たま
「たま」は,
玉,
球,
珠,
と当てる。
球体・楕円体,またはそれに類した形のもの,
を総じて指す。『岩波古語辞典』には,
「タマ(魂)と同根。人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる,丸い石などの物体が原義」
とあり,
呪術・装飾などに用いる美しい石,宝石,
とあり,
特に真珠,
とあり,転じて,
美しいもの,
球形をしたもの,
更に転じて,
計略の種,
第一級の物,上等,
という意味が広がる。「玉」(漢音ギョク,呉音コク)は,
「象形。細長い大理石の彫刻を描いたもので,かたくて質の充実した宝石」
の意で,
飴玉,玉子のような,まるいもの,
善玉,悪玉のような,有る性質をもった人,
半玉のような,半人前の芸者,
ギョクのような,王将の意,
等々とさまざまに意味を拡げるのは,我が国だけのようである。「ぎょく」と訓ませると,
硬玉・軟玉の総称。翡翠(ひすい)・碧玉(へきぎょく)など,
を指す(『漢字源』)。「球」(漢音キュウ,呉音ク)は,
「会意兼形声。求は,からだに巻いて締める皮衣を描いた象形文字。裘(キュウ)の原字。球は『玉+音符求』。」
で,
中心に向けてぐった引き締まった美玉,
という意(『漢字源』)で,「球」の方が,「すべての円形の物」(『字源』)に当てられるようである。
「珠」(漢音シュ,呉音ス)の字は,
「会意兼形声。『玉+音符朱』。朱(あかい)色の玉の意。あるいは主・住と同系で,貝の中にとどまっている真珠の玉のことか」
とある(『漢字源』)。この場合は,真珠に限定するし,「美しいものの喩えに使う」とある。
ギョクも真珠も,まとめて「たま」とする和語の語源は,『大言海』は,
「妙圓(たえまろ)の略かと云ふ」
とする。ちょっと無理筋な気がする。
『日本語源広辞典』は,
「タマは,『霊魂』が語源です。マルイものとみて,マルイモノを指します。よく磨かれた円い玉をいいます。転じて,美女を指します」
とする。『岩波古語辞典』の「たま(魂)」の項には,
「タマ(玉)と同根。未開社会の宗教意識の一。最も古くは物の精霊を意味し,人間の生活を見守り助ける働きを持つ。いわゆる遊離靈の一種で,人間の体内からぬけ出て自由に動きまわり,他人のタマと逢うこともできる。人間の死後も活動して人方法まもる。人はこれを疵つけないようにつとめ,これを体内に結びとめようとする。タマの活力が衰えないようにタマフリをして活力をよびさます。」
とあり,「たまふり」とは,
「人間の霊魂(たま)が遊離しないように,憑代(よりしろ)を振り動かして活力を付ける」
ことだ。憑代は,精霊が現れるときに宿ると考えられているもので,樹木・岩石・御幣(ごへい)等々。
『日本語源広辞典』の説明では,「魂」の形を「マルイ」とするが,
タマ(魂)→マルイ→玉,
とスライドする説明が少し具体性を欠く。『日本語源大辞典』は,
タマ(霊魂)の入るべきものであるところから(万葉集に現れた古代信仰=折口信夫),
イタクマ(痛真)の義で,タマ(霊・魂)と同義(日本語原学=林甕臣),
タヘマロ(妙円)の略か(音幻論=幸田露伴),
タカラマルキの略(日本釈名),
価値がタカ(高)く,形が円いところから(仙覚抄),
カタマルの略という(百草露),
タタキマル(琢円)の義(名言通),
タは發語,マはマル(円)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
テルマル(光丸)の義(言元梯),
アマ(天)の転(和語私臆鈔),
結びまるめた間の意で,タマ(立間)の義(柴門和語類集),
等々と挙げているが,形の丸については「まる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461823271.html)で触れたように,「まる」「まどか」という言葉が別にあり,
『日本語源大辞典』が,
「中世期までは『丸』は一般に『まろ』と読んだが,中世後期以降,『まる』が一般化した。それでも『万葉-二〇・四四一六』の防人歌には『丸寝』の意で『麻流禰』とあり,『塵袋-二〇』には『下臈は円(まろき)をばまるうてなんどと云ふ』とあるなど,方言や俗語としては『まる』が用いられていたようである。本来は,『球状のさま』という立体としての形状を指すことが多い。」
とし,更に,
「平面としての『円形のさま』は,上代は『まと』,中古以降は加えて,『まどか』『まとか』が用いられた。『まと』『まどか』の使用が減る中世には,『丸』が平面の意をも表すことが多くなる。
と,本来,
「まろ(丸)」は球状,
「まどか(円)」は平面の円形,
と使い分けていた。やがて,「まどか」の使用が減り,「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた。『岩波古語辞典』の「まろ」が球形であるのに対して,「まどか(まとか)」の項には,
「ものの輪郭が真円であるさま。欠けた所なく円いさま」
とある。平面は,「円」であり,球形は,「丸」と表記していたということなのだろう。漢字をもたないときは,「まどか」と「まる」の区別が必要であったが,「円」「丸」で表記するようになれば,区別は次第に薄れていく。いずれも「まる」で済ませた。
とすると,本来「たま」は「魂」で,形を指さなかった。魂に形をイメージしなかったのではないか。それが,
丸い石,
を精霊の憑代とすることから,その憑代が「魂」となり,その石をも「たま」と呼んだことから,その形を「たま」と呼んだと,いうことのようにに思える。
その「たま」は,単なる球形という意味以上に,特別の意味があったのではないか。しかし憑代としての面影が消えて,形としては,「たま」は,「丸」とも「円」とも差のない「玉」となった。しかし,
掌中の珠,
とは言うが,
掌中の丸,
とは言わない。かすかにかつての含意の翳が残っている。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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