2018年12月13日

サバイバル


藤木久志『戦国の村を行く』を読む。

ダウンロード (2).jpg


戦国時代,農民は,ただ逃げ惑っていたわけではない。濫妨狼藉の被害者であっただけではない。彼らもまた武装し,時に落人狩もした。さらに,

「戦国の世には村も城をもっていた」(はしがき)

のである。本書は,村の,

自力の生き残り策,

を探る。これまで欠けていた

村から領主をみる

視点での「領主・農民関係」を探ることと,飢餓と乱取りの中での,

村の地力生き残り策,

を見ること,これが本書のテーマである。乱取りは,

人間の略奪,

あるいはぶっちゃけ,

奴隷狩り,

であった。それは,上杉謙信(景虎)は常陸小田城を攻め落とした際の,

「小田開城,景虎より,御意をもって,春中,人を売買事,二十銭,三十二(銭)程致し候」

というような人買いによって売り買いされるだけではなく,武田信玄軍の大がかりな人取りのように,

「男女生取りされ候て,ことごとく甲州へ引越し申し候,さるほどに,二貫,三貫,五貫,十貫にても,身類(親類)ある人は承け申し候」

と,身代金目的でもあった。

秀吉が,戦場での「濫妨取りの男女」の人返し(返還・解放)と「人の売買一切相止むべく候」と指示し,「人を売り買う義,一切これを停止すべし」と再三命じ,バテレン追放を命じた背景に,ポルトガル船による奴隷売買が絡んでいたと見なされる所以である。

そんな中,村も自衛する。その一つは,

「敵軍におくの米や錢を支払って『濫妨狼藉停止(ちょうじ)』の禁制や制札」

を買い取ることであり,さらに,境目の村々が,

「敵対する双方の軍に,年貢を半分ずつ払って両属(半手・半納)の関係」

を結ぶことで,

「村の平和」

を買い取っていた。しかし,制札は,

もし当郷の者,手柄に及ばざれば,旗本へ来たりて申上ぐべし,
見逢いに搦め取り,申上ぐべし,

との付記があり,要は,軍兵が濫妨を働いたら,

村の自力で逮捕し,連行せよ,

というのであり,保障された平和は,

当事者の村が自力=手柄(濫妨狼藉の実力排除)によって実現すべきもの,

であった。あくまで,禁制は,

「それを手にした村がその大名から『味方の地』として認定され(もし制札なしに山の城に避難すれば,敵対とみなされ激しい追及にさらされました),禁制に背く濫妨狼藉に公然と実力で防御・抵抗しても,敵対とはみなされなかった」

というところに効力があった。では,にもかかわらず村が戦場になったらどうするのか。戦禍を避けるために,

領主の城の近くの村々は城に籠り,
遠くの村々は山籠り,

をしたという。

山上り,
小屋上り,

とも言い,この「山小屋」が,

村人の籠る自前の城,

つまり,

村の城,

であると,著者はいう。それは,時に,

「幅が七,八間(14メートル前後)もある大きな堀を掘って大名軍に抵抗した」

という例もあるほどで,文献でも,

百姓ら要害をかたく構え,
一味同心して要害をこしらえ,

という「村の城」が知られており,

「中世の社会は,武装権築城権が,領主だけでなく,村や町を含む諸集団にも,広く分有された『自力社会』だった」

ことがよくわかる。中世の終りに,

刀狩り,

城破(わ)り,

が秀吉によって打ち出された背景がよく見えてくる。

参考文献;
藤木久志『戦国の村を行く』(朝日選書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:21| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください