「舌を巻く」は,『広辞苑第5版』に,
驚きおそれ,あるいは,感嘆して,言葉も出ない,
という意である。
諸人皆舌を巻き,口を閉づ,
という使い方(太平記)をされる。『大辞林 第三版』には,出典は,
漢書 揚雄伝,
とし,
「(相手に圧倒されて)非常に驚く感心する。」
とある。この方が要を得ているようだが,しかし『広辞苑第5版』の,
言葉も出ない,
に意味があるらしい。『漢書 揚雄伝』には,
舌巻,
と載り,それは,
「下を折り曲げ先を奥へやった状態」
を指し,それは,
「舌を巻いて話せなくなってしまう状態」
なのだという(https://usable-idioms.com/1853)。「舌」(呉音ゼツ,漢音セツ)の字は,
「会意。『干(おかしてでいりする棒)+口』で,口の中から自由に出入りする棒のしたをあらわす」
で,単に舌の意だけではなく,「饒舌」というように,
言葉を話す,
意がある。感心する,驚嘆する意には違いないが,「舌」には,
「舌は喋ることの象徴であり、『二枚舌』、『舌が回る』などの表現に使われる。『嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれる』などもこれであろう。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%8C)
という意味がある。この「舌」をめぐる話の背景には,中国での,
張目吐舌,
つまり,「目をむいて舌をだす」という志怪小説によくある妖怪の振舞い,
「妖怪が、真っ赤な目を見張り、舌を吐きだし地面に柱のように突っ立てると、おどされた人はおびえて、ほとんど死にそうになる。」
と繋がり,ある種の呪いとして,
「戦国時代の楚の墓室におかれた鎮五三は丸い目をし、長い舌を吐き出す。虎や獅子それに神像にも張目と舌出しがみえる。」
という(http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/12384/1/2009202116.pdfより)。「舌出し」は,
「舌をだすことは鬼や妖怪が人間をおどす所作とされる。一方、生者や死者を守護する神や獣もまた舌をだす。人をおどす方も妖怪を追い払う方も、どちらも舌をだすのである。」(仝上)
たとえば,「口を開ける」行為について,
「『目張而不能嗜。釈文、嗜、合也(『荘子』天運)』。老子に会った孔子は驚きのあまりぽかんと口をあけたままであった。『公孫龍豆咲而不合、舌挙乳下、乃逸而走(『荘子』秋水)』は、その際、舌があがったままであったという。これは…舌を結ぶや舌を巻いて逃げ出すことを想起させる。
顔之推『顔氏家訓』 『勉学』の『蒙然早口』もまた驚愕して、ものが言えなくなった様子。清、掘建招の校注は『所謂舌盗りて下がる能 わず』という。やはり舌は上がったままらしい。開いた口がふさがらない状態である。
中国語の「『塊出殻』・「魂飛魂散」は驚いて魂が抜けてしまうことをいう。驚いて口が開くならば、魂はそこからぬけるのだろう。」
という(仝上)。ついでながら,「舌を結ぶ」というのも,
「『張口結舌(『七戸五器』)』、 『下々辛口結舌(『紅花草』)」』では驚きのあまり口を開け舌を結ぶ。 『漢語大忌典』は『張開噴説不出話来。形容理屈、害伯或驚愕』と開いた口がふさがらず、しゃべることができない状態とする。しゃべることは言霊を口から出すことだが、それができない状態といえる。」
と,同趣旨となる。それと関連させてみると,「舌を巻く」は,
「『礼官博士、巻其舌而不談(『漢書』揚雄伝)』も驚嘆することとされる。星宿の名にも『巻舌(『漢書』天文志)』があり、各課『新論』は『天運巻舌之星、陸送絨口之銘』と喩える。また庚信の『猛士嬰城、謀臣巻舌』なども、話ができない、ということとからめて考察されている。
しかし李白の感遇詩の『挙国莫能和、巴人皆巻舌』などは必ずしも言葉とはかかわらない。舌をふるうことが悪霊祓いの所作だとすれば、舌をまくことは、それを放棄して逃げだすこととなる。」
となる。単に感嘆することが,言葉がしゃべれないほど驚嘆するのでもなく,舌の霊力から考えて,「舌を巻く」とは,文字通り,その霊力を捨てて,
逃げだすこと,
となる。ちなみに,「舌」と当てた和語「した」の語源は,いろいろあって,定まっていない。『日本語源大辞典』は,
柔らかにシタガフか(和句解・日本釈名・柴門和語類集),
シナフ義か。ナとタと通じる(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
シテ(息手)の義(松屋棟梁集),
ヲシテ(食手)の上略(日本語原学=林甕臣),
口の中にヒタルのヒタの転か(日本釈名),
シッタリと物の味をシタシ取るものであるところから(本朝辞源=宇田甘冥),
すべての口の働きを助ける舌の気働きをするところから,シは気,タはハタラキの略(国語蟹心鈔),
シムト(染所)の義(言元梯),
シシ(肉)からか(国語の語根とその分類=大島正健),
と挙げるが,いずれも,しつくりこにない。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。
説1は,「シ(下)+タ(するもの)」。口の下方にある発声器官の意,
説2は,「シタ・シナ(しなう 撓)」,
僕は,単純に,
下,
でなかったのか,と思うのだが。「下」は,『日本語源広辞典』は,
「シ(下の意)+タ(名詞の語尾)」
とする。
「シモに関連する語か。転じて,物の下,下方を意味する」
とある。「舌」に思えてくる。
参考文献;
大形徹「張目吐舌考-霊魂との関連から」(大阪府立大学紀要(人文・社会科学). 1997)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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