2018年10月31日

こやし


楠本正康『こやしと便所の生活史』を読む。

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本書は,文字通り,日本における,

こやしと便所の歴史,

である。そして,「肥料」という言葉は明治以降に使われた言葉で,それ以前は,

こやし,

であり,室町時代以降,

糞,
糞培,
糞苴,

を当て,「こやし」と訓ませた。実に分かりやすい。人糞が主要な「こやし」だったからである。

稲作は,早く縄文時代に始まっているが,施肥は弥生時代から始まっている。稲は,

「根刈りではなく,穂刈りだったため,稲わらはそのまま水田に残って,施肥資源になった。」

刈草や稲わらなどの有機物質には,化学肥料では,まったくみられない特徴として,地力の保持増進の働きかある,という。

「稲わら,刈草,木の若草などを水の中に溶かした形にすると,自然状態表現では溶けにくい鉄分が,キレート鉄となり,分子構造が変わって,還元状態で水に溶けやすい二価の鉄となって,有機物から分離され,分解されやすくなる。そして,グルコースのような還元性の糖分が,鉄を見ずに溶けにくい三価の形から二価の形に変えて水溶性とし,植物が鉄を吸収しやすくする。」

ということが現代ではわかっているが,そういう合理的な施肥を,弥生時代にしていたことになる。

いわゆる「便所」は,「かわや」と言われた。これは,

「川の上に架した排便場所」

から来たもののようであるが,事実弥生時代の竪穴住居には「便所」は見当たらない。それが,平城京(750年頃)にはじめて,

共同便所,

らしいものが造られ,延喜式(927年)にはじめて,

「人糞の施用」

があらわれる。「生食用の瓜類」に使われた。これが,

「人糞尿を肥料として用いた文献上の最初の例」

という。

「この人糞尿は,播種前の踏み込み用として使用しているので土壌微生物のはたらきにより,たとえ病原菌等による汚染があったとしても,捕食されて衛生上は安全であり,また糞部分が遅行性であっても,播種前の施用であるため,分解されるまで十分な時間的余裕がある。したがって,現代の科学からみても合理的な施肥方法であったといえる」

とか。この施肥に用いたのと,共同便所とはつながりがあるようである。

二毛作が始まる鎌倉時代,

「灌漑による水田耕作と灌漑を排し,乾田として畑作を繰り返すので,とくに多量の施肥を必要とする。しかも,多収穫をはかるためには,畑作に対する追肥や稲作に対する稲ごえ(追肥)が欠かせない。この場合は,速効性でしかも十分な栄養素をもっていることが何よりも必要なので,この条件を満たしているのは腐熟した人糞尿が最も効果的なのだ」

という。特に,

「長期間貯留して分解された人糞尿が速効性がある」

ことが明らかになるにつれて,

「これを一ヵ所に貯えておかなければならない。そのために。直接耕作にあたる農民も,耕作を受け持たせている地頭や名主たちも,やがて住居の外側などに大きな便池を備えた便所を設けるようになった」

と想像されるという。最古の農業技術書『清良記』に,

「農家に入ってみて,牛馬の厩がきれいに清掃され,雪隠もきれいでたくさん糞尿を貯えてあるうえ,敷地内に菜園が見事に作られて靑あおと育っており,外の田畑が格別素晴らしいような場合は立派な百姓である。これに反し,家の垣根や壁がくずれ,菜園は方ぼうに散らばり,厩には垣も壁もなく,あちこちに厩肥や糞をばらまいておくような者は,どこかの奉公人のように見え,百姓とはいえない」

とあるように,既に肥料としての人糞の重要性が認識され,『洛中洛外図』にも,生育した水田に,柄杓で稲ごえをする頭が描かれているが,

「米の多収穫のためには,この稲ごえが欠かせないのだ。しかし,稲ごえは速効性であることが何より必要で,同時に肥効成分を兼ね備えているものでなくてはならない。…当時としては液状でこのような条件を備えているものは,十分に腐熟した青みがかった人糞尿か,または混じりもののない尿だけだった」

ところから,柄杓で撒いているものの正体は明らかである。こうした施肥の頂点は,江戸時代である。多くの農業専門書が上梓されたが,例えば,佐藤信淵は,

「人糞尿は温熱滋潤の脂膏と揮発透さんの塩気を含んでいるので,田畑に培養すれば,作物の生育にこれほど役立つものはない。しかし,新しいものは効果がないので,腐熟醸化してから使う。糞は溶けて青味をおびた液状となったものを施用しなさい」

こうした篤農家たちの主張は,明治になって,科学的に立証されることになる。注意深い観察から得た経験則が,ここでも生きていることがわかる。

江戸時代,都市の町割りに当たっては,あらかじめ組み取りを考慮して便所が設けられた。たとえば,

「当初から家の裏の方に設けられた」

し,裏店では,

共同便所,

が設けられた。組み取りの対価が決まっており,五段階に分けて価格設定していた,というのが笑える。

最上等品 勤番(大名屋敷勤番者のもの),
上等品 辻肥(市中公衆便所),
中等品 町肥(ふつうの町屋のもの),
下等品 タレコミ(尿の多いもの),
最下等品 (囚獄,留置所のもの),

しかし,そのそうした総額は,年間,四万九千両余,という。このランキングは,明治期,軍人のそれが最上級だというのと,対比すると,ただ笑ってはいられない。

こうした施肥との関係は,トイレのスタイルにも反映するが,戦後化学肥料にシフトするに連れて,糞尿はいらないゴミに化していく。僕の記憶では,少年時代,農地には肥溜めが点在していた。いつごろ無くなったものだったか。今日,トイレは,もはやただ孤立した排泄場所に過ぎなくなったが,それは肥溜めの消滅と関わるに違いない。

本書は,なかなか面白い着眼だが,遺構が残っていないせいもあるが,トイレのありようと施肥の関係だけでなく,排泄そのもの変化(室町期人々は路上でも用を足していた)との関係にも広げて,深掘りしていくと,裏面の文化史になったと思えるのだが。

参考文献;
楠本正康『こやしと便所の生活史―自然とのかかわりで生きてきた日本民族』(ドメス出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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