「てぬぐい」は,
手拭い,
と当てる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADによると,
「今昔物語では「手布(たのごい)」という表記の記述があり、和名抄には「太乃己比(たのごひ)」という表記の記述があり、それぞれ、手拭を指しているといわれている。」
とあり,『岩波古語辞典』には,
てのごひ,
と載り,
たのごひ,
とも。とある。「て(手)」は,古形が「た」なので,「たのごひ」というのも「てぬぐい」のことである。「のごひ」は,
拭い,
と当てる「ぬぐい」の古形である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADによれば,
「暖簾と区別も曖昧であり、所定の場所に掛けて日除けや塵除けや目隠しとして使われ、その用途は人の装身具として求められた機能と同じであり、垂布(たれぬの)や虫垂衣(たれむし)や帳(とばり)と呼ばれていた。また紋や家紋を入れる慣わしも同じである。」
とあり,奈良時代には,
「神仏の像や飾り付けなどの清掃を目的とした布として、使われていた」
とする説があり,平安時代には,
「平安時代に、神祭具として神事に身に纏う装身具として使われていた。当初は布は貴重なため、祭礼などを司る一部の身分の高い者にしか手にすることはなかったが、鎌倉時代以降から庶民にも少しずつ普及し、室町時代には湯浴みの体を拭うためにも使われるようになり、戦国時代には広く用いられるようになった。」
とある。『大言海』の「てぬぐい」の項には,
手巾,
手帕
帨
とも当てるとある。「手巾」(シュキン)は,
手ぬぐい,またはハンカチ,
を指し,「手帕」の「帕」(ハク・バツ)は「はちまき」(抹額)を意味し,「帨」(エツ・ゼイ)は「てぬぐい」「てふき」(佩巾)を意味する,というように,当てた漢字からも意味の幅がある(『字源』)。
「3尺から9尺であったが、江戸時代には一幅(曲尺の1尺1寸5分、約34.8cm・反物の並幅、約36から38cm)で、長さは鯨尺2.5尺(約94.6cm)になり、ほぼ現在の約90cm x 35cm程度の大きさになった。詳細に寸法が違うのは一反(12m前後とまちまち)の布から8から11本を裁断したために、大きさが規格として曖昧になっていることや、着物を作成した時の反物の端切れからも作られたことによる。手拭の端が縫われていないのは、清潔を保つ為水切れをよくし早く乾くようにと云う工夫である。」
とある。なかなかの工夫の跡である。『デジタル大辞泉』には,
「手・顔・からだなどをふくのに用いる布。鉢巻きやほおかぶりなどにも使う。ふつう、一幅 (ひとの) の木綿を3尺(約90センチ)に切ったもので、模様や文字が染め出してある。」
とあり,用途はさまざま。
(『デジタル大辞泉』より)
『江戸の風呂』によると,
「手拭いを古くは,胾,帍,手巾と書いて『てのごい』と呼んだが,それが『てぬぐい』となったのは,『手拭』と書く近世になってからである。長さは一定せず,用途によって都合のいい尺数に切って使ったが,幕末になってほぼ鯨尺二尺五寸(約95センチ)に定まったようにだ。
古くは白の木綿地,江戸時代になって赤手拭い,澁手拭い,染め分け手拭いがあらわれ,さらに豆絞り,けし玉,王しぼり,半染手拭いなどが市場に出まわった。これは入浴に限らない。かぶりものにも,帯や目印にもされた。」
とある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADには,
「江戸時代には都市部近郊に大豆などと並んで綿花の穀倉地帯が発展し、木綿の織物とともに普及していった。都市近郊で銭湯が盛んになったことや、奢侈禁止令により、絹織りの着物が禁止され、木綿の着物がよく作られるようになると、端切れなどからも作られ、生活用品として庶民に欠かせないものになった。この頃から『手拭』と呼ばれるようになり、入浴に使われたものは、『湯手(ゆて・ゆで)』とも呼ばれた。
また実用だけでなく、自身を着飾るおしゃれな小間物として、己の気風や主義主張を絵文字の洒落で表し、染めぬいたものを持ち歩いたり、個人が個々の創作で絵柄を考え、発注した手拭を持ち寄り、『手拭合わせ』という品評会を催されるまでになり、折り紙のような趣きとして『折り手拭』という技法もうまれ、庶民の文化として浸透していった。」
とある。
(歌麿画:『汗を拭く女』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADより)
『笑える国語辞典』
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%A6/%E6%89%8B%E6%8B%AD%E3%81%84-%E6%89%8B%E3%81%AC%E3%81%90%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/
にも,
「庶民の間に広く普及していた江戸時代には、ハンドタオル、ハンカチのように水や汗で濡れた手や顔をぬぐうほか、入浴後に体をふくバスタオルの機能もはたしていた。(中略)庶民の誰もが手ぬぐいを持っていた江戸時代には、染色が発達しデザインも多様になり、手ぬぐいをもちよってそのデザイン性を競う競技会のような催しも行われたほどである。また手ぬぐいは、身体をぬぐうという本来の用途のほか、はちまき、ほおかぶり、あねさんかぶりなど、かぶりものとしても広く用いられ、物売りや農民など日中外で仕事をする人々のほか、夜間に人目を忍んで活動する泥棒にも、頭や顔を隠す必需品であった。」
とある。今日のマフラーの代用品でもあった。なお,「てぬぐい」の柄については,
https://kamawanu.co.jp/tenugui/origin.html
http://ky.japanese-towel.com/pattern.html
に詳しい。ところで,落語の世界で手ぬぐいのことを「まんだら」というらしいが,
(歌川国芳「夕涼み」 手拭を両肩に廻している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8B%ADより)
斑,
とも当て,
「元来は仏教絵図だが、四角いところから言う」(『業界用語辞典』),
「手拭いを「マンダラ」という。折りたたんだところが斑というところから出た。」(『落語文化史』)
「扇子を風(かぜ)と呼び、開いたり畳んだりして、きせる、刀、箸、筆、竿、傘、お銚子、などを表現。手ぬぐいは何にでも化けることから曼荼羅(まんだら)と称し、手紙、本、財布、たばこ入れなどとなる。」(知恵蔵)
と,諸説あるらしいが,http://textview.jp/post/hobby/11244で,浄土真宗本願寺派 如来寺第19世住職の釈徹宗氏が,
「もともと『高座』という言葉は『お説教をする場所』を指していました。和服を着て座布団に正座する落語のスタイルは、仏教のお説教の影響を色濃く残していると言えます。お扇子を持つのもおそらく、お坊さんの使う、『中啓(ちゅうけい)(扇)』が源流でしょう。落語界では手拭いを『まんだら』と呼びますが、あれも、四角くて模様がついている様子を曼荼羅(まんだら)に見立てたわけです。また『前座(ぜんさ)』は、本格的な大説教者が出る前にお話する『前座(まえざ)』から来ています。そう考えると、説法と芸能という目的の違いはあるものの、形態は共通しているんですね。」
との説明が説得力がある。
参考文献;
今野信雄『江戸の風呂』(新潮社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95