くち
「くち」は,
口,
と当てる。「口」(漢音コウ,呉音ク)は,
「象形。人間の口や穴を描いたもの。その音がつづまれば谷(あなのあいたたに),語尾が伸びれば孔(あな)や空(筒抜けのあな)になる。いずれも,中空の穴のあいた意となる。」
とある(『漢字源』)。物の言い様の意の「口が悪い」とか,「宵の口」といったものの初めの意,「別口」といった物事をいくつかに分けた一つの意,「良い口を探す」といった就職口の意や,初めの意の「話の口」といった,「口」をメタファにしたさまざまな意味に使うのは,我が国だけの使い方らしい(『字源』『漢字源』)。
『岩波古語辞典』は,
「古形はクツ。食物を体内に取り入れる入口。また,言葉を発する所。また,物を言うこと」
とある。「くつ」の項では,
「『口籠(くつこ)』『くつばみ』『口巻(くつまき)』『轡(くつわ)』などの複合語に残っている」
とし,
「朝鮮南部方言kul(口)と同源」
とする。因みに「口籠」とは,
「牛馬などがかみついたり、作物を食べたりするのを防ぐために、口 にはめる籠かご。鉄または藁縄わらなわで作る。」
をいう(『大辞林』)。「くちのこ」ともいう。
古形「くつ」は,しかし『大言海』が引く『古事記』には,
「瑞々し,久米の子等が,垣もとに,植ゑしはじかみ,久知ひびく,われは忘れじ」(神武,長歌)
とあり,「久知」となっているのが気になる。あるいは,
「口籠(くつこ)」は,「くちこ」の転訛,「くつばみ」は,くちばみの転訛「口巻(くつまき)」は,「くちまき」の転訛,「轡(くつわ)」は,「くちわ(口輪)」の転訛,にすぎないのではないか。例えば,「轡」について,『大言海』は,
「口輪(くちわ)の転(天治字鏡『勒,口和』。沖縄にてはくちば)。馬衡(くつばみ)の輪の意にて,カガミが元なる名の,カガミ,ククミの総称となれるなるべし。轡(ヒ)の字は,手綱なるを,轡に慣用するなり。禮記,曲禮正義に『轡,御馬索也』とあり,倭名抄,十五,鞍馬具『轡,久豆和豆良』と見ゆ」
とある。同じく「口巻」も,
「箆口(のぐち)を巻きおく義,音を転じて。くつまき(沓巻と書くば,借字)とも云ふ。口輪(くちわ),くつわ。口食(くちばみ),くつばみ。口籠(くちのこ),沓子(くつのこ)」
とし,転訛の例としている。「口」は「くち」でいいのではないか。
『日本語源広辞典』は,
「漢字の『口の入声kut+母音i』が有力」
とする。『岩波古語辞典』の説と,重ねると,外来説なら,中国,朝鮮南部経由とみることもできる。
『日本語源広辞典』(http://gogen-allguide.com/ku/kuchi.html)は,
「飲食物を取り入れる 器官であることから,『クフトコロ(食処)』の略か,『クヒミチ(食路)』の略と考えられる。また,古くからある『ち』の付く言葉は『靈』を表すことが多いため,『く』は『食』を意味し,『ち』は霊を意味している可能性がある。」
としているが,この説は,『日本語源大辞典』の,
クフトコロ(食処)の略轉(国語溯原=大矢徹),
に由来するらしい。その他,
クヒミチ(食路)の略か(燕石雑志),
キミチ(気道)の略轉(国語蟹心鈔),
ウツ(空)の義(言元梯),
クは穴の義(国語の語根とその分類=大島正健),
クボシ(窪)の義(桑家漢語抄),
クチル(朽),またはクタシ(腐)の義(和句解・日本声母伝・玄同放言・名言通・和訓栞),
カムトシ(敢利)の反。クフタリ(食足)の反(名語記),
クヒコトイヒ(食事言)の義(日本語原学=林甕臣),
深いことを意味する梵語クチ(俱胝)から(和語私臆鈔),
「口」の入声kutの転化(日本語原学=与謝野寛),
クは飲食の概念を表す言語。チは霊の意(日本古語大辞典=松岡静雄),
等々があるが,いま一つである。「くちびる」の項,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/454507440.html
で,
「漢字の『口の入声kut+母音』が有力」(『日本語源広辞典』)
を手がかりに,
「朝鮮南部方言kul(口)と同源」(『岩波古語辞典』)
とつなげ,
漢字の入声→朝鮮半島南部→和語,
の流れに,更に,
「、高句麗語に『口』=「古次」(ko-tsii)という語があったと推定されています。」(「オーストロネシア(AN)語と日本語の基礎語彙比較」)
と加味して,
漢字の入声(kut)→朝鮮半島北部(ko-tsii)→朝鮮半島南部(kul)→和語(kuti),
と轉じた,としたが,ここでもその臆説を続けでおく。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
http://roz.my.coocan.jp/wissenshaft/AN_2/AN_JP_37_43.htm
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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