今野信雄『江戸の風呂』を読む。
いわゆる銭湯(湯屋)の嚆矢は,家康が江戸入りした天正十九年(1591)とされる。場所は,
「常盤橋と呉服橋の中間にあった錢瓶橋のたもと」
とか。これは蒸風呂である。この蒸風呂が洗湯になったのは江戸も後期になってからである。
本書の引く『慶長見聞録』には,
「風呂銭は永楽一銭(永楽通宝一枚)なり。みな人めずらしきものかなとて入りたまいぬ。されどもその頃は風呂ふたんれんの人あまたありて,あらあつの湯の雫や,息がつまりて物もいわれず,煙にて目もあかれぬなどと云ひて,小風呂(むし風呂につきものの湯をたくわえた湯槽)の口にたちふさがり,ぬる湯を好みしが…」
とあるとある。江戸の建設ラッシュで人が集まってくる。それを当て込んでの開業らしい。その二十数年後の慶長十九年(1614)には,既に湯屋が軒を並べる。同じ書には,
「今は町ごとに風呂あり。びた銭五文廿銭ずつにて入る也。湯女(ゆな)といいて,なまめける女ども廿人,三十人並びいて垢をかき,髪をそそぐ。そてまた,その他に容色よく類なく,心ざま優にやさしき女房ども,湯よ茶よと云ひて持ち来り類むれ,浮世がたりをなす。こうべを回らし一たび笑めば,百の媚をなして男の心を迷わす」
と,もはやフウゾクである。寛永十三年(1636)になると,
「銭湯は午後四時頃で閉店し,以後はにわか座敷にして金屏風をめぐらし,遊女スタイルになった湯女が,客の席にはべった」
とある。この影響で吉原が衰微し,ついに,
「遊女を湯女風呂に派遣」
するに至る。さすがに幕府も放置できず,寛永十四年(1637)
「湯女は一軒に三人かぎりとし,違反者は大門外で刑に処することとなった。このときお仕置処分になった湯女風呂は三十七軒にもなる。」
とある。そこは「蛇の道は蛇」で,
「表に見えるところでは三人でも,屏風のかげにまわれば,なまめかしく着飾った女たちが何人も待っていた」
とか。今も昔も変わらない。
湯屋を本書では次のように紹介する。
「銭湯の外には,まず目印になる看板がある。この看板,『ゆ』とか『男女ゆ』と書いた布を竹の先に吊り下げてすたり,矢をつがえた弓を目印にしている店が多かった」
という。
(湯屋の目印 本書より)
「ゆいいるという謎也。『射入る』『湯に入る』と言近きを以て也」(『守貞漫稿』)
との洒落らしい。
入ると,まず土間があり,ここで履き物を脱いで下足版に預け板の間に上がる。そこで番台に湯錢を払う。板の間が脱衣場である。
「客は衣服戸棚に脱衣を入れるか,…かごに入れるが,別に自分だけの衣服を包んでおくための,大きな布を用意してくるときもある。これが風呂敷だ。…湯からあがった時には足を拭うのに用いた…」
洗い場(流し場)は,
「中央に溝があり,汚水が外へ流れ出るしくみになっている。汚い話だが,多くの男たちや子供が恥じらいもなく,ここで堂々と小便をする」
とか。当然,中も推して知るべしで,
「肝心な風呂の湯が予想以上に不潔なのである。そこで,入浴がすむと清潔な湯をもう一度全体に浴びることになる。これを上り湯とも岡湯とも浄湯とも書くが,岡湯とは,湯槽を湯舟ともいうところからもじった言葉である。この岡湯を浴客が勝手に汲みだすことはできない。小桶を出して番頭に汲んでもらうのである。というのも,浴客のなかには不潔なまま洗い桶を使用する不心得者がいたからだ。カラン(蛇口)式になったのは昭和の初期まことである。」
とある。
(石榴口つき銭湯(鳥居) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%AD%E6%B9%AFより)
江戸初期,蒸風呂と洗湯を兼ねた湯槽の,戸棚風呂というのが一次流行った。
「洗い場で引き戸をあけて中へ入り,また引戸を閉める。つまり戸棚に隠れるような感じで,中の湯は一尺(約三十センチ)ほどしかない。だから腰だけ下が湯につかるだけだ。これを戸棚風呂といったが,引戸が板だから別名を板風呂といった。しかし引戸が閉めてあるから,内部は蒸気でむんむんする」
これは,燃料不足と水不足からきたものだ。引戸を開けたてする度に蒸気が逃げるので,引戸に代わって,引戸を固定し,下一メートルほどを開け放った柘榴口の風呂が登場する。
この柘榴口は破風造りの屋根か鳥居が付いており,この名残りが,今日の銭湯の破風造りである。
それにしても,銭湯は安く据え置かれ,寛永元年(1624)から明和九年(1772)まで,六文のままなのである。寛永の頃を百とすると,明和では三百,三倍の物価という。
一日に薪一本除けて焚けば,三百六十本虚(むだ)に焚く,
一本疏(おろそ)かにせざれば数日を助く,況や一生数年の損をや,
等々と「湯語教」という湯屋経営の教科書に載る。
「『弱いかな弱いかな』とか,『安いかな安いかな』と愚痴をこぼしながら,…心がけ一つでやはり相応に利益のある堅実な商売だった」
と,茶者は想像する。
風呂という世俗の坩堝に,江戸時代の庶民の風俗(フウゾクかも),風習が象徴的にみえ,なかなか面白いが,紙数が足りないのか,温泉や湯立神事の章は,余分な気がする。
参考文献;
今野信雄『江戸の風呂』(新潮選書)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95