岡出土_遮光器土偶-2.JPG

(遮光器土偶・青森県亀ヶ岡遺跡出土 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%AE%E5%85%89%E5%99%A8%E5%9C%9F%E5%81%B6より)


縄文のビーナスもいい。いいが,ギリシャの元祖ヴィーナスは,紀元前100年くらいに製作されている。

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(縄文のビーナス・茅野市棚畑遺跡出土 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E3%81%AE%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9わり)
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(ミロのヴィーナス https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%81%AE%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9より

別に卑下するつもりも,貶めるつもりもない。今日われわれに必要なのは,正確な現実認識ではないのか,とこの頃夙に思う。自分褒めもいい,日本凄いねもいい,しかし,「ミロのヴィーナス」を知った上で,「縄文のビーナス」などと名づけたのだろうか。

確かに,土器として優れていることは認める。しかし,土器は時代から取り残され,千度以上で焼成する須恵器,更には陶器へと移行しつつある時代に鑑みる時,すばらしい,などと言っている場合ではなく,結局取り残された美でしかないのではないか。今日,

モノづくり日本,

などと言っている間に,完全にインターネットしかり,ソフトウエアしかり,今日の主要技術で世界から取り残されつつある(いや,既に取り残されている)今日の姿と重なってしまう。悲観的に過ぎるだろうか。

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:59| Comment(0) | 展覧会 | 更新情報をチェックする
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