おもう
「おもう」は,
思う,
想う,
憶う,
念う,
惟う,
慮う,
懐う,
意う,
顧う,
等々と当てる。主観的な意味を,漢字を当てにして当て分けるというのは日本語表記のよくある様だが,漢字では,厳密に意味を分けている。漢字では,
「思」は,思案するなり。慎思,再思の如し。又したひおもふ義。思慕と用ふ。相思とは互いに戀ふるなり。
「憶」は,思ひ出すなり。憶昔,憶得の如し。
「懐」は,ふところ,いだくとも訓む。心にとめて思ふなり。胸懐,懐抱と連用する。論語「君子懐刑,小人懐恵」。
「意」は,こころばせと訳す。おもはくをつける義。志之發也と註す。かくならんかと疑ふ意を帯ぶ。
「念」は,思字より軽し。いつも念頭にかけて忘れぬなり,又読書を念書ともいふ。口に唱ふる義。念仏,念願とも連用する。
「想」は,心に従ひ,相に従ふ。形相を心にうつし思ふなり。想像と連用する似て知るべし。
「惟」は,只一筋に思ふ義。伏惟,恭惟など,発端に用ふる助辞なり。
「顧」は,心に顧み思ふ義。史記「顧力行何如耳」。
「慮」は,おもんぱかる義。よくよく考える,思いめぐらす。深慮,神慮,短慮,慮外。
等々といった微妙な使い分けをする(『字源』)が,和語は「おもふ(う)」である。
「したう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462789267.html?1542572024)で触れたように,その「思う(ふ)」について『岩波古語辞典』は,
「胸のうちに。心配・恨み・執念・望み・恋・予想などを抱いて,おもてに出さず,じっとたくわえている意が原義。ウラミが心の中で恨む意から,恨み言を外に言う意をもつに至るように,情念を表す語は,単に心中に抱くだけでなく,それを外部に形で示す意を表すようになることが多いが,オモヒも,転義として心の中の感情が顔つきに表れる意を示すことがある。オモヒが内に蔵する点に中心を持つに対して,類義語ココロは外に向かって働く原動力を常に持っている点に相違がある。」
とし,
おもてに出さず,じっとたくわえている意が原義,
とする。その「おもう」の語原について,『広辞苑第5版』は,
「『重い』の語幹オモと同源か。一説に,『面(おも)』を活用させた語という」
とするが,『岩波古語辞典』は,
「オモヒをオモシ(重)に関係づける説は,意味の上から成立しがたい」
と否定する。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。
説1は,「オモ(面)+フ(継続・判覆・動詞化)」です。相手のオモ(面・顔)を心に描き続ける意です。顔に表れる心の内の作用を表します。なお,古代「モ(面)+フ」の語形(東歌・防人歌)も使われていました。
説2は,「重+フ」です。物を思ふ気分とは,重い気分であるという語源説もあります。
「物思い」という言葉が別にあり,思い悩む意で使う。そこでは,
「もの+おもう」
とある「おもう」が前提になって使われている。重複が過ぎるように思う。「おも(面)」は,
「上代では顔の正面の意。平安時代以降,独立してはほとんど使われず,『面影』『面変り』『面持』などの重複に残った」(『岩波古語辞典』)
とあり,「も(面)」も,
「オモのオの脱落した形」(仝上)
とあり,
オモ+ヒ,
モ+ヒ,
のオモ,オは,オモテ(面)と見るのが妥当なのではないか。
「オモ+フ」
は,「慕う」の,
「下+フ」
と重なる。しかし,『日本語源大辞典』は,諸説を,
①オボオボシ(朧朧)から生じた語オモ(面)から。面に顕れる心の内の作用をオモフという(国語溯原=大矢徹),
②形容詞オモイ(重)の語幹オモから生じた語か。重たいような心持,すなわち物思いに沈むような感覚,そこから進んで思考という意が出たのではないか(東亜語源志=新村出),重く沈んで考える意か(国語の語根とその分類=大島正健),
③オモヒはオモキヒ(重火)か,あるいはオモテノヒ(面火)の意か(和句解),
④ウマハフ(心廻)の転(言元梯),
⑤オモヒはウラマドヒの約で,心の物にまつわるようになる意。ウラは心の意(和訓集説),
⑥オモヒはオモヒ(母日)の義。母は物を生ずるところから(和語私臆鈔),
⑦オヒモトム(追求)の義(名言通),
⑧愛慕する意のオモフは「忄奄」の音om。考察する意のオモフは「案」の別音on(日本語原学=与謝野寛),
⑨オモ(面)オフ(覆)の約か。胸の内に,心配・怨み・執念・望み・恋・予感などを抱いて,おもてに出さす,じっとたくわえている意か(岩波古語辞典),
と挙げた上で,
「『面(おも)』に『ふ』を付けて活用させたものとして,原義を「気持ちを顔に表す」とする①説がある。また⑨説のように『オモ(面)』を『オモテ』とみて,種々の感情をおおう意とする説もみえる。また,②説のように『重(おも)』に『ふ』を付けて活用させたもので。何も考えない心の静かな状態に対して,物を思う意識を『重い気分,気持ち』ということで表現したものだという。したがって,⑥のような俗解は別として,『オモフ』の『オモ』は『面』か『重』に関連するとする説に分かれそうであるが,現状では定説をみない。」
とする。ここでは,「おもふ」の意味が,『岩波古語辞典』の言うように,
おもてに出さす,じっとたくわえている意,
とし,
胸の中で慕う,
胸の中で願う,
胸の中で悩む,
心の中で考える,
胸の中で決心する,
等々の「おもい」が,
忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋 物や思ふと 人の問ふまで(平兼盛『拾遺集』),
のように,知らず知らず顕れる意として,
オモテ+フ,
と,取りあえずしてみる。「慕う」と同じである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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