いとう
「いとう」は,
厭う,
と当てる。「厭」(エン,オン)の字は,
「会意文字。厭の中の部分は,熊の字の一部と犬とをあわせ,動物のしつこい脂肪の多い肉を示す。しつこい肉は食べ飽きていやになる。厂印は上から被さる崖や重しの石。厭は,食べあきて,上からおさえられた重圧を感じることをあらわす」
とあ(『漢字源』),「あきる」「しつこくていやになる」という意で,「厭」の字は,「飽」の字と比較されて,
「飽」は物をいっぱい食ふ義にて,いやになるまで過食にはあらず。転用して飽徳・飽仁義などと用ふ,
「饜」は,あき満るほど,大食するなり。孟子「饜酒肉而後反」
「厭」は,饜に通用す。左傳「食淋無厭」
とあり,「厭」は,飽きる意である。ただ,厭離穢土,と仏教用語では,この世をいとう意で用いている。この辺りが意味のシフトの因かも知れない。
『岩波古語辞典』には,「いとひ」の項で,「きらう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463051261.html?1543868601)で触れたように,
「いやだと思うものに対しては,消極的に身を引いて避ける。転じて,有害と思うものから身を守る意。類義語キラヒは,好きでないものを積極的に切りすて排除する意」
とある。「きらう」は,
「キリ(切)と同根か」
で,
「切り捨てて顧みない意。類義語イトヒは,避けて目を背ける意」
と,「いとう」は「きらう」と比べ,身を避ける含意のようである。
「キラ(嫌)ウが相手を積極的に切り捨て遠ざける意であるのに対して,イトウはいやな相手を避けて身を引く意」
と,『広辞苑第5版』にもある。
『大言海』は,
「傷思(いたくも)ふの約か。腕纏(うでま)く,うだく(抱)。言合(ことあ)ふ,こたふ(答)」
とする。この語源だと,
好まないで避ける
↓
この世を避けはなれる
↓
害ありと避ける
↓
いたわる,かばう,大事にする,
という意味の変化がよく見える。
身をお厭いください,
という言い方は,
「危なきを厭ひ護る意より転じて」(大言海)
自愛,
の意に変っていく流れがよくわかる。
臆説かもしれないが,
いたはし,
と関わるのかもしれない。「労わる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451205228.html)の項で触れたように,「労わる」と同根とされることばに,
いたはし(労はし),
という形容詞があるが,『岩波古語辞典』は,
「イタは痛。イタハリと同根。いたわりたいという気持ち」
とあり,
(病気だから)大事にしたい,
大切に世話したい,
もったいない,
といった心情表現に力点のある言葉になっている。この言葉は,いまも使われ,
骨が折れてつらい,
病気で悩ましい,
気の毒だ,
大切に思う,
と,主体の心情表現から,対象への投影の心情表現へと,意味が広がっている。
『大言海』は,「いたはし」について,
「労(いたは)るの語根を活用せしむ(目霧(まぎ)る,まぎらわし。厭ふ,いとわし)。」
とし,「労(いたは)る」は,自動詞と他動詞を別項にし,前者については,
「傷むの一転なるか(斎(い)む,ゆまはる。生(うま)む,うまはる)。労(いたづ)くは,精神の傷むになり。爾雅釋詁『労,勤也』」
とあり,後者については,
「前條(つまり自動詞)の語意に同じ。但し,他動詞となる。同活用にして,自動とも他動ともなるもの。往々あり,いたづく,ひらく,の如し。務めて懇ろに扱う意となる。和訓栞,イタハル『人の労を労ねきとしてねぎらふ』,廣韻『労,慰(なぐさむる)也』」
とある。「いたはし」の転として,
いとほし,
がある。
「お厭いとい下さい」
の「厭い」には,そんな言葉の奥行があるような気がしてならない。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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