2018年10月07日

極致


森銑三『宮本武蔵の生涯』を読む。

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「序文」に,尽きている。

「心常に兵法を離れず。
 独行道と題する宮本武蔵の自戒十九条の最後に,かやうにいってある。
 武蔵の生涯は,剣を以て一貫する。剣といふわが國特有の武芸に一命を託して,あらゆる物慾に目もくれず,つひにその道を極め尽くした。然もそれを極め尽くした時,忽然として広い世界へ出た。剣法に於て,既にその敵がなくなってゐたばかりか,剣の一芸に通ずることに依って,武蔵は己を大成し,兼ねて人事の百般に通ずることを得た。芸術に遊べば画が成り,彫刻が成り,その他が成った。絵画その他は,武蔵に於てはもとより余技であった。然もこれを簡単に余技といひ去るのは当らない。それらは,武蔵の生命とする剣と一つに結ばれてゐた。剣道と芸術と,武蔵に於ては二にして一であり,一にして二であった。武蔵は剣道を極めることに依って自己を完成した。道を求めて通を得た。武蔵は剣の人にして,兼ねて道の人だった。武蔵の武蔵たるの所以はそこに存する。武芸家として,また人として,武蔵は正に古今に独歩する。」

戦前,まさに対米戦の始まる直前に書かれ,戦時中に上梓された。そんな雰囲気があるかもしれないが,簡にして要を得る,とはこのことである。

本書の中の,「宮本武蔵の生涯」の中に特段特異なことがあるのではないが,二つのエピソードが面白い。後世宮本伊織として,小笠原家の重臣になり,武蔵の彰徳碑を建てる養子伊織は,いわゆる寛永の御前試合で,

「荒木又右衛門と試合して相打ちとなった」

とある。伊織(八五郎)二十三歳,荒木又右衛門三十八歳。

「又右衛門が伊賀國上野で,渡辺数馬に助太刀して河合又五郎を打ち取って,大いに部名を挙げたのは,その年十一月七日のことである。」

と。養子にするだけの才を,少年に見つけたにしても,優れたる育成力である。その武蔵の人を見る目を窺わせるのが,ただひとり奥義をさずけた弟子,寺尾求馬のエピソードである。武蔵の兵法三十五カ条の,「巌の身」という一条に,「動くことなくして,強く大いなる心なり」というのがある。細川光尚にその意をたずねられた武蔵は,

「事に臨んで申し上げなくては,これを顕し難うござる。寺尾求馬を召し出されまたしならば,即座に御覧にいれませう」

と答え,召された求馬に,武蔵は,傍らから,

「求馬,思召の筋あり,唯今切腹仰付くる。さやう心得て支度致せ」

と申し渡した。求馬は,「謹んで御請申上げまする。御次を拝借致しまする。」

と言った立った。その自若とした,平素と変らない態度を,

「只今ご覧遊ばされました求馬の体が,即ち巌の身でござりまする」

と武蔵は言った,というエピソードである。武士道は死ぬことではなく,ただ死の覚悟を指す,ということと関連し,武蔵がひとを見る目を示すエピソードがある。森鷗外が『都甲太兵衛』という小説にもした,都甲太兵衛の件だろう。

細川忠利に謁見した折,忠利に,「当家の侍で,御身の目に触れた者はいなかったか」と尋ねられて,武蔵は,「只一人を見受けました」と答えた。名前を知らないので,忠利は,武芸に名のある者を召したが,そこにはおらず,捜し出してこいとの命で,武蔵は間もなく,諸士の控え所にいた,都甲太兵衛を連れてくる。ただ都甲太兵衛は,式台に着座して武蔵が御殿へ通るのを目迎目送しただけである。

忠利は,どういうところが目に留まったかと問われて,武蔵は,「本人の不断の覚悟をお尋ねなされたら分かります」
と答える。都甲は,「別にこれと申すこともない」と言うのを,武蔵は,「拙者は貴殿の武道に見込みがあって申し上げた。只平生の心掛けを腹蔵なく申し上げたら宜しうござろう」と促されて,都甲が答えたのが,

「私は据物の心得と申すことに,ふと心附きまして,その工夫を致しました。人は据物で,いつでも討たれるものぢゃと思うてゐるのでござります。平気で討たれる心持になるのでござります。最初は,ともすれば,据物ぢやといふことを忘れてなりませなんだ。それから据物ぢやといふことを不断に心得て居りまして,それが恐ろしうてなりませなんだ。だんだんと工夫致します内に,据物ぢやと存じてゐて,それがなんともなうなりました。まことにたわいもないことを申し上げました。」

と,これである。据物とは,「罪人の死体などを土壇に据えること」である。この答えを,武蔵は,

「あれが武士道でございます」

と言った。都甲太兵衛の覚悟の程については,森鷗外『都甲太兵衛』を見ていただけばいい。

『五輪書』に,

「道理を得ては道理を離れ,兵法の道に己と自由ありて,己を奇特とす。ときに逢ひては拍子を知り,自ら打ち自ら当る。これ皆空の道なり」

とある。その極致に達したとき,何が見えるのか。

本書の中で出色は,『宮本武蔵』という小説を書いた吉川英治の随筆『随筆宮本武蔵』をこてんぱんに批判しているところだろう。贋作の宮本武蔵の絵を口絵にしているだの,『五輪書』もわかっていないだの,結局問題の多い,宮本武蔵遺蹟顕彰会『宮本武蔵』のみによって書いただの,まあ悪口雑言である。しかし,その程度の理解と鑑識眼で,あの小説を書いたということは,小説家に必要なのは,知識や鑑識眼ではないということの証明みたいなものである。

第二部として,本書に,一書にまとめるのに不足だったのか,

「正忍記」

という忍術の伝書が載っている。これがまた面白い。如何に人に疑われないか,人に紛れるか,に心を砕き,いわゆる忍術書とは縁の遠い,ちょっと変わった伝書である。

参考文献;
森銑三『宮本武蔵の生涯』(三樹書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:50| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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