2018年08月22日

幽霊


今野円輔『日本怪談集 幽霊篇』を読む。

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まさに,本書は「志怪小説」である。志怪とは,

「怪を志(しる)す」

中国の旧小説の一類,不思議な出来事を短い文に綴ったもの。また創作の意図はなく,小説の原初的段階を示す。六朝東晋の頃より起こった。「捜神記」など,

と『広辞苑』にある。ここで言う,「小説」は,

「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」

であり,

「昔、中国で稗官(はいかん)が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。転じて,広く,小説。」

その意味で,いま言う小説のはしり,ということになるが,

「志怪小説、志人小説は、面白い話ではあるが作者の主張は含まれないことが多い。志怪小説や伝奇小説は文語で書かれた文言小説であるが、宋から明の時代にかけてはこれらを元にした語り物も発展し、やがて俗語で書かれた『水滸伝』『金瓶梅』などの通俗小説へと続いていく。」

と,一応フィクションではない。本書は,その志怪小説の「幽霊」篇である。

「このような体験を,超心理,深層心理の発現と解するのも,あるいは単なるナンセンスと眺めるのも,それは読者のご自由だが,何はともあれ,なるべく,どんな先入観にもとらわれずに,その実態を見極める作業からはじめることが,もっとも科学的態度ではないかと思う。多くの例話を読み,比較,総合を試みることによって,わが同胞の霊魂現象が果たしていかなるものであるかを考える素材としていただけるならば,この,日本初の“幽霊体験資料集”編纂目的のなかばはたっせられたわけである。」

と,著者は「はじめに」にしるす。

すがたなきマボロシ,
人魂考,
生霊の遊離,
たましいの別れ,
魂の寄集地,
浮かばれざる靈,
死霊の働きかけ,
船幽霊,
タクシーに乗る幽霊,
親しき幽霊,
子育て幽霊,

と言った章別に,体験談が載る。おなじみの『遠野物語』をはじめとする史料からの転載もあるが,

「編者の直接採取以外の資料については,資料的価値のある部分だけの再録にとどめ,できるだけ原文を尊重した。」

など,柴田錬三郎『日本幽霊譚』,小泉八雲『怪談』,田中貢太郎『怪談全集』などからは採ってないと,あくまで,「志怪」に限定している,とみていい。

「幽霊譚」に奥行が見えてくるのは,「お菊虫」や「皿屋敷」を廻って,折口信夫の,

「キクという名の女性について,折口信夫先生は,(慶応大学の御霊信仰についての講義で)…『佐倉宗五郎の話は実感人形(稲の害虫を追う虫送りの)から出た話にすぎない。宗五郎も,死んで稲虫になったと言われている。そのことから出発して,宗五郎の靈が祀られるにいたる史実らしいものが考え出されもしているのだ。だから同じような伝説のある人なら直ぐそんな話がくつついてくる。伝説が事実を変造する』と説いたあと,『播州皿屋敷の話も同じだ。キクという女は,井戸に投げこまれてオキク虫というものになっているが,これは早乙女虐殺の話で,きっと井戸に関係がある。地下水はどこへでも通じているからだ。不思議に日本の虐殺される女の名には,お菊というのが多い。私は正確には三つ知っている。(イ)毛谷村六助妻園の妹,おきく,(ロ)累解脱物語,与右衛門の子,(ハ)播州皿屋敷,ひとつの見当はついている。加賀の白山に関係がある。自由のククリヒメだが,これはヒントに止める。ともかくオキクと水とは関係がある。水の中で虐殺された女の霊魂とオキクとの関係がある。』」

という話を糸口に,民俗の深部に辿り着ける。

著者が,三田村鳶魚の,

「幽霊を,あるとして無い証拠を挙げるのも,無いとしてあるという現実を打破しようとするのもコケの行き止まり」

という詞を引用しつつ,

「鳶魚翁が指定しなかった第三の立場があろうかと思う。簡単にいうならば,いわゆる幽霊なるものは物理的には実在しないことはいうまでもないから問題にはしないが,実在しないモノを,どんな条件のもとで,どんなふうにその姿を見たり,その声を聞いたりするのか,そこには日本人の特質らしい現象が認められるかどうか,歴史的な変遷がありそうか,など調べてみようというたちばである。」

とし,幽霊を相手にせず,

「幽霊を見聞するわれわれ自身の生活史の一部分-隠されていた未解決の精神史,民間信仰史の一面」

を相手にする,と。

そして,最後に,

「ともかく,真実らしい体験記を整理してみると,われわれが幽霊について持っていた常識は大部分間違っていたらしい。…じっさいの幽霊の中には『恨めしや-』といって出たモノはほとんどない。女性も出るが,男性もしきりに出るばかりか子供,老人の靈にも男女の別はなさそう。血みどろとか,吹出物などで醜悪な顔付きといった陰惨な姿もほとんど体験されていない。ちゃんと足があった。ミシミシと歩く音をたてながらという例が多く,足が無かったというのはむしろ少ない。服装では三角の額烏帽子といった死装束も少なく,ふだん着,外出着が多い…。タクシーを利用する幽霊が急増した。恨めしいどころか,肉親がなつかしくて会いに来ただけというのが多く,圧倒的に多いのはウナ電や電話より早く来る死亡通知の幻。明治このかたの新傾向らしいのは,何の目的で出たのかさっぱりわからないというタイプ。」

とまとめる。いまから60年近く前の編纂だが,現代もあまり変わるまい。

参考文献;
今野 円輔『日本怪談集 幽霊篇』(現代教養文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:21| Comment(0) | カテゴリ無し | 更新情報をチェックする
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