2018年08月18日
武士団
豊田武『武士団と村落』を読む。
随分旧い本なので,今日の学説との乖離があるかもしれないが,土地に土着し,土地を開墾・開発していく武士の先祖たちの力強い姿が浮び上がってくる。基本かれらは大地につながっていた。
著者は,「はしがき」で,
「ここに武士団とは,平安末期から鎌倉時代を通じて,族的団結によって特徴づけられた武士の集団をいう。この時期の武士は,村落に深く根をはり,農耕生活を営みながら,戦闘に従事する点において,後期の武士とは著しく生活を異にする。」
と,在村し農業に携わる人たちであった。その類型は,
荘園領主級武士,
荘官級武士,
郎党所従武士,
といったり,
豪族的領主層,
地頭的領主層,
田堵(たとみ)名主層,
と分けたり,何らかの形で農事と切れていない。
「武士ともなる名主は,他に独立の小名主を従えて,それから所当・加地子を徴収していた領主的な名主ではなかったかと思う。またどんな大きな領主であっても,平安末期から鎌倉にかけて活躍していた武士は,農業からまったく遊離することなく,農村に土着し,直接経営の土地を,自己の下人や所従に耕作そせる名田(みょうでん)の持主であった。」
で,著者は,
「武士に共通する性格は,荘園領主とちがって,農村に居をかまえていた在地領主であるといいたい。彼らは他から侵害を受けない私領をもち,それ自身名主でありながら,他の名主を支配するという領主的な性格をもっていたのである。」
という。かれらの成長の背景には,平安後期以降,
「国衙や荘園領主による直接の開墾がすくなくなり,反対に地方に住む富農層が積極的に開墾をすすめてきたという事実である。国家としても,彼らが大規模なった開墾をおこない,百姓名(みょう)を買得・集積し,空閑地を囲い込んだりすることをそのまま黙認した。黙認どころか,荒廃した公田の復旧や加作を奨励し,官物の一分免除・雑事・雑役の免除の特典をあたえた。」
ということがある。それを積極的に担ったのは,国衙の在庁官人や郡司・郷司などの地方官であった。
「彼らが私領を拡大した方法の一つは,国衙から特別の便宜を得て,開発の地を別符とか,別符名(別名)とか称してこれを私領化した方法である。在庁官人たちは,これを通じて自らその保司職や名(領)主職をもつに至ったのである。」
こうした連中,つまり,
「在庁官人や郡司・郷司等の資格をもった在地領主はまたいっぽうにおいて公家や社寺の設置した荘園の荘官であった。その中にはその在地勢力を利用するため,荘園領主がこれを,下司や公文に任命したものもあるが,その多くは自己の開発した私領をこれに中央の公家や社寺に名目的に寄進して,自らは下司や公文となりながら,実質的には在地領主としての地位を確保したのであった。その目的は,私領に対する国衙権力の追求を合法的にまぬがれようとするところにあった。」
こうして,在地領主には,
国衙の機構を利用した在庁や郡司層,
荘園領主に私領を寄進してその荘官となった開発領主,
があるが,
「その多くは同一人にしてその二つを兼ねていた。この場合,これらの領主は。もはや従来のようにただ下人や所従を使役して直接経営をなすことはなかった。彼らはこの時期に相当に現れはじめた中小名主にその経営の大半を預け,随時その労力の提供を受けて,直営地の経営をおこなっていたのである。」
こうした在地領主から,武家の棟梁と呼ばれるものになっていく。
「在地領主の開発した私領,とくに本領は,『名字地』と呼ばれ,領主の『本宅』が置かれ,『本宅』を安堵された惣領が一族の中核となって,武力をもち,武士団を形成した。中小名主層の中には,領主の郎等となり,領主の一族とともにその戦力を構成した。武士の中に,荘官・官人級の大領主と名主出身の中小領主の二階層が生まれたのも,このころからである。武門の棟梁と呼ばれるような豪族は,荘官や在庁官人の中でもっとも勢を振るったものであった。」
要は,武士もまた,国土を私的に簒奪したものたちということになる。その多くが,官人,荘官というのも,なにやら,今日の官人の振舞を思い起こさせ,暗澹としてくる。
この武士団の中核をなすのが,一族・一門であり,広義の同族をさす。実態は,
「移住・開発した地方に蔓延した同族を中心として形成されている。この場合,苗(名)字は,公家が本第の屋号,もしくは一族の祭祀所である山荘を名字源とするのに対し,武士は,開発の本宅または本宅の地名をそのまま苗字とした。そして開発に功績のあった先祖を,根元的な本源と仰いでこれを祭り,それ以前の先祖を祭祀の対象としなかった。」
この「名字」族を一族・一門という。こうした在地領主の屋敷は,重要な河川や交通路を支配し得るような要衝の地にあり,やがて大領主へと発展していく。
「南北朝以後,地頭をはじめとする在地領主の直接経営はしだいに減少をはじめた。しかし小規模な在地領主は依然として耕作地を残し,下人・所従をかかえて,これを耕作させていた。戦国大名の支配下にあった給人は,みなこのような手作地をもっている。」
と,室町時代,戦国期の戦国大名へと発展していく兆しがすでに見えている。
参考文献;
豊田武『武士団と村落』(吉川弘文館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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