2018年12月15日
ふで
「ふで」は,
筆,
と当てる。
「筆(ふで)とは、毛(繊維)の束を軸(竹筒などの細い棒)の先端に付けた、字や絵を書くための道具である。」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86)。まさに,「筆」(漢音ヒツ,呉音ヒチ)の字は,
「会意。『竹+聿(手で筆をもつさま)』で,毛の束をぐっと引き締めて,竹の柄をつけた筆」
とである(『漢字源』)。なお,『漢字源』には,
「訓の『ふで』は,『文(ふみ)+手(て)』から」
ともある。ついでながら,「文」(漢音ブン,呉音モン)の字は,
「象形。もと,土器に付けた縄文の模様のひとこまを描いたもので,こまごまとかざりたてた模様のこと。のち,模様式に描いた文字や,生活の飾りである分化などの意となる」
とあり,そのため,
「象形文字や指事文字のように描いた文字のこと」
を「文」という(象形・指事などを親文字という)。「説文解字」に,
「依類象形,故謂之字」(類に依り形に象る,故にこれを文といふ)
とあり,対して,「字」は,
「形声文字や会意文字など,後に派生した字」
を指す(形成・会意文字は子文字という)。
さらに,詩文という場合の「文」は散文,文・筆と相対するときは,文は韻文,筆は散文のことを意味するらしい(仝上)。さらについでながら,「字」(呉音ジ,漢音シ)の字は,
「会意兼形声。子は,孳(ジ)と同系で,子をみ繁殖する意を含む。字は『宀(やね)+音符子』で,やねの下で,たいせつに子を育てふやすことをあらわす」
とある。
和語「ふで」の語源は,
文(ふみ)+手(て),
らしく,「和名抄」に,
「筆,布美天(ふみて)」
とあり,『岩波古語辞典』も,
フミテ(文手)の転,
とし,『大言海』も,
フミテ→フンデ→フデ,
と転じたとする。
「手は書くこと」
の意とする。「て」の項(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453160543.html?1543708692)で触れたように,「て」(古形「タ」)は文脈依存の和語から見れば,動作の,
取る,
執る,
捕る,
等々に関わる,と想像できるので,手先の働きの「手を働かせて仕事や世話をする」意味の中に,
「文字を書くこと」
の意がある(『岩波古語辞典』)。だから,
筆跡・文字,
を「手」という。
もともと文字を持たない民族なので,手の動作そのものを意味する「文手」が,道具そのものの意に転じたということなのだろうとも思われる。
しかし『日本語源広辞典』は,二説挙げる。
説1は,「文(字や絵)+手(道具)」。フミテ,フンデ,フデの変化。フ(文・書)は文箱・文机・文月のフ。テは方法・手段・用具の意。
説2は,音韻の面から「筆,ヒツヅ,フヅ,フドゥ,フドェ,フデと転訛(金澤庄三郎説),
を挙げるし,『日本語源大辞典』も,
フミテ(文手・書手)の義(箋注和名抄・天朝墨談・名言通・菊池俗語考・本朝辞源=宇田甘冥・国語の語根とその分類=大島正健・国語學論考=金田一京助・国語の語彙の特色=佐藤喜代治),
が大勢だが,その他,
フミイデの義(日本釈名),
幣束のホデ(梵天)に形が似ているところから(折口学への招待=高崎正秀),
フデ(秀支)の義(日本文学説=黒川真頼),
「筆」の音ヒツの転(国語学通論=金沢庄三郎),
フクテーケ(毛)の反(名語記),
等々ある。筆の音の,
ヒツ→ヒツヅ→フヅ→フドゥ→フドェ→フデ,
は,文字を持たない先祖が,文字と道具を一緒に輸入したと考えると妥当に思えるが,決め手がない。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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