2018年11月30日
たま
「たま」は,
玉,
球,
珠,
と当てる。
球体・楕円体,またはそれに類した形のもの,
を総じて指す。『岩波古語辞典』には,
「タマ(魂)と同根。人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる,丸い石などの物体が原義」
とあり,
呪術・装飾などに用いる美しい石,宝石,
とあり,
特に真珠,
とあり,転じて,
美しいもの,
球形をしたもの,
更に転じて,
計略の種,
第一級の物,上等,
という意味が広がる。「玉」(漢音ギョク,呉音コク)は,
「象形。細長い大理石の彫刻を描いたもので,かたくて質の充実した宝石」
の意で,
飴玉,玉子のような,まるいもの,
善玉,悪玉のような,有る性質をもった人,
半玉のような,半人前の芸者,
ギョクのような,王将の意,
等々とさまざまに意味を拡げるのは,我が国だけのようである。「ぎょく」と訓ませると,
硬玉・軟玉の総称。翡翠(ひすい)・碧玉(へきぎょく)など,
を指す(『漢字源』)。「球」(漢音キュウ,呉音ク)は,
「会意兼形声。求は,からだに巻いて締める皮衣を描いた象形文字。裘(キュウ)の原字。球は『玉+音符求』。」
で,
中心に向けてぐった引き締まった美玉,
という意(『漢字源』)で,「球」の方が,「すべての円形の物」(『字源』)に当てられるようである。
「珠」(漢音シュ,呉音ス)の字は,
「会意兼形声。『玉+音符朱』。朱(あかい)色の玉の意。あるいは主・住と同系で,貝の中にとどまっている真珠の玉のことか」
とある(『漢字源』)。この場合は,真珠に限定するし,「美しいものの喩えに使う」とある。
ギョクも真珠も,まとめて「たま」とする和語の語源は,『大言海』は,
「妙圓(たえまろ)の略かと云ふ」
とする。ちょっと無理筋な気がする。
『日本語源広辞典』は,
「タマは,『霊魂』が語源です。マルイものとみて,マルイモノを指します。よく磨かれた円い玉をいいます。転じて,美女を指します」
とする。『岩波古語辞典』の「たま(魂)」の項には,
「タマ(玉)と同根。未開社会の宗教意識の一。最も古くは物の精霊を意味し,人間の生活を見守り助ける働きを持つ。いわゆる遊離靈の一種で,人間の体内からぬけ出て自由に動きまわり,他人のタマと逢うこともできる。人間の死後も活動して人方法まもる。人はこれを疵つけないようにつとめ,これを体内に結びとめようとする。タマの活力が衰えないようにタマフリをして活力をよびさます。」
とあり,「たまふり」とは,
「人間の霊魂(たま)が遊離しないように,憑代(よりしろ)を振り動かして活力を付ける」
ことだ。憑代は,精霊が現れるときに宿ると考えられているもので,樹木・岩石・御幣(ごへい)等々。
『日本語源広辞典』の説明では,「魂」の形を「マルイ」とするが,
タマ(魂)→マルイ→玉,
とスライドする説明が少し具体性を欠く。『日本語源大辞典』は,
タマ(霊魂)の入るべきものであるところから(万葉集に現れた古代信仰=折口信夫),
イタクマ(痛真)の義で,タマ(霊・魂)と同義(日本語原学=林甕臣),
タヘマロ(妙円)の略か(音幻論=幸田露伴),
タカラマルキの略(日本釈名),
価値がタカ(高)く,形が円いところから(仙覚抄),
カタマルの略という(百草露),
タタキマル(琢円)の義(名言通),
タは發語,マはマル(円)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
テルマル(光丸)の義(言元梯),
アマ(天)の転(和語私臆鈔),
結びまるめた間の意で,タマ(立間)の義(柴門和語類集),
等々と挙げているが,形の丸については「まる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461823271.html)で触れたように,「まる」「まどか」という言葉が別にあり,
『日本語源大辞典』が,
「中世期までは『丸』は一般に『まろ』と読んだが,中世後期以降,『まる』が一般化した。それでも『万葉-二〇・四四一六』の防人歌には『丸寝』の意で『麻流禰』とあり,『塵袋-二〇』には『下臈は円(まろき)をばまるうてなんどと云ふ』とあるなど,方言や俗語としては『まる』が用いられていたようである。本来は,『球状のさま』という立体としての形状を指すことが多い。」
とし,更に,
「平面としての『円形のさま』は,上代は『まと』,中古以降は加えて,『まどか』『まとか』が用いられた。『まと』『まどか』の使用が減る中世には,『丸』が平面の意をも表すことが多くなる。
と,本来,
「まろ(丸)」は球状,
「まどか(円)」は平面の円形,
と使い分けていた。やがて,「まどか」の使用が減り,「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた。『岩波古語辞典』の「まろ」が球形であるのに対して,「まどか(まとか)」の項には,
「ものの輪郭が真円であるさま。欠けた所なく円いさま」
とある。平面は,「円」であり,球形は,「丸」と表記していたということなのだろう。漢字をもたないときは,「まどか」と「まる」の区別が必要であったが,「円」「丸」で表記するようになれば,区別は次第に薄れていく。いずれも「まる」で済ませた。
とすると,本来「たま」は「魂」で,形を指さなかった。魂に形をイメージしなかったのではないか。それが,
丸い石,
を精霊の憑代とすることから,その憑代が「魂」となり,その石をも「たま」と呼んだことから,その形を「たま」と呼んだと,いうことのようにに思える。
その「たま」は,単なる球形という意味以上に,特別の意味があったのではないか。しかし憑代としての面影が消えて,形としては,「たま」は,「丸」とも「円」とも差のない「玉」となった。しかし,
掌中の珠,
とは言うが,
掌中の丸,
とは言わない。かすかにかつての含意の翳が残っている。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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